出陣
広場に辿り着いた時には、既に百人を超える兵が隊列を整えていた。
ヴェルシュタインの直轄兵は約百五十人、なので今回の戦には三分の二が参加することになる。
今は父、ドミニクが壇上で演説していた。
「――兵士諸君の比類なき勇気と忠誠を期待する」
やっと長い演説が終わった、そう気を抜いていたら不意を突かれる。
「次に、この戦の大将を務める我が嫡子、アルス・ヴェルシュタインである」
そして最後に〝壇上へ〟と付け加えた。
――そんなこと言われても、演説内容なんて考えてないんだが――
名指しで呼ばれたからには仕方ないので、戸惑いつつも壇上に登る。
――中々の威圧感だな――
壇上から全体を見渡したが、隊列は一糸の乱れもなく、このことからもヴェルシュタインの兵は精鋭との評価は嘘ではないことが分かる。
「え~兵士諸君、今回の大将を務めるアルス・ヴェルシュタインだ」
その言葉に、ざわめきは起きなかったが、少なくない数の兵が顔を曇らせた。
「諸君の中には、私が大将なことが不安な人間もいることだろう」
――当然だな、初陣故に功名心で、下手な指揮でも執られたら兵士である彼らには命に関わるのだから――
「だが、安心してほしい――直接の指揮はハインツ騎士爵が執る、私は後方で戦について学ばせてもらうつもりだ」
――兵が目を見開いて驚いている――まあ、自分で神輿だと宣言しているようなものだからな――
「……皆も噂で聞いているかも知れないが、事情があり私は賊に襲われた――」
まさか――嫌なことがあったので家出したところを襲われました、とは言える筈もなく事情という形で誤魔化した。
「私の背中にはその時、賊に襲われた傷跡が残っている」
俺は一瞬だけ悲痛な表情を見せるように努める。
「賊をこのまま野放しにしておけば、領民は私のような――否、もっとひどい災厄に見舞われるだろう」
――領主に求められるのは、兵士に大義名分を与えることだ――それは時に、指揮能力や策を生み出すことより重要な能力だった。
「そんなことは決して許してはならない!諸君らの忠誠と勇気を持って、残忍なる賊共を殲滅するのだッ!」
「おおおおぉぉぉ!」
ヴェルシュタイン中に響き渡るかのような歓声が上がる。
そして、その高まった士気のまま、俺は号令をかけた。
「出陣するぞ!」
森の中を、二百人近い軍勢が進行していた。
実数としての戦力としては百人ほどだが、野営などの物資を運ぶために後方支援に従事している者や道案内で雇った猟師など、様々な役目を持つ人間が従軍した結果、実数の倍近い軍隊になっていた。
これでも、領内での戦闘なので、兵站の大半を兵士たちの自己携帯で済ませられるのが救いだろう。
領内でたった百人を動かすだけでこれほどの人間が必要になる。これが、遠征だとどれ程の数になるのか――想像もしたくないな――
「若、先ほどの演説はお見事でした」
名目とはいえ総指揮官なため、小さめの牝馬の上で揺られながら行軍していると、ルッツが並列して話しかけてくる。
「領民、家臣の誰もが、若を次代の領主としてお認めになったことでしょう」
「……だと、いいがな」
あんなに大勢の人前で何かするなど、前世での合唱コンクール以来じゃないだろうか?
だから、人前に立つ耐性が付いて無かったので、上手く話せた自信は無かったのだが――
――ああ、そういえば俺は未だ十歳だったな……前世の記憶があると自分でも忘れそうになる。
身体は子供、頭脳は……大人?――大人というより中二?
まあ、どちらにせよ身体年齢よりは高いのだが、十歳目線で見れば、及第点だったのか――
「そうでしたぜ、若様」
次に声を掛けてきたのは、今回の戦に従軍している騎士である、ライナー・クレンゲル騎士爵だった。
ヴェルシュタインに詰めている六人の騎士全員を連れていく訳にもいかないので、六人の内二人は父と共に留守番で、残り四人が兵を率いてこの軍に同隊していた。
その四人の内の一人が、ライナーだった。
彼は、ルッツよりさらに若い二十代前半の男だ。
初陣は既に済ましているが、戦の経験が少ないことから、賊討伐という比較的簡単なこの戦に参加していた。
ある意味、俺と似ている境遇とも言える。
「普通の貴族なら、自分を傷つけられた名分で軍に号令を掛けるだろうに、若様は領民の為という、大義名分を優先されました」
ライナーは先行している部隊から、顔を此方に向ける。
「常に領民を想う姿勢は名君の素質ですぜ」
「……クレンゲル卿、何度も言っているが若に対しても、正しい敬語を使ってはどうか?」
「はは、すみませんね……ヘーゲル卿、何度も言いますが癖なもんで」
「……相変わらず、軽い奴だ」
ライナーのいつも通りな対応に、ルッツの口から思わずため息が零れた。
それを尻目に、俺は一人考え込んでいた。
――ライナーは領民の為と言ったが、事実は少しだけ違う。
勿論、領主嫡男としての立場も、意識していたが、それ以上にセレスのことを意識していた。
自分が襲われた事実を強く意識させることは、セレスが襲われた事を意識させる事にも繋がるので、それを避け上書きするために、領民の為という大義名分を利用した。
まあ、一時的なことでしかないだろうが……
ふ、と自嘲の笑みが零れる。
俺は、人の上に立てる器ではないな――
今回の戦、指揮はマルコに任せているとはいえ、名目上は俺がトップだ――重要な決断は自分がしなければならない――
人の上に立てる器で無い俺に、それが出来るのだろうか――
――出来ることなら、そんな決断したくない。
それが無理なことだと理解していても――そう願わずにはいられなかった。




