ここに在り
満月の晩のこと。
城の中では最大級の巨大ホールで、王家専属の音楽団が国歌を演奏していた。その音楽団の指揮者は穏やかに、しかし心を込めて指揮棒を揺らす。右へ、左へ、一定のリズムを以って様々な楽器の音を一つの音へ――音色へと変えていく。今回の演奏は過去でも類を見ないほどの上出来だ、と指揮者はそう確信した。魂が震えるような、そんな想いを起こさせる音色は、風に乗って開かれた城の上層の窓から城全体を包み込む。城は美しい音色に溢れ、それは厨房にも響き渡っていた。
普段は料理長の怒声で溢れる厨房も、演奏中は静寂を保っている。ただ炒める音、肉を切る音、皿を洗う音のみが聞こえる。国歌の演奏が終わったが、それでも料理長の怒声は聞こえなかった。誰が言うまでもなく、料理人は手際よく調理を進める。それは一切無駄の無い、洗練された技術である。そんな張り詰めた厨房の雰囲気に呑まれながら、下っ端であるメイドは気を引き締めた。やがて全ての料理が完成し、料理長の一声でメイド達が城中へと運び出していく。下っ端のメイドもまたそのうちの肉料理を手に持ち、数人のメイドと共に廊下を駆けた。辿り着いたのは兵舎である。料理を見た兵士たちは一斉に群がり、骨の付いた肉は飛ぶように無くなっていった。兵士たちはメイドへ口々にお礼を言う。それは運んだお礼か、作ったお礼か、それとも――。
兵舎に詰める兵士の一人はメイドから受け取った骨付き肉をジッと眺めていた。 それから、まるで空腹を思い出したかのようにがっつく。そして一気に肉を平らげ、骨になったそれをまた無言で眺めていた。そんな兵士の肩を叩いたのは兵士の友人だ。思いつめた様子の兵士をからかって笑った。笑われた兵士は口を尖らせて友人へ文句を言う。そんな楽しげなやり取りに、また一人加わろうとする者がいた。朗らかに笑顔を浮かべて近寄る軍服の男、それとは対照的に二人の表情は石のように固まり、敬礼した。だが、軍服の男はそれを苦笑し、気軽に接するように言った。軍服の男が言うには、これから国王と話さなければならないらしい。その前に、気を楽にしたかったそうだった。
二人の兵士と別れた軍服の男は長い廊下を経て、巨大ホールへと足を踏み入れた。そこでは先程、見事な演奏をこなした音楽団がそのホールの傍らで小休憩を挟んでいる。そんな景色を横目で見ながら、軍服の男は真っ直ぐにテラスで談笑している赤と金の刺繍が入った服に身を包む青年へと歩いて行く。それに気付いた青年は笑顔を浮かべて、親しく呼びかけた。公衆の前で呼ばれた昔のあだ名に、軍服の男は僅かに面喰らう。しかしまた、軍服の男も親しげに青年の名を呼び二人は破顔した。普段では到底許されない行為も、咎める者は誰もいない――それどころか、周りを見れば似たようなものだった。
軍服の男と青年の話し合いが終わり、軍服の男は一歩控える。青年はテラスから、この城の全てに聞こえるように声高く演説を行った。地上から見れば、きっと月と青年が重なって見えただろう。長く、それだけの気持ちを込めた言葉は地上から称賛の声が上がった。音楽団の指揮者は指揮棒を握り直し、下っ端メイドは祈るように両手を胸にあて、兵士たちは敬礼し、軍服の男は小さく手を叩き、青年は笑みを浮かべた。
長いようで一瞬の夜。
そして、夜が明けた――。
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「聞け!」
軍服の男は壇上に立ち、数多の兵士たちを見下ろしている。あの青年と親友である軍服の男はこの戦場の総指揮を任されている。だが、戦況は最悪で敵は目前に迫っている。その影を前に、軍服の男は歯噛みした。宣戦布告も無い奇襲攻撃により、為す術もなく追い込まれてしまったのだ。正面衝突すれば、軍服の男はこの精鋭達がどの国の軍にも負けない自信があった。
だが、いくら願っても戦況は覆らない。失った同士は数知れず。だが、軍服の男には役目があった。果たすべき任務があった。
「全軍前へ! 全軍前へ!」
前方に見える敵兵は無数。勝敗は火を見るより明らかである。それでも、兵士たちの士気は今まで最も昂っていた。
「我らが誇りを――ここに示せ!!!」
威勢の良い返事と共に、兵士たちが敵の荒波へと突撃していく。数の暴力を前に、それでも噛みついていく。決して、兵士は怯まない。全軍前へ、全軍前へ。後ろに進むべき道は無い。
敵の濁流に飲み込まれながらも兵士たちは勇敢に戦い、そして一人、また一人と散っていく。軍服の男もまた、十三人の敵を屠った後に敵の剣を身に受け、地に伏した。それでもそこから一人を討ち取ったという。
実際のところ、兵士たちの多くが王家の守護を掲げているわけでは無かった。
前線で展開していた王家軍の本隊は、敵を二時間ほど押し留めるに過ぎず、敵の魔の手はとうとう城にまで伸びる。
「前線の本隊は全滅したらしいな」
城壁から敵兵へ弓を射る兵士がそう言うと、同じく弓を射る友人が返した。
「将軍様も――殉職したのか」
今まで長く国に仕えて来た二人だが、実際に将軍と話したのは昨日が初めてだった。それでも、知人となった者の死は、何とも言えない悲壮感を伴う。しかし、将軍らが取った行動は決して無駄では無かった。多勢で押し切れると余裕を見せていた敵軍は、余りの士気の高さに警戒の色を示したようだ。それに加えて堅牢なこの城壁は、そうやすやすと突破されるようなものではない。
「どうせならこのまま帰ってくれ、全力で!」
「この城壁を突破させるものかよ!」
強く振り絞った弦が唸り、放たれた矢が敵兵の一人を仕留めた。もう一方は馬を射貫き、一人を落馬させた。
しかし、悲しい事に二人の兵士の願いは叶わないようだ。敵軍は城門から城壁へ標的を切り替え、梯子を掛けてよじ登ってくる。必死に応戦してもまるで無限のように沸き上がってくる敵に、疲労の色を見せた箇所から突破されていく。そしてとうとう、城壁への侵入を許してしまった。二人は弓を捨て、腰の剣を引き抜いた。そして、登ってきた敵兵を睨みながら言う。
「絶対に抜かせねェぞ!」
「もちろんだとも!」
決意を固めた二人の背中を押すように、ある音色が聞こえてくる。これは、或る意味を持った号令であった。その意図を真っ先に理解した近くの兵士が絶叫するように吼えた。それはすぐさま城壁守備隊の兵士に伝播していく。二人もまた顔を見合わせて、声高に叫びながら敵兵へと突っ込んでいった。
「全軍前へ! 全軍前へ!」
彼らの背後に退路は無い。退けば最後、掛け替えのない家族を、友人を、親友を、愛人を、誇りを――その全てを失う事になるのだから。
前線の反対側では非戦闘員の亡命作業が進んでいた。子供や老人や平民を先行隊として派遣したため、王家の従者たち――その一人である下っ端のメイドは未だに城内にいた。地鳴りはどんどん勢いを増し、轟音は少しずつ近付いてくる。下っ端のメイドは、流れ出た演奏の意味を知っていた。
男たちは己の何かを懸けて、その為に死んでいくのだろう。それは余りにも愚ろかで、それは余りにも輝かしい。守りたいものを守るため、明確な死を理解しながらも果敢に敵へ特攻していくのだ。
やはり下っ端のメイドは祈る。何の権限も無い下っ端のメイドに出来る事などそれぐらいであった。神に請うは男たちの無事か、冥福か。どちらにせよ、一心不乱に神に祈りを捧げた。
「早く行きますよ! 私たちが逃げ遅れたら、あのバカな男どもに顔向けが出来ません!!」
先輩のメイドが泣き声を押し殺した声を上げて、下っ端のメイドを叱った。
「すみません、今行きます!」
亡命する最後の部隊が合流し、全員が馬車に乗り込んだ事を確認すると一目散に城を脱出する。馬車の後方から見える城は少しずつ、少しずつ遠くなっていく。きっと今も、男たちは何かの為に戦っているのだろう。それに、下っ端のメイドは何と言うべきか迷った。そして、やはり祈るように胸に手をあて、言葉を紡ぐ。
「ありがとう、ございました」
指揮者は生涯最後の演奏を行う。既に若者達は亡命部隊に合流し、今頃はもう安全な場所へ逃げているはずだ。残ったのは国と運命を共にしようとする老骨ばかりであった。その音色は若者らしい猛々しさに欠けたが、技術を重ねて洗練された美しさがあった。この音楽団の設立者である指揮者は、古くから、音は人に何らかの影響を与えると考えてきた。故に指揮者は、この場所で音色を奏でるのだ。指揮者は言葉で語らず、音で語る。全ての兵士たちへ、「全軍前へ! 全軍前へ!」と。
背後で、バンッと扉を蹴破られた音がした。それでも演奏を止めない。ドタバタと無遠慮に入り込む足音がした。それでも演奏を止めない。例え殺されても、演奏を止めない。
最後の一兵も音で支え、勇敢に戦えるように。
王室を制圧した敵国の兵士の一人は床で息絶えた死体を見下ろした。既にあの麗しい音色は無く、残ったのは瓦礫の山と大量の死体だけ。制圧部隊の投降勧告を断り、腰に差した剣で応戦してきたのは。
曰く、青年は国王であったと。
曰く、兵は勇敢に戦い死んだと。
曰く、その国王が戦わずしてなんとすると。
その生き様を見て、その敵国の兵士は誰にも聞こえないような声で小さく呟いた。
「王家、ここに在り――か」
戦敗国は戦勝国に併合され、歴史の舞台から姿を消す事になる。だがこの日の事は、世界のどこかで誰かに語り継がれていくことだろう。それは亡命した下っ端のメイドか――あるいはあの敵国の兵士のように。




