展開矢の如し
「始め!」
マルコの合図で試合が始まった。
相手は新兵のクルト――だが、十歳になったばかりの俺からすれば相手は格上だ、体力もクルトの方が上の筈。
それに――何より厄介なのはリーチの差だ、身長差による手足の長さが違いすぎる……愚痴っていても仕方がない、勝負の鉄則は先ずは相手を観察することだ。
――クルトは上段の構え、初めの一撃は最速からの振り下ろしだろう。
リーチの差もあり厄介だが予測が出来るのは大きな利点だ。
「ふぅ…」
腹をくくって、その間合いのギリギリまでゆっくりと近づく……
――そして、思い切って前に踏み込むッ――
クルトは咄嗟に木剣を振り下ろす――だが、俺は踏み込むと同時に回避行動に移っていた。
勢いよく斜め前に転がると顔の真横から土を削る音が聞きえた…腹の底から沸き起こる恐怖心を押し殺してすぐさま立ち上がる。
クルトは驚愕の表情で固まっていた。
クルトの身体はすぐ目の前――俺は考える前に薙ぎ払うように木剣を出した――
「若!攻撃を避けるのに隙が大きすぎますぞ!」
「無茶を言うな……試合形式なのは今日が初めてなんだから」
剣術の鍛錬を四年になるが、こうして対人戦をやるのは今日が初めてだった。
これまでは剣術、槍術、弓術、乗馬の基礎を身体に覚えさせるためとまだ身体が出来ていなかったため、どれも実戦形式ではやらなかった。
「戦場は常に一対一では無いのですぞ!ですから常に一対多を想定して行動しなされ!」
苦笑いしながら、今度はマルコの後をルッツが引き継ぐ。
「ですが若、タイミングをずらしての奇襲という判断は良かったですよ」
「…そうか」
「ええ、相手は体力、リーチ、パワーと全てにおいて若より優れていましたから、勝機があるとすれば不意を突いての短期決戦しかありませんでした」
ルッツの賛同に内心喜びを感じながら、ふと思った。
――ルッツとマルコで叱る役と褒める役を分けているのだろうか?
それとも自然とこういう形に分かれたのだろうか?
「若!相手が新兵のクルトだから良かったものの、相手が熟練者なら構えで誘ってくることもありますぞ!」
「分かった分かった、今日の鍛錬はこれで終わりだったよな?俺はもう帰るぞ」
うるさいマルコの声を背中に受けながら、屋敷に足を向けた。
「――ルッツ、マルコ、アルスの様子はどうだ」
私、ルッツ・ヘーゲルの主君に当たるドミニク・ヴェルシュタイン様が若君の様子を尋ねた。
「剣術、槍術、弓術、乗馬、一通りの武術を指南いたしましたが、どれも同年代の水準以上はあります」
するとハインツ卿が口を挟む。
「お館様、若は今日初めて兵士と試合をしましたが、それにも勝利しました」
ニコニコしながら、まるで我が子の成長を喜ぶように付け加える。
「それにパウルから聞きましたが、若は文学の方も優秀なようで、王都から来た家庭教師の方々からもヴェルシュタイン家の麒麟児と称えられているとか、これでヴェルシュタイン家は安泰ですな~」
それを横目で見つつ、私はまた始まったかと、心の中で嘆息した。
――相変わらず、若の前と態度が真逆だな…昔から若が居ない時は態度が一変して他の家臣達に自慢しまくる癖はヴェルシュタイン家の家臣たちの間で有名だ。
「ほう……正規兵に試合で勝ったのか」
お館様は、僅かに驚いたような口調で呟く。
「ええ、とは言っても、新兵でしたが」
「新兵とはいえ、我がヴェルシュタインの精鋭に勝ったのだ、見事なことではないか」
ハインツ卿は、咎めるような口調でこちらを責める。
……まあ、ハインツ卿の言い分も分からなくない、今から三十年ほど前、先の大戦で大功を立てた先代の名声は高く、先代当主様の元に腕自慢達が集まった。
現在はその兵たちが代替わりしたとはいえ精鋭たちに鍛え抜かれた今の兵も近隣では精鋭として名高い。
例え新兵でも厳しい訓練を受けている正規の兵に変わりはない、その相手に十歳にも満たぬ少年が勝利したことは評価されるべきだろう。
「同年代より水準以上程度の実力では我が領の正規兵には敵わないと思うが……」
「……身体能力そのものは突出して高いわけではありません」
若の身体能力はせいぜい、同年代より一歩優れている程度だ。
「今回勝てたのは、若の冷静な観察力と思慮深さゆえでしょう」
成人した大人と十に成ったばかり子どもの間には歴然とした身体能力の差がある。
いくら相手に油断があったとしてもただ実直に攻めるだけでは負けていただろう。
だからこそ若は体力の差とそして相手の油断に付け込むことは一回しか通じないと判断して、速攻の奇襲を仕掛けた。
……一見当たり前のことに見えるが、それを十歳の少年が初の試合で実践出来たことが末恐ろしい。
「では、アルスに問題は無いのか?」
「……いえ、少し気になることが」
「何だ?」
「若様は、何処かご自身の境遇を正しく認識できていないのではないかと」
「……どういう意味だ?」
ルッツの抽象的な言い方にドミニクとマルコは首を傾げる。
「戦乱の世の領主の嫡男としての自覚が薄いかと」
「領主としての自覚か……」
「はい、鍛錬も意欲的というより作業をこなすような」
そう、若からは強くなって領民を守ろうとする気概も貴族の嫡男としてふさわしくなろうとする意欲も戦乱の世に生まれたからには家を大きくしようとする野心も感じられない。
まだ、十歳だからという言い訳は許されない。もしお館様に何かあればすぐでも家督を継承しなければならないのだから、戦乱の世に置いてそれは決して少ない可能性ではない。
「このままでは無自覚故の無責任のためいざという時決断できないでしょう」
「う、うむ……」
私の言葉に思い当たる節があるのか、ハインツ卿が悩まし気な様子でうなる。
「………」
お館様を伺うと何やら考え込んでいた。
「……明日、地下室にアルスを連れていく」
「地下室……まさか!」
地下室という単語にあることが脳裏に過る。
思わずお館様の顔を凝視したが、その表情からは何の感情も伺い知れることはなかった。
早朝いつもの素振りを終え、朝食を食べているときの事だった。
「アルス、朝食を終えたら私の執務室に来るように」
いつも無表情で感情の読みにくい父だが、心なしかいつもより緊張感が感じられた。
何処か不穏な空気を他の家族たちも感じたのか、母は不安そうに父の表情を伺い、姉は父とこちらの顔を見比べる。
「……はい、分かりました」
俺の返事を聞き終えた父は席を立ち、先に執務室に向かった。
その背中を見送ったセレスが尋ねる。
「アルス、あなた何かやらかしなの?」
「失礼ですね姉上、何もしていませんよ」
実際、自分には心当たりが無かった。
あえて覚えがあるとすれば、たまに黙って抜け出して城壁の塔に出かけることぐらいだ。
……まあ、貴族の子弟、それも嫡男が領内とはいえ、幼いころから一人で出かけることは大ごとなのだろうが……実際、最初は結構な騒ぎになった、だが意外にもその件で父に叱られることは無かった。
だから今更注意されるとも思えない。
「ですから、そこまで心配しなくても大丈夫でしょう」
まあ、楽しいことでは無いのだろうがな……
――そう心の中で嘆息する。




