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馬車の中で

 ――鉛色の雲を眺めながら、俺は今馬車に揺られていた。


 あれから一週間、父から計画の了承を頂いだき、父の名代――正式な使者としてシュミット伯爵家の領都シュトラに派遣されているところだ。


「アルス、体調でも悪いのですか?……心なしか青い顔をしているように見受けられますが……」


 隣に座る母が心配そうな顔で覗き込んでくる。

 ――シュミット伯爵家は母の実家なので、この貴重な機会に顔見せをするつもりなのだ。

 それは政治的にも悪いことではない――ヴェルシュタインとの姻戚関係を強調し親睦を深めやすくなる。

 ……まあ、交渉に影響するほどとは思えないがな……

 そう、俺はこの使命の重圧を感じていたのだ――交渉の成否を思案すれば顔くらい嫌でも青くなる。


「……大丈夫ですよ、母上」

「えー嘘でしょう?……私は腰が痛くて仕方ないわ」


 母に心配を掛けまいと返答すると正面に座るセレスが反論してくる。

 セレスは父に〝私も付いていきたい〟と直談判し、見分を広げる名目で付き添っているのだった。

 ……旅行感覚だな、遊びじゃないのだが……

 ――そちらに目を向けると淑女にあるまじき格好で腰を伸ばしていた。


「セレス、お下品ですよ」

「……ごめんなさい」


 しかし、腰が痛いと言いたくなるセレスの気持ちは分からなくない――ショックアブソーバーなどなく、整備もされてない道を長時間かけて移動する。

 前世を知っており、この世界の様々な不自由に慣れた俺ですら苦行である。

 ――初めての長旅であるセレスには相当酷だろう。


「そんなことより母上、シュミット伯爵家の領都シュトラとは一体どんなところなのですか?」


 ここで一度話題を変えるため、母に聞いておきたかったことを尋ねる。


「やはりシュトラといえば黄金色に色づいたラノ平野の麦畑ですね……あれは壮大で一度見れば心に焼き付きます」

「私も聞いたことがあります――ラノ平野は肥沃な農業地域で有名だと」


 シュミット伯爵家が東部有数の諸侯に挙げられるのは、東部一巨大な港を持つ交易都市レーゲと、東部の食糧庫とも呼ばれるほどの一大生産都市シュトラを治めている為だった。

 実際、その二つの都市人口は東部でも五本の指には入るだろう。

 そんなシュミット伯爵家の勢力を戦国乱世らしく兵数で表すなら、五千を超える動員力は持つはずだ。


 ――東部でこれを超える動員力を持つのは、オスヴァルト侯爵、ウーラント辺境伯ぐらいだ――


 そこまで思考してあることを思い出した。


 ――そういえばヴェルシュタインの西南はその諸侯全てに囲まれている形だ――

 東はピシティア山脈が立ちふさがっているから、勢力拡大の道があるとすれば、北のヘルムート子爵家か……

 しかし、ヘルムート子爵家も二千近い動員力はある。

 ヴェルシュタインの六倍から七倍近い計算だ――この現状では勢力拡大なんて到底不可能ではないか?

 今まで真剣に考えて来なかったが、実は既に――


 〝ヴェルシュタイン男爵家終了のお知らせ〟


 ――そんなテロップが脳裏に流れた所で頭を横に振る。

 ……い、今はシュミット伯爵との交渉の事を考えよう。

 気分を変えるため、続けざまに母に質問する。


「……他にシュトラの特産品などはありませんか?」

「そうですね……特産物はエールでしょうか」

「エールの原料が麦なのでシュトラが一大産地であることは分かりますが……特産物と言えるでしょうか?」

 ベルトキア王国では原料である麦が各地で作られているため、エールもまた何処ででも製造される物でしかなかった。


「シュトラのエールは、どこか他の地域のエールとは違うのです――私はエールよりワインを嗜むため上手く説明できませんが……」


 ――エール、日本人の馴染み深い言葉に直すとビールのことか――頭の中で使えそうな現代知識が無いか検索してみる。


 しかし――役に立ちそうな現代知識がヒットすることはなかった。

 ――し、仕方ないだろッ、前世は高校生で未成年だったんだよッ!


 今日も平常運転な頭の出来に絶望していると、セレスがある事を尋ねてくる。


「シュミット伯爵家には貴方が作った石鹸を売り込みに行くのよね――一体幾らぐらいで売り込むつもりなの?」


 そして〝十グル?――いえ、百グルぐらいかしら〟と勝手に予想を呟く。


「姉上、私が売り込みに行くのは石鹸の利権ですよ?――そんな金額のはずないでしょう」


 そして呆れながら〝子供のお使いじゃないのですから〟と付けたした。

 ――そもそも、十グルや百グルでは赤字である――


 するとセレスは〝アルスはまだ子供じゃないの〟と反論しながら後を継いだ。


「だったら千グル(約二億円)ぐらい?」

「……まあ、そんな所ですよ」


 セレスと母の前で政の話をあまりしたくなかった俺は、適当に返答することでこの話を終わらした。


 ――淑女の前で政の話はタブーだしな――



 只の言い訳を紳士ぶることで誤魔化していると、御者台からパウルの声が耳に届いた。


「皆様方、そろそろ宿場町に到着します」

「ああ、分かった」


 当初、パウルは長旅から帰ってきたばかりだったので、疲れを考慮して連れてくるつもりは無かった。

 しかし、本人の強い希望によりこうして御者台で手綱を握っている。


「あと、どれぐらいでシュトラに着きそうだ?」

「ヴェルシュタインを発ってもう三日目になりますので、あと二日と言ったところでしょう」


 もうすぐ、俺の地位――否、ヴェルシュタインの運命を賭けた交渉が始まるのか――



「あと二日もこの痛みに耐えなければならないのね……」




 腰を擦り溜息を吐くセレスとは別の意味で、俺もひそかに溜息を零した。


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