考察
――ふと、我に返ると周囲は盗賊達の呻き声に溢れていた。
「え――ど、どういうことだ?」
俺はこの状況が理解できず、思わず疑問の声を上げた。
だが、それも一瞬のこと、すぐさま最優先事項を思い出す。
「いやッ……そんなことよりセレスの容態だ!」
セレスの傍まで駆けだし、膝を付く。
俺は――震えながらも、セレスの脈拍を測る。
「良かった……まだ生きてる!」
脈拍は確かに弱弱しいが、その奥には未だ命のぬくもりが感じられた。
すると、ヴェルシュタインの方角から数十人の騎馬隊が此方に駆けてくるのが確認できた。
その中で見覚えのある騎士が一騎、先行している。
「若!ご無事ですか!」
「ルッツ!」
助けがきた安堵から、泣きそうになりながらも応える。
そして、今度は目眩のような感覚を覚えた。
――あ、やべぇ――
ルッツの姿を視界に収めたことで、今までの疲れが一気に襲ってきた。
目眩んでうっすらと意識がかすんでくる。
俺はその感覚に耐え切れず、そのまま地面に転倒したのだった。
――目が覚めると、そこには見慣れた自分の部屋の天井があった。
「…痛ッ」
身体を起こそうとしたら、背中に激痛が走る。
――そう言えば、怪我していたんだっけ――
未だ意識がはっきりしない頭でそのことを思い出す。
服を捲ると、怪我は包帯でしっかりと治療されていた。
するとコンコン、とノックがしたあと、〝失礼します〟と呼び声が掛けられる。
「……パウルか」
ドアから顔を出したのは二十前半の青年、彼はヴェルシュタイン家執事のパウルだった。
「若様!お目覚めになられたのですか!」
「ああ、つい先ほどにな」
「良かったです……これでお二人ともお目覚めになったようで」
「そうだ姉上だ!姉上はご無事だったのか!?」
パウルの言葉に反応して、掴みかからないばかりに詰め寄る。
「――ッ!」
その瞬間、背中に走る激痛。
「あまりご無理なさらないでください」
「いいから、姉上の容態を教えてくれッ」
「お医者様の話では、セレスお嬢様も若様も運よく傷が浅く、骨にも内臓にも達していないようです、ただ お二人とも血を流し過ぎてあれ以上放置していたら危ないところでしたが」
「それは良かった……」
俺は何よりも聞きたかったセレスの朗報を知って安堵の吐息を洩らした。
「ですが、油断は出来ません、化膿の心配もないわけではありませんから」
「化膿……そうだ!姉上にどのような処置をしたんだ!」
史実の中世の医療は酷いものだったと聞いたことがあるのを思い出した。
――俺は、前世の記憶を極力周りの人間に教えないよう注意してきた――
――相手や、この世界そのものにどう影響を与えるのか予想が付かなかったからだ――
――下手に出しゃばって、誰かに利用されたり、不気味がられて排除されたりしたら堪らない――
そうして注意して生きてきた現在ですら、変わり者だという評価を得ている。
だけど今回は――もし間違った知識で治療しているのなら、前世の知識を――チートを使うことも辞さないつもりだった。
しかし、そんな覚悟は無駄に終わった。
「は、はあ、お医者様で無いので詳しくは分かりませんが、おそらく加熱したウイスキーで傷口を消毒して、コカの葉を抽出したもので麻酔をかけて―――」
「ちょ、ちょっと待て、消毒?麻酔?」
馬鹿な――史実で消毒が確立したのは中世というより近代、ましてや麻酔など現代からたかが百五十年ほど前の事でしかなかったはず――
「おや、物知りの若様も分からないことがあるのですね」
パウルは俺の驚きを勘違いしたのか、何やらしたり顔で説明し始める。
パウルとは使用人の中で一番付き合いが長いためか、たまに気安い空気になる。
――しかし、このしたり顔はイラっとくるな…俺が普通の貴族なら打ち首ものだろ――
「麻酔とはですねぇ、痛みを――」
「勘違いするな消毒も麻酔も概念そのものは知っている」
「はあ、では何について驚いたのですか?」
「それは――」
〝いつからこの世界に現れたのか?〟と続けそうになり、途中で少し拙いことを言ったことを自覚する。
全くの無知ならともかく――概念そのものは知っているくせに、いつごろから使われ始めたのかも分からないとは、おかしな理屈になることに今更気が付く。
――しまった、パウルのしたり顔がウザすぎて、咄嗟に知っていると言ってしまった――
――仕方ない、一旦誤魔化して後で調べておこう。
「いや、そんなどうでもいいことより、化膿の心配は今のところ無いんだったな」
「はい、基本的にこの治療法で化膿することは歴史的に見ても少なくなっていますから」
仮にこの医療法が適切でなかったとしても、俺にはこれ以上適切な治療法など知らなかった。
それもそうだろう――前世にただの高校生でしかなかった俺には知識チートと言っても、応急処置ぐらいしか知らない。
消毒も麻酔も確立しているこの世界の医療水準なら、もう専門家である医者に任せた方がいいだろう。
もしかして――俺の知識チート、ショボすぎ…?
俺が転職というより、転生しなおしたい気分に陥っていると、パウルが忠告してくる。
「若様も麻酔明けなのですから、ご無理なさいませんようご自愛ください」
「麻酔?私にも麻酔を使ったのか?」
「当然でしょう、そうでなければ今まで呑気に眠れませんよ」
どこか、棘のある口調。
「……無礼だぞ」
「それは、失礼しました」
パウルが慇懃無礼に頭を下げた。その様子は何処か怒っているようだった。
「しかし若様、あの様な暴挙は二度と御止めになって下さい」
暴挙とは、一人で森に言ったことだろう――確かにあれは暴挙以外の何物でもない。
正直――この異世界の危険性を正確に認識していなかった。
貴族の嫡男として大切に育てられた俺は、乱世とは頭では分かっていても、実際に自分が危険に遭遇したことなど一度も無かった。
――だから危機感と想像力が致命的なまでに欠如していのだろう――
「どれほど、沢山の人間がご心配したと御思いですか?」
「……すまなかった」
「私に対して謝るのではありませんよ、もっと、謝るべき方達がいるはずです」
パウルの言葉にただただ頷くしかなかった。
「それでは、お館様とお医者様にお知らせしてきます」
一礼して下がるパウルを見送ったあと、ヘッドボードの高いベッドに横たわる。
見慣れた天井を眺めながら、今日の出来事を振り返る。
――あの感覚は一体何だったんだろう――
セレスが俺の代わりに傷つけられたあの時、異常と言っていいほど思考がクリアになった。
――復讐心による敵への憎悪で殺しに対する忌避感が薄れたからあそこまで迷いなく戦えたのか?
――いや、あり得ない――
現実において復讐が達成されるのは常に結果的でしかない。
――ただ復讐に狂ったぐらいで結果が伴うほど世界は個人に優しくはない――
なら――セレスを守りたいという意思が、土壇場で限界を超えさせただとか、秘められし未知の力が覚醒した、などか?
「……俺のこの病気はもはや不治の病だな」
――それも死んでも治らないぐらい末期の――
それにもし仮に俺がそういう英雄なり主人公なりの星の下に生まれたとしても、せいぜい出来たのはセレスを逃がす時間を稼ぐだけの自己犠牲でしかなかっただろう。
――そしてそれは最悪の形で否定されたではないか――
第一限界を超えると言っても身体能力そのものは変化無かった――変わったのは精神的な面だ。
だとするなら、ただ単に俺という存在がそういう性質なだけでしかないのだろうか?
――まあ、それが一番納得できるが――
――性質とするならそれは先天的なものかそれとも、後天的なものなのか――
アルス・ヴェルシュタインとするならそれは、先天的なものだと断言できる、何と言っても前世で経験していたからな……
しかし、高島圭一として考えた場合はどうだろうか?
先天的なものか、それとも――
そこまで考察して、一度頭を横に振る。
――何だか、頭に靄がかかっているようだ――
そして疲れから、もう何も考えずに束の間の休息を選んだ。