07
ぐっ、と身体が前に揺れ、私は馬車が止まったのだと感じた。何時になく緊張した面持ちのアリサがぎこちなく笑みを浮かべている。
「アリサ」
「はい、リルフィリア様」
息を整えて声をかければ、アリサは心得たように馬車の扉を開ける。彼女が先に降り、綺麗に一礼すると私は意を決して馬車のふかふかした座席から立った。
伏し目がちにステップを降り、しっかりと前を向くと、私は目の前の景色に圧倒される。真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯と整然と並んだディナトル公国の貴族たち。
そして、全員が疑うようにこちらを見ていた。
なに、これ…。
感じたことのない視線に私はぞっとする。無様にも手が震えて、足はすくむ。…完全に私はこの場の雰囲気に飲まれてしまった。
「…さすがに…堪えちゃうなぁ…」
ぼつりとそんな言葉があふれた。
私だって、伊達に10年も幽閉されていない。冷たい目も蔑む様なこの感じだって、幾度となく受けてきた。
だから、私は笑ってみせる。
蔑み、嘲り笑う人たちは見下している人間に笑いかけられると一様に動揺する。要は、怖いのだ。
笑みを貼り付けながら、震える手足を叱咤して赤い絨毯の先へと進む。とにかく、必死にしないとどこで仮面が外れてしまうかわからない。長い、だけども一瞬にも感じられた時間が過ぎると、絨毯の先に3人が現れた。
黒髪の兄弟と思しき2人と、こちらも黒髪の女性だった。無論、この兄弟のどちらかが私の夫となるべき公子なのだろう。しかし、それは着ていた衣装によって直ぐに判ってしまう。私と同じように純白の正装を纏う、右側の男性がそうなのだと目星をつけた。
「 …手厚い歓迎、痛み入ります。私はリンドベルク王国第三王女、リルフィリア・ハーネクリスと申します」
キュリオリア夫人に叩きこまれた"貴婦人の作法"で3人に向かって一礼する。声まで震えていたらどうしよう、と思っていたが案外落ち着いた声が出た。
3人は私の皮肉まじりな第一声に驚いた様に互いの表情を見合わせる。しかし流石は生粋の王族、瞬時に対応した。
「…申し遅れました。ジークハルト・フィ・レノア、ディナトル公国第二公子です」
純白の正装の公子が私の手をとって、甲に口付ける作法通りの返答をする。彼──────ジークハルトは宵闇を写したような黒髪と鋭い光を宿す黒曜石の瞳がとても印象的だ。
「着いた早々で申し訳ないが、式を執り行うつもりだ。聖堂へ移動して貰えないだろうか」
「…はい、元より承知しております」
にこりともしなかったジークハルトはくるりと方向を変え、聖堂へと歩き出した。え?と戸惑いを隠せない私に黒髪の女性がクスクスと笑う。
「あらまぁ、ジークハルト様ったら…。なかなか可愛らしいですわね」
その意味を図りかねて首を傾げれば、女性は「失礼を」とドレスの裾をつまんで一礼した。
「イレーヌ・フィ・シルヴァとと申します。第一公子の婚約者ですわ」
ちらりと傍らの公子を見てイレーヌは言った。「ほら、さっさと名乗りなさい」と彼女の藍色の瞳が語っている……ように思う。
「はじめまして。ヒルダ王女──────じゃなかった、リルフィリア王女。ディナトル公国第一公子、セドリック・フィ・レノアです」
義兄となるセドリックの口からでた「ヒルダ王女」という言葉に顔が強張るのか自分でもわかった。相対する2人にも明確に伝わってしまったらしく、イレーヌがセドリックを責めるように睨みつけている。ヒルダ、とは私の従姉妹の1人で、確か17歳になっているはすで…。
その時、私の中に1つの大きな衝撃が走る。
まさかと思って考えないようにしていたことだった。
何故、他国からの自国の公子に嫁ぐ者が来訪したのにもかかわらず、冷たく疑うような視線でこちらを見ていたのか。
そして、はからずもそれはセドリックの言い間違いで証明されたようなものだった。
本当に嫁いでくるのは従姉妹だった、ということを…。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「は?申し入れのあった王女と容姿がまったく異なる、だと?」
兄上の声に騎士は戸惑いながらはい、と肯定する。
「嫁いで来られる王女は紅茶色の髪に青い瞳の方だとお伺いしました。ですが、到着された方は……」
「どんな方ですの?…醜女ではありませんわよね」
義姉上の不躾な問いに騎士は慌てて首を横に振る。
「もちろんです!銀髪のとてもお美しい方でした」
ふぅん、とイレーヌは俺の方を見た。
「銀髪、か。……紅茶色よりはジークハルト様によく似合うと思いますわ」
並んだ姿を想像したのか、義姉上はにやりと笑う。
「この際、リンドベルク王家の王女様ではなくてもいいんじゃなくて?」
考えが浅過ぎる、と兄上は義姉上を咎める。確かに一理はあるが、それではこちらの面目に泥を塗るようなものだ。
「ヒルダ王女、だったか…。彼女には妹がいたはずだ。妹姫がと取り替えたのかもしれないぞ?」
兄上の「どうだ?」と言わんばかりのドヤ顔に俺は苦笑いしながら以前見た肖像画を思い出す。
「…姉妹で描かれた肖像画を見ましたが、銀髪ではなかったはずです」
そう。銀髪など今のリンドベルク王家にはいない。
考えられる線はいくつかあるが、現実的なのは2つ。王族の血など欠片も流れていないような替え玉か、表に出せない国王の隠し子か。
「こればかりは本人に確認しないとわかりません。…喋ってくれるかはわかりませんがね」
不穏な言葉に義姉上は柳眉をひそめた。
だが、こちら側としてもナメられるわけにはいかない。今後、外交問題として何度も同じようなことがあっては困るからだ。
「この件はもう民にも伝わっているか?」
そうならば面倒だ、と思いながら騎士に問うと「残念ながら…」と申し訳なさそうに答える。
「大々的に入国したはずだろ?…貴族の領地も通ってる」
道を頭の中に描いたらしい兄上は1人納得している。義姉上は義姉上で何やら考えこんでいるし。…嫌な予感しかしないのだが。
「貴族たちにも広まっている可能性がありますわね…。ジークハルト様、わたくしはご令嬢達にそれとなーく言い含めて参ります!」
言うが早いが、義姉上はドレスを持ち上げて慎み深く飛び出しいていく。そしてちゃっかりと兄上も引っ張っている。いつも義姉上に言い負かされる兄上はされるがままだ。その(微笑ましい?)様子は既に城では一種の名物となりつつある。
「あの、殿下…。箝口令はよろしいのですか?」
「構わない。…秘匿したところでもう広まっているなら、尚更肯定するようなものだ」
席を立つ俺に騎士は生返事で頷く。
「兎にも角にも…、王女を待ってみるしかないさ」
俺はバサリと純白のマントをピンで留め、緩めていたネクタイを首元まできっちりと結いなおした。