精霊
「あぁ、なんてきれいな泉!!……」
ハリエットは、思わず呟きました。病に効くという霊泉を探して、はるばる西の片田舎まで旅して来たのですが、様子は噂と違っています。もしかしたら、別の場所なのかもしれないと思った矢先、遠くで馬のいななきが聞こえました。ハリエットは、はっとその方向を見ると、泉の対岸に馬と人影が現れました。ハリエットは、驚いて咄嗟に近くの木陰に身を隠しました。
白い馬と現れたのは、これまた白い長衣を着た長い黒髪の女性と、立派な格好をした紳士でした。紳士は赤毛で、左手に杖をついていました。女性は馬をひいて水辺へ近づきます。その二人の容姿の美しさといったら!!
特に、黒髪の女性は朝の月のようでした。それに、周りの空気を清澄にさせる雰囲気があります。妖精がいたら、きっとこんな感じだろうと、ハリエットは木陰に身を潜めながら思いました。
黒髪の女性は、泉に片手を浸して何度か掻き混ぜる仕種をしました。それから、水をすくって馬の口許へ持っていくと、馬は彼女の手から水を嘗め、それから泉の水を直飲みはじめました。
すると、泉の真ん中で魚(多分鱒でしょう)が跳びはねて、鈍色の鱗が光って一瞬虹が架かりました。静寂に響く水音が、ハリエットの心を打ちます。
すると、彼女の耳の中で、聞いたこともない素晴らしい音楽が聞こえてきました。その美しい音楽は、どこまでも清らかな静寂です。ハリエットは何かとんでもない良いことに出くわした感じで、もう、悩みなどどうでもよいと思えてきました。結婚して数年、子供を授かれず、沢山の医者に診てもらい、色々な治療をしましたが一向に良くならず、辛い毎日を送って来ました。しかし、今は目の前の幸福に胸がいっぱいで、悩みはどこかに押しやられていました。
赤毛の紳士が、黒髪の女性に何かを話し掛け、それから二人は馬に乗り走り去って行きました。
ハリエットは、木陰から飛び出て、対岸をよく見ようとしますが、二人の姿はもうどこにもありません。ハリエットは、しばらく静寂の泉を眺めていました。
その日のうちに、ハリエットの病は治ったのでした。