同情心と内政
ボロボロながらも――最後に立っていたのは俺だけだった。
相手側で意識があるのは呻き声を上げている茶髪の少年だけだ――他の子供たちは気を失い地面に伸びていた。
彼らもこの貧民街に住んでいることから、数々の修羅場はくぐっているのだろう――
しかし、俺も実践や初陣を既に済ませ――他にも精神年齢に比例する思考力の高さがある。
それに、今よりずっと絶望的な修羅場を既にくぐり抜けているのだ――迷いが無ければ、同年代の子供五人程度、十分に勝利できる。
「……返して貰うぞ」
俺は地面に倒れ伏す、茶髪の少年から皮袋を取り返した。
「……待ってくれ……家に、病に伏せる妹がいるんだ……」
「ふん、そんな話信じるわけないだろ」
そんなベタベタな設定に騙される者などいるとでも思っているのだろうか?
「本当なんだッ、貴族様!」
「貴族様?――お前たち、俺が誰か分かっていて襲ったのか?」
今まで、彼らが俺のことを商人の子弟とでも勘違いしていると思っていたが、どうやら違うようだった。
「領主様の嫡子なんだろ!――一人で出歩く馬鹿息子だって有名だ」
「……馬鹿息子は余計だ」
まあ……確かに、今回も一人で城下町を散策していたが……
――ヴェルシュタインの麒麟児だとか、初陣を華々しい戦果で飾ったなど、いい噂もある筈なんだが――噂と言うものはやはり、悪いものが先行してしまう。
そこまで考えて〝いや、そんなことはどうでもいい〟と思考を振り払う。
「――どうしてわざわざ俺を襲ったんだ?」
そう――彼らは盗賊ではない、貧民街に住んでようと、このヴェルシュタインの領民である。
ならば、領主嫡男を襲って無事になどいられるはずなどないと子供ながらに分かるはず――
「お前ら全員無礼討ち――いや、下手をすれば反逆罪で一族郎党皆殺しされるとは思わなかったのか?」
勿論そんなこと不可能であり、するつもりもないが、彼らの本音を引き出すため、敢えて恐怖心を煽るような言い方をする。
「だから、言っているじゃないかッ!――病の妹を看病するために金が要るんだって、このままじゃ、妹が死んでしまう!」
「嘘じゃ無かったのか……」
確かに、ここまで切羽詰まっているなら、もはや相手など選んでいられないのかも知れない……
「……何処に居る、お前の妹は?」
気が付いたらそんな事を口にしていた。
「もしかして、助けてくれるのか?」
「……とにかく案内しろ」
俺の言葉に、茶髪の少年は連れて行っていいのか悩んでいる様子だった。
しかし、直ぐに選択の余地などない事に気が付いたのだろう――少し思案したあと同意の言葉を告げる。
「……分かった、ついて来てくれ」
茶髪の少年は、よろけながらも立ち上がり俺を先導するように歩き出した。
彼の背中を追いかけながら、これからのことに思いを巡らせる。
――俺は一体何をしたいのか――
この少年の妹を助けたいとでも考えているのだろうか……
もしこの行動が偽善からの同情心であるなら、今持っている金でも譲ってやればいい。それで自身の安い虚栄心も満足するはず。
だが――そんな意思は今の俺にはなかった。
だったら、どうして知ろうとするのだろう――待っているのは顔を背けたくなる現実だけのはずなのに――
「――着いた、ここだ」
ふと気が付くと、目の前に小さな家があった。
――正確には、ボロ小屋という表現の方が正しいだろうが――
中に入ると、そこには熱に浮かされる少女の姿があった。
「ミア、帰ったぞ」
茶髪の少年は寝込んでいる少女――ミアの側に座り込み優しく声を掛けた。
「……にい、さん」
一瞬、空耳かと思ってしまったほどの――蚊の鳴くようなか細い声。
「ここに居るぞ」
彼は悲痛な表情で応え、痩せ細りただ皮と骨だけのリアの手を握り絞める。
「……症状は?」
「最初、高熱が出たあと、震えがきて咳も盛んになっていったんだ」
症状だけを聞くとインフルエンザだが、茶髪の少年に感染してないことを考えると、風邪が悪化したのだろう。
正直、俺の感覚からすると〝なんだ只の風邪か〟といった感覚だった。
俺にとって風邪とは、前世の例を出すまでもなく、家で暖かい毛布を被り、栄養のある食事をとっていれば自然に治っている程度の病気でしかなかったから――
しかし、そんな当たり前の処置が、当たり前で無かったとしたらどうだろう?
あるのはボロボロの薄い布、食事など満足に摂ることも出来ない――そして、こんな隙間風の吹き付けるボロ小屋では野晒しにしておくのと大差ない。
――そんな状態で、風邪をひいたとしたら?
目の前で今にも息絶えたそうな少女がその答えだった。
「……親はどうしたんだ?」
「父親は母親が娼婦だったから知らない、その母親も物心ついた頃に流行り病で亡くなった」
少年は顔色も変えずに淡々と告げる――そのことが寧ろ悲壮感を漂わせていた。
「親せ――いや、他に誰か頼れそうな大人は居ないのか?」
その質問に茶髪の少年は、此方を睨め付けることで応える。
「その頼るはずの相手が、領主様じゃないのかよッ!」
少年の悲痛な叫びは、俺の心に深く突き刺さった。
――その通りだ、何を他人事のような立場で訊いていたんだ――
俺は領主嫡男だ、将来この領地を継ぐ立場だ、領民が苦しんでいるのに手を差し伸べないなど許されるはずない――
――先ほどは〝まだ領主嫡男だから〟や〝彼が強者だから〟と言い訳して、安直な戦闘という思考停止に逃げた。
同情することと、救いの手を差し伸べることが、イコールで無いように――同情しないから、手助けもしないというのは間違いだというのに――
同情心など関係なく、俺は手を差し伸べなければいけない立場ではないか――
そして、より多くの領民に救いの手を差し伸べる手段が〝内政〟だったんだ。
――地位を賭けてまで、内政に最善を〝尽くすか尽くさないか〟ではない――
逆なんだ、内政の――領民の為に最善を尽くすからこその領主であり〝領主嫡男〟という地位なのだ。
そうでなければ、貴族に――アルス・ヴェルシュタインに存在意義などない。
選択肢など最初から無かった――求められていたのは、最善を尽くす覚悟だけだったんだ。
そのことをやっと理解し、どうにかそう呟いた。
「……取引しろ」
俺は皮袋を茶髪の少年に投げ渡す。
「……くれるのか?」
「違う、やるのではない――それは契約金だ」
「契約?」
「ああ、金を渡すだけでは根本的な解決にはならないからな」
一時的に金を手に入れても、この境遇から脱出しないと意味が無い。
「……これから、ある計画を実行するつもりだ」
俺は選択による先行きの不安を押し殺しながら、どうにか告げる。
「その計画には一時的に人手が必要だ、だから、お前にその役目を――職を与えてやる」
「本当かよ!」
一度失敗して分かったが、石鹸作りには多くの人出が必要だった――前回は使用人で代用したが、今回は慈善事業を兼ねた雇用創造をしよう。
「成功すれば、下男としてヴェルシュタイン家で長期雇用も約束する」
「う、嬉しいけど、ミアは?」
「……出会った縁だ、女中見習いで雇ってやる」
「よっしゃあぁ!」
目に付いた人間だけ救うのは偽善なのだろう――でも、偽善から、始めなければ何も成せない。
「……喜ぶのはまだ早いぞ」
「え?」
「取引、と言っただろう?取引にはお互いメリットが有る筈だ」
当然、俺も人間だ――どれだけ領主嫡男の務めを果たそうとしても、結局一個人の自分を殺し切れるわけでは無かった。
だから我が身可愛さから、保険という自己保身に走る。
「……計画が失敗した時は――ここでの生き方を教えてくれ」
後悔と清々しさの入り混じった複雑な表情で、そんな情けないことを告げたのだった。




