世界が変わったぐらいじゃ人間は変わらないらしい
「若様、お嬢様、お待ちしておりました」
城壁から階段で降りた先には十代中ごろの少女が佇んでいた。
臙脂色を基調としたエプロンドレスを着て、茶色い髪を肩辺りで切りそろえている彼女はセレスのお付き侍女であるリアだった。
現代風に言えば「美少女メイドキタコレ!」とテンションを上げるところなのだろうが、彼女と親しく会話することは無い。
彼女と不用意に親しく接すれば、将来の領主である自分に色目を使っているなどと噂を立てられかねない。
現代人の価値観から言えば、六歳に満たないガキに色目もクソもないだろうとも思うが、ただでさえ他の使用人や家臣からは、その容姿とヴェルシュタイン男爵家の長女であるセレスの側仕えの侍女という立場から嫉妬されていた。
それに彼女はヴェルシュタイン男爵家の家臣である騎士バーナー家の子女で、行儀見習いとして奉公していたが数年前に戦と流行り病で両親を早くに無くしたせいで彼女は後ろ盾をなくしてしまったことになる。
貴族社会において後ろ盾のないものの扱いはひどいものだ。
下手に俺が美少女だからといって彼女に優しく接すれば、使用人や他の貴族からの嫉妬ややっかみを生み今以上の不当な扱いを受けかねない。
そうした背景から彼女と親しくできないでいた。
「リア、待たせたわね」
「いえ、お気遣いなく」
お互いに笑顔で応じ合った二人。
セレスとは良好的な関係を結んでいることを傍目で確認しつつ、アルスは屋敷に向け先導するように歩き出した。
居館はヴェルシュタインの街の中心にある。ヴェルシュタインはアウレスト大陸の西部に位置するベルトキア王国の東端にある人口三千人ほどの辺境都市だ。しかし辺境都市といってもベルトキア王国全体で見れば相当小さな部類に入る。何故なら、ベルトキア王国の人口は推定で一〇〇〇万人を超えると思われるからだ。
十四~十五世紀のヨーロッパ〝全体〟の人口でも一億人は超えてなかったはずだ。
一概に比較は出来ないが、同程度の生活水準を有したころの中世ヨーロッパの国々とベルトキア王国の人口を比較すれば、大半の国よりこのベルトキア王国の人口の方が圧倒的に多いだろう。
考えられる理由はいくつかあるが、その一つに、飢餓に強いジャガイモが主食として五〇〇年ほど前から大陸全体で栽培されていたこと、二つ目に農業技術が高く小麦の収穫倍率が既に四倍以上だったこと、三つ目に、この世界にはキリスト教が存在しないためだと思われる、その代わり大陸で広く信仰されているキリスト教に酷似しているアゼスト教が存在するが、アゼスト教では水を有害なものとして考える教えが無い。
その為か、過去の日本の同様に、綺麗好きで入浴を好ましいものとする文化があった。
おかげで、史実の中世に比べて街がクソまみれで疫病が蔓延しまくるという最悪な事態にはなってない。
それでも現代日本育ちの俺に言わせれば酷いありさまだが……
ちなみに、この国には既に固形石鹸が存在している。
つまり、石鹸を独占しての内政無双は期待出来そうにない。
だが、製造法が確立しているのは、今のところオイゲン伯爵領とフェルステン侯爵領だけなので、独占は出来なくとも製造方法の情報は今のところ価値があるはずだ。
そして、最も大きな理由は大国からの大規模遠征がここ数百年間起きていないことだろう。
小国との小競り合いがせいぜいだった。
外廓に存在する数多くの商店が立ち並ぶ市街を歩み、ふと、目線を前に向けると我が家であるヴェルシュタイン城の城壁が見えた。
このヴェルシュタインも他の要塞都市の例に洩れず二重に城壁を張り巡らせた貝殻囲壁で、ヴェルシュタイン男爵家の領都であるこのヴェルシュタインの直径は約二〇〇メートル、城は領都のほぼ中心に位置するので一番外側の城壁の塔から約一〇〇メートルと言うことになる。
だから領都の端から中心まですぐ移動可能だ。
そして、俺は何処か憂鬱な気分で既に見慣れた城門をくぐった。
「そろそろ、アルスに剣術などの鍛錬を始めさせる」
執務室に入るや否や、黒髪を短くそろえ、眼光の鋭い瞳の壮年の偉丈夫が口を開いた。
目の前の男こそ、この世界での自分の父親に当たり、ヴェルシュタイン男爵家当主ドミニク・ヴェルシュタインだった。
「…鍛錬ですか」
「そうだ、お前の身体が出来るまでは読み書きや算術を中心に勉強させようと思っていたが、お前は知恵付きが早く、パウルがもう私では教えられることがないと嘆いていたぐらいだからな」
パウルとはヴェルシュタイン家に仕える若い執事のことで、ここ数年俺の教育係を務めていた。
「将来的には軍略や農業、経営など、それに必要なら王都から専門的な知識を持つ家庭教師も呼びたいと思っている」
だが、と父は後を続け、
「それより先に、お前には武術の習得を優先させる」
睨み付けるような眼光でこちらを見据えながら、低い声で呟いた。
「身体が出来てないからといって周りは待ってはくれない。今は王国歴史上最大の乱世なのだ」
――そう、俺が生まれた時代は王国歴史上最大の内乱と評されている、乱世の時代だった。
そもそも、なぜベルトキア王国はこのような内乱に突入したのかというと、簡単に言えば継嗣争いがそもそもの原因だ。
今から約四十年前、当時の若き王ルカルト・ベルトキアが原因不明の急死、そして正室との間に嫡男が生まれてなかった王家は、次期王を誰にするかで混乱していた。その現状を見て二人の有力諸侯が次期王に名乗りを上げた。
一人は亡き王ルカルトの実の弟、アレン・リヴァレスト公爵。
リヴァレスト公爵家は名門中の名門で、その血筋は初代王家に連なり、幾度も王家と婚姻を繰り返し、王国内で影響力と権威を維持していた。
ルカルトの弟、アレンを婿養子としてリヴァレスト公爵家に迎い入れたのも、その一環である。
そして、もう一人はルカルトの実姉であるヴィクトリア王女を妻として娶り、ルカルトの義兄であった、フェルナンド・アルバス公爵だ。
アルバス家も名門だが、家の歴史そのものはリヴァレスト公爵家と比べると一枚落ちる。
だが、近年勢力を急激に伸ばし、実力そのものはリヴァレスト公爵家に勝る勢いだった。
そしてこの二人の諸侯によって王国を南北に分裂した継承戦争の内乱に突入することになった。
両者の実力は肉薄していて約十年もの長きに渡って争った。
これ以上の戦争継続は不可能と考えた両者は決着を付けるため王都の西南に広がるヘルズ平原の地で決戦の構えを取る。
ヘルズ平原に集まった兵の数は両家合わせて二十万を超えたと言われている。
これは文句なしに王国歴史上最大規模だった――そして数時間に及んだ激戦の末、アルバス公爵の勝利という形で長きに渡った継承戦争は終わりを告げた。
しかし、長きに渡った内乱の影響で王家にも一応の勝ちを収めたアルバス公爵にも、もはや力はなく衰退の一途をたどった。
これにより王家の中央政権としての権威は失われ、そしてそれは――群雄割拠の戦国乱世の幕開けを意味していた――
「亡き父、クラウスが残したヴェルシュタインの地を他の者に奪われるわけにはいけない」
我が祖父クラウスは、元々アルバス公爵家の騎士であった、ヘルズ平原の決戦に置いて、戦いの趨勢を決めるほどの決定的な働きをしたとして男爵位に陞爵され、このヴェルシュタインの地を与えられた。
俺が生まれる直前に亡くなったらしい。
「指南役としてルッツとマルコに声を掛けておいた、今日の午後から鍛錬を始めよ」
父の既に決定事項というような物言いに内心不満はあったが、そのことを口には出さずただ頷くだけに努めた。
「はぁ…はぁ…」
素振りのため手に持った木剣を地面に突き立て、重苦しい息を吐く。
「若、誰が休憩しても良いと言いました?まだ100回にも達してないですぞ」
目の前で逞しく引き締まった腕を組み、見下ろすように言い放ったこの男こそ、男爵家の重臣マルコ・ハインツ騎士爵だ。
彼は祖父クラウスが英雄と呼ばれることになった先の大戦に従士として従事し、その功績を認められ騎士に叙勲された。その為祖父クラウスと共に領内では英雄視されている。
もうすでに四十半ばを過ぎ、この世界の平均寿命では既に老人と言っていいはずなのにその巨大な身体と引き締まった筋肉からは衰えを感じさせない。
「まあまあハインツ卿、若は今日が初めての鍛錬ですから、ペース配分を考えてやりませんと」
二十代の優男風の青年が苦笑いしながらマルコをなだめる。彼もまた男爵家に仕えている家臣の一人であるルッツ・ヘーゲル騎士爵だ。
彼は基本的に穏やかな性格をしているが、いざ戦場に立つとその優男の容姿から一転して凶暴な性格になる。そしてその時の武勇も凄まじく、それ故まだ若いながらも家臣の誰もが彼には一目置いていた。
「…そもそも、戦場で剣術なんて役に立つのか?私に必要なのは指揮能力であって剣術など必要ないのではないか?」
元の世界から運動嫌いだったことから、ゆとりらしい言い訳を始めてみる。
「若!今からそんなことでどうしますか!」
「…どうせなら弓術の方が役に立ちそうだが」
「確かに、若はヴェルシュタイン家の嫡男、先ず前線に立つことはまずないでしょう」
ルッツが同意するように頷く。
「…なら「ですが、戦場だけが剣術が必要な場面ではありません、この乱世、治安は最低と言っていい、なので自衛の手段として剣術は必要です」」
遮るように言葉をかぶせ、後を継いだ。
「剣術はとてもシンプルな武術です。我々家臣を統率するためにも剣術という分かりやすい武力を利用することは重要でしょう?」
理論整然と諭すように言われると何も反論できない。
「それに、ちゃんと弓術も収めていただきますからご安心ください」
人のよさそうな笑みで言ったルッツの言葉に、鏡で見るまでもなく、引きつった笑みを浮かべているのが自分でも分かる。
俺は一度大きくため息をついた後、おとなしく素振りを再開したのだった。
「アルス、剣の鍛錬はどうだった?」
父が俺にそう尋ねたのは、剣の鍛錬を終え、食堂で夕餉を食していた時だった。
「…初めてでしたのでまだ何とも」
「そうか」
家長の席に座る父は、自分から尋ねておきながら興味なさそうに頷く。
「アル、体に気を付けるのですよ」
向かいに座っている妙齢の女性が、食事の手を止め気づかわしげに告げる。
「心配して下さりありがとうございます、母上」
彼女がこの世界での母親に当たる、ニア・ヴェルシュタイン夫人だ。
セレスの銀髪は、この母譲りだと理解できる、輝くような銀の髪に紺青の瞳、僅かに垂れた大きな瞳と豊満な胸、二十も後半に差し掛かろうと言う歳なのに老いを感じさせないその肌から、未だに幾人の男を魅了しているだろう。俺も息子として育てられなければそういう感情も抱いていたかもしれない。
「アルにぃ~僕にも剣をおしえて~」
隣の下座にすわる三歳下の弟、ラルフ・ヴェルシュタインは上目使いで教えを乞うてきた。
「ラルとリーゼはまだ読み書きから始めないとね」
母の隣に座っていたセレスが微笑まし気に、弟とその隣に座るラルフの双子の妹のリーゼ・ヴェルシュタインに笑いかける。
リーゼに視線を向けると、恥ずかしそうに黙って頷く。
元気いっぱいのラルフとシャイなリーゼは中々対照的な双子だった。
――姉は現代でもいたが、弟と妹はいなかった。だから新鮮で素直に可愛いと思う。
まあ、それも今のうちだけかもしれないが……
それに、セレスと違って俺が生まれた後に母が生んだこともあって、自然に受け入れられた。姉と違って現代と比較出来る人物がいなかったことも大きな理由だろう。
――だからこそ、他の兄妹との距離を感じてか、たまにセレスが寂しそうに笑っていることがある。
……申し訳ないと思う。それでも彼女を見ていると現代の姉とのギャップと違和感、そして現代に対しての未練を嫌でも意識してしまう。
その為セレスにはどうしても他の兄妹の様に接することが出来なかった。
気付いたらセレスに視線を向けていた――すると目が合い彼女が笑いかける。
――それにどうにか笑顔を返し、すぐに視線を逸らしたのだった――




