不自由と旅立ち
「――あの条件を呑みますので、衣服を担保にする許可を頂きたいのです」
あれから、俺は執務室を訪れ、何度も葛藤した末の結論を告げた。
目の前の父は、いつもの無表情で〝そうか〟と一度だけ頷く。
「いいだろう、そのことに関しては許可を与える」
そして〝しかし〟と後を続けた。
「それで、連れてきた孤児についてはどう弁解するつもりだ?」
「何も……そもそも弁解する理由がありませんので」
「何だと?」
父は目じりを吊り上げ、此方を睨め付ける。
「お前は、特定の領民にだけを優遇する行為が正しいというのか?」
「そう言っています」
俺は迷いなく即答した。
その反応に父は、怒りよりも困惑した様子を見せる。
「父上はヴェルシュタインに貢献できる人間を雇ってもいいと言ったはずです」
「確かに言ったが――あの孤児たちがヴェルシュタインに貢献できるとでも?」
「それは結果で証明します」
「……ならば一年だ、あと一年で結果を出せ――それまでに結果で証明できなければ、どうなるかは言うまでもないな?」
その言葉には俺は元より、カイとミアの処分のことも含まれていることが察せられた。
「……ええ」
しかし、俺は悩んだ末頷くことで応える。
カイは貴族である俺を襲ったことから、本来ならそれだけで処刑ものだ。ミアは直接的な関係ないが、風邪の治療費の対価だとでも諦めてもらう。
――何度も言うがこれはただの慈善事業ではないのだ。
俺も既に多大なリスクを背負っている――それぐらいのリスクは彼らにも背負ってもらわねばならない――
どんな世界でもノーリスクでリターンを手に入れられることなどあり得ないのだから。
「……ならば、好きにしろ」
父から事実上の承認を得たところで、俺は一礼して執務室から下がった。
「こちらが、百グル(約二千万)になります」
百グルの入った皮袋を手渡してきたのは、御用商人であるロルフだ。
執務室から退出したあと、パウルを引き連れ借金をするために、担保の衣服を持ってロルフの店にやってきていたのだ。
「……思っていたより多いな」
皮袋を受け取りながら思わずそんな感想が漏れる。
――担保として持ってきた服は十枚に届かない、そして父から許されたのは子供服の御下がりだけだった。だから借金出来るのは、せいぜい五グルを超える程度だと予測していたのだ。
なのでロルフがヴェルシュタインの御用商人であることを込みしても、相場のほぼ二倍もの金額を貸してくれるとは驚きだった。
「多少色を付けさせて頂きました」
「……ありがたく使わせてもらう」
〝何を企んでいるのか〟と内心で訝し気に思いながらも大人しく受け取る。
――商人が好意で金を貸してくれるほど、お人好しで無いのは分かっていたが、今の自分には断る、などといった選択肢はなかった――
ずっしりと百グルの重みを手に感じながら、店の外に出る。
――現在は、この重さがそのまま自身の命の重みと言っても過言でない。
『金は鋳造された自由である』
これはロシアの作家、ドストエフスキーが残した言葉だが――
――俺はその言葉の意味を理解しているつもりで、正確に理解出来てなかったことに気が付いたのはカイとミアに出会った時だ。
初めてミアに出会った時、彼女は風邪を患っていたが、治すことが出来ないでいた。
それは――金が無ければ、病気を治すという、生命を維持するための最低限の自由ですら与えられないことに他ならならない――
金持ちに取っては只の風邪でも、貧困な人々にとって風邪は恐ろしい不治の病と何ら変わらなかったのだ。
だからその言葉の意味を理解して無かった俺が、無謀な石鹸作りで湯水のごとく金を浪費し、その結果自身の地位を賭けるという最大限の不自由に陥っているのは、ある意味必然であった。
――その命より重い金を――
「パウル、この金の半分をお前に預ける」
「わ、若様、どういう意味ですか?」
「その金で、石鹸作りに精通する人間を引き抜いて来てほしい」
「……私が、ですか……」
パウルは心底苦慮している様子だった。
――それも当然だろう、オイゲン伯爵領かフェルステン侯爵領、場合によっては両方に行かなければならないこともあり得る長旅である。
隣町どころかちょっと近くの森に出かけるだけで賊に襲われる世界だ。
――もう二度とこのヴェルシュタインに帰ってこられない可能性も十分考えられる。
「……分かりました」
「いいのか?」
反射的に訊き返したことで、軽い自己嫌悪を覚えた。
――いいも何も、パウル以上に信頼できる人間が居ないのだから、結局は行ってもらうほかないのに、訊き返す行為など偽善以外の何物でもない――
「……若様の状況は詳しくは存じ上げません」
そう、今回の石鹸作りに継承権や身分が掛かっていることは、父と俺以外知らない。
「ですが、今の若様の顔つきから、この一件に相当なお覚悟で挑まれようとしていることは察せられます」
パウルは真剣な表情で俺と向き合う。
「――主人がそれ程のお覚悟をお持ちなら、使用人も――このパウルめも覚悟を決めるのは道理のはず」
そして、洗礼された最敬礼をする。
「ですので、喜んでそのお役目果たさせて頂きます」
「……ありがとう」
周囲に人がいないことを確認したあと、一度だけ頭を下げた。
――立場故、主人である俺が頭を下げるところを他人に見られたら、寧ろパウルの立場を悪くしてしまう――それが自己満足だと分かってはいても、今は頭を下げずにはいられなかった。
「お任せください」
そんな情けない俺にパウルは何処か不敵な笑みで応える。
――それから、数日後パウルはヴェルシュタインを旅立ったのだった。




