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三生紀行  作者: にわとり・イエーガー
三生の歩く世界。
24/31

夢のような現実。

 学校に戻った三生は、今日はもう寮に戻る事を提案。既に5時過ぎだからな。真夏の太陽はまだまだ沈まないが、全ての片付けをしていれば、あっという間に夜は来る。


「そう言うわけで。おれは、先に寮に帰るぜ」


 話を通さなければならない。是無に。


 ゼンに。



 待っていてくれた大春、小紅、産海延先生にも礼を述べ、男子寮への集合を願った。人数的には、どう考えても三生が女子寮に赴くべきなのだが。それは、な。



 もう、この時間なら、是無は部屋に居るはずだ。夏休みは図書館に行っている事も多いが、日が暮れる前には帰っている。


 ほら。部屋に電気が灯っている。


「ただいまー」


「お帰り」


 いつものやり取り。


 この10年。いや、「この世」に生まれた瞬間から、こうしていた気がする。


「風呂入って来るわ」


「行ってらっしゃい」


 たっぷり汗をかいたからな。冷や汗も含めて。



 裸になって、体を洗って。


 鏡を見る。


 虫眼鏡を通さなくても、何となく見える。


 体に開いた、無数の穴の跡。テツの奴。好き放題開けやがって。


 既に、良い思い出になってしまった。



「え?あれ?じゃあ、おれ、もう32才?いやでも、意識の無いゼロ歳児時代があるし・・・いやでも、それは普通もそうだし・・・」


 愚にもつかない事を考えつつ。風呂に肩までかる。



「これが胡蝶の夢、って奴か。・・・ちょっと違うか」


 かなり違う。違うが、当人にとっては、似たようなものか。



 人生は、今、この瞬間しか有り得ない。


 未来の実在を皆疑っていないのに、誰もがその不確実さを知っている。明日の天気すら、まだ人類は知らないのだ。晴れなのか、雨なのか、それとも地球ごと消滅するので傘ではなく宇宙船を用意しましょうなのか。明日どころか数秒後の未来でさえ、まだ確定されていない。



 今の自分は、もはや昔の自分ではない。ないが。



「ゼン。これは、きっつい・・」


 オリジナルの記憶。恋人の居た自分。家族の居た自分。コオリ達に出会った自分。


 そして、二度目の人生。物心ついた瞬間にはもう、黒金や是無に出会っていた。皆と一緒に育ち、この学校にだって入った。


 この2つの記憶が混ざって、ものすごく気持ち悪い。


 現実の時間軸とは違い、三生の意識の中では、最初の16年の人生に続いて、新しい16年が経過したのではない。今の16年と、昔の記憶が平行して存在している。


 あくまで三生の主観ではあるが、16年の後に16年をまた、ではなく。2つの16年が同時進行したのだ。


 つまり。


 三生の記憶では、この夏休み、湯快山で遊んだ。更に湯快山には、以前にも登った事がある。


 だが、昔の記憶に、そんな山の覚えは無い。


 登った確かな思い出と、全く知らない過去。この2つが、同時にあるのだ。



 もっと言えば、過去の記憶では、日本の首都は東京であって、決して上王県ではない。なのに、今の自分は、上王県に違和感を感じない。極自然に、上王県を受け入れている。


 東京を首都として思っているのに、上王を首都だとも思っているわけだ。



 そして最後に。


 「過去を新しく作られた」。


 その事実によって、三生の心の奥底に根付いていた常識が、揺らいでしまった。


 16年を生きてゼンの世界に迷い込んだ時、まだ三生には、確固たる自我があった。日本人であり、男性であり、恋人が居て家族が居て。そう言ったバックボーンは、決して虚構ではない、絶対的な己の証明であった。


 だが、ゼンは、それをすら、作れるのだ。


 過去と言う、人にはどうしようもなく変えがたく手を触れる事すら出来ないはずのものを、ゼンは容易く、カップラーメンを作る程度の片手間で、生み出した。



 ならば。


 三生のオリジナルの記憶は、本当に、自分自身のものなのか?



 ゼンに仲間が居ないとは聞いていない。


 もしも、ゼンの同族なんぞと言うモノが存在しているのなら。


 三生の絶対的であったはずの過去は、3分間でお手軽に作られた可能性が出て来た。



 三生はもう、あの頃に帰れない。



 恋人も家族も。誰かに用意してもらったお人形さんなのか。




カリ


「え?お前も、洗うの?」


 そう言えば。バッタも風呂場に来ていた。


 部屋に帰った時に、一度は机の上に置いたのだが。風呂入って来ると、声に出しても、三生の腕に登って来たのだ。


 ゼンと2人きりは、気まずいのかなと、三生も気を回した。



 バッタは、ゼンの子飼いの部下。誰より強い忠誠心を持っていた。


 そのゼンに、切られた形なのかな?


 三生も詳細までは知らないので、何とも言いにくいのだが。



 そのバッタ。風呂に入る時、洗面所に置いて来たはずだが。それが、風呂場の扉を引っかいている。


 クモって、温水に当たっても、大丈夫なのか?こんな事で死んだら、あんまりだぞ。


 まあ、南米の密林の中で平気で生きてるんだから、大丈夫なんじゃないかな多分。ちょっとの湿度なら。



 勝手に納得した三生は、クモの体を優しく撫でる。この時、石鹸は付けない。本当に、死んでしまう。ただ、濡らした手で、優しくさするだけだ。雨に濡れたクモの巣を三生は知っている。水分が付着したぐらい、どうって事はないだろう。それに、種類によっては、クモは水中行動可能なはずだ。池や水路、田んぼなどで、たまに見る。


 洗い終わった所で、今度こそ、クモを洗面器に入れて、先に風呂場から出す。高台の無い風呂場内では、クモを潰す可能性がかなり高い。



ドンドン!


「うおっ!」


 風呂場の扉が叩かれた。これは間違いなく、あいつだ。


「三生ー!俺らはまだ風呂行ってねえんだぞ!!」


「わりいって!すぐ出るから!」


 やはり火山花。


 三生は風呂から上がり、大急ぎで体を拭き始めた。そしてクモを頭に乗せ、準備万端。


 男子寮の食堂に向かう。



「お待たせ」


「待ったぞー」


 黒金にもからかわれる。まあしゃーない。


「て言うか、何でお前ら風呂入ってないの?」


「片付けしてたら、遅くなっちゃって。これでシャワー浴びたら、もう寝ちゃうもの」


 大春から返事をもらう。なるほど。至極納得。



「それで、三生君。あなたは、何を見付けたの?」


 産海延先生から、核心に迫る言葉。


 三生はこれに答えなければならない。応えるために、呼んだのだ。



「先生。皆。これから話す事は、多分、おれの妄想ではない。そのつもりで聞いてくれ」


 食堂テーブルに着いた皆を見回し、三生は声に気を入れる。


 冗談と捉える向きは無いだろうが。幻覚、幻聴の類と判断されるのは、何もオカシクない。だが、それでは困る。


 気付いた以上、三生は見て見ぬ振りも出来ん。し、バッタもこのままにはしておけない。クモが何年生きるのか知らんが、人間体よりは寿命が短そうだ。何とかしなきゃあ。


 話し始めた三生には、それなりに覚悟があった。




「まず。おれ達の生きているこの人生は。2回目だ」



 食堂は、しんと静まり返った。



「すまん、三生。何を言っているのか、分からん」


 黒金の一言が、皆の気持ちを代弁していた。



「えーっとだな。えーっと・・・」


 三生には、これ以上の言葉の引き出しは無かった。




「み、見てくれ!」


 もう焦りまくって、虫眼鏡を手近の黒金に渡した。


「見てって。お前以外には、何も見えなかったろ」


 確かに。しかし、あの時は、三生も説明を怠っていた。


 道具は全て、念じながら使うものだったな。



「黒金。お前の見るべきものを見る。そう念じながら虫眼鏡をのぞいてくれ」


 あの世界では、人間である三生にしか使えなかったのかも知れない。


 だが、今なら、この世界なら、全員が人間。恐らく、使えるはずだ。



「念じるう?」


 よく分かってないながら、黒金は三生の言う通りにしてみた。



 何が見える。

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