金の重み
「――無理に決まっている」
俺は気分転換に城下町を散策していた。
――これでも現実逃避で街の外に家出しなくなっただけ、成長しているのだから我ながら救えない――
「自身の地位を賭けての石鹸作りなんて出来るはずない」
大金に伴う責任など、背負えるはず無かった。
「……別に父上は今までの失敗の責任を取らすつもりはないようだし、今なら手を引くことは出来る――無理する必要はない」
――俺は凡人で転生しようとそれは変わらないのだから――
虚しかったが、それでもそう言い訳せずにはいられなかった。
「……これからは無難に、普通の領地経営を始めればいい」
あらゆる問題から目を逸らし、ただそれだけを口にする。
そして、それからはもう何も口を開かず、ただ俯いて喧騒の街の中を歩き続けた。
すると〝ドン〟と通行人の一人とぶつかって思わずよろめく。
「おっと、ごめんよ」
相手は俺とほとんど変わらない年頃の茶髪の少年だった。
「ああこちらこそ、すまな――」
俯いたまま歩いていた自分にも非があるので反射的に謝ろうとしたが、既に茶髪の少年は走り去ってしまう。
急ぎの用事でもあったのか、と内心訝しげに思いながら前に向き直る。そして再び歩き出すため足を踏み出そうとした、その時――
あることが脳裏に過り、反射的に懐に手を突っ込む。
「――やられたッ!」
懐に入れていたはずの皮袋が無くなっていたのだ。
あの皮袋の中には、石鹸作りのため使い込んだ五グルの残金を忍ばせていた。
――具体的な金額を現代価値で表すと、約三万円。
この世界に転生したばかりの頃なら――
〝ふ、やられちまったぜ――持っていきな、戦利品だ〟とでもニヒルに微笑んで言い捨てたかも知れないが――
盗賊や今回の一件から、金の重さを身に染みて思い知らされた今となっては、一オス(約五〇円)たりとも他人に譲ってやるつもりは無かった。
「――あのクソガキがッ!」
口汚い罵倒を吐き捨てながら、急いで茶髪の少年を追いかける。
――相手が同年代の子供なら追いつくのは難しくないはず――
乱世の領主嫡男として日々鍛錬に耐え抜いた身体能力には自信があった。
だが茶髪の少年は、どんどん人通りの少ない入り組んだ裏道を駆け抜ける。
――相手の足が速いッ、これでは追いつけそうにない――
茶髪の少年との距離は一向に変わらないず、どうにか見失わないようにするのが精一杯だった。
しかし距離が変わらないということは、相手にとっても此方を振り切れないことを意味していた。
だから、振り向きざまにそんな言葉を吐き捨ててくる。
「――ッいい加減諦めろ!」
「そっちこそ諦めて金を返せ!」
そんな逃走劇をしばらく繰り返し、辿り着いた先は――暗く寂れた場所だった。
改めて周りを見渡すと薄汚い者達が集まり、空気がよどんでいるのが分かる。
――ここは、まさか貧民街なのか――
いや、驚くことではないか――ヴェルシュタインの人口でも、小規模とはいえ貧民街が形成されることは必然だ。
だが、それでも――目の前に現実を突きつけられ、自分がショックを受けているのが理解できた。
「チッ、結局ここまで追ってきやがった」
茶髪の少年が苦々しい表情で吐き捨てたその言葉に、俺は呆然とした状態から意識を取り戻す。
「……今は金が必要だからな」
「ここに居る俺達よりもかよ」
その返答に言葉が詰まる。
――石鹸を作るか作らないかに関わらず、今は内政の費用として少しでも多くの金が必要なのは確かだ。
しかし、それは最低限度の生活すら保障されないほど危機的状況で、可及速やかに金が必要なわけでは無かった。
――盗まれたのは、大した金額ではない――ならいっそ、このまま諦めるか?
そこまで、思案したところで一度頭を横に振った。
「……譲るわけにはいかない」
「……はッ、俺達のことは所詮他人事ってか」
此方を揶揄するような物言いに、俺は――
「その通りだ――少なくとも同情はしない」
しっかりと強い意志を感じさせる相手の瞳を見据えて言い切る。
俺は領主嫡男だ――将来は目の前の子を含めた領民を導かなくてはならない立場だ。
だが、逆に言えば、今は只の領主嫡男でしかない。
なら、目の前に居るのは対等な相手だ。
確かに身分差も経済的格差も大きいだろう――しかし、一個人として見るなら、相手は――否、彼は、俺に負けない身体能力を持ち、困窮した現状にも生きる意志を失ってないほどのバイタリティーがある。
つまり、目の前に居るのは強者だ――庇護を待つだけの弱者ではない。
なら同情する理由も意味もない。
――何故なら彼は強いのだから――
「はぁ、まあいい、時間稼ぎは出来た」
彼がそう告げると――物陰から五人の子供が現れる。
――強者と利害関係が対立したなら、ゼロサムゲームになるのは必然だった。