04
この10年間がそうであったように、2週間が過ぎゆくのはとても早い。時間というものは何をしていても過ぎ去ってしまうものだ。
あと7日、あと5日、あと2日。
そう考えるたびに何も思わない私自身が怖くなった。生涯をあの塔で暮らすのだと思っていたから。本当は、いきなり世界が広がったことへの期待のほうが大きいのかもしれないけれど。
「リルフィリア様。ついに明日、ですね!」
よく眠れるように、とアリサが淹れてくれたオレンジピールに蜂蜜を足すとふわりと甘い香りが立ち昇る。
「私以上に嬉しそうね、アリサ」
一口呑めば広がるオレンジの爽やかな風味と、蜂蜜の絶妙な甘さが堪らなく美味しい。
「…はい、とても!」
ふふふ、と笑いながら茶器を片付けるアリサの手順は慣れたものだ。この2週間はキュリオリア夫人から所作、言葉使い、その他諸々を習った。夫人の教え方は素晴らしく、一度聞いただけで全てが理解できた。「それはリルフィリア様が素晴らしいのですよ」と言われたが、ちょっと違うと思う。
「少し環境を変えてみるのもいいかもしれないのね。夫人のおかげで沢山の事がわかったもの」
「リルフィリア様の知識欲は半端じゃないですからね……」
「それに、夫人はお父様のことも、お母様のことも話してくれたの。……私があんまり憶えてないところとか」
厳しそうな人だ、と身構えていたのだが夫人は気さくに"昔話"をしてくれたのだ。私は母も学院の卒業生だとは知らなかった。
「…だから嬉しかった。こんな風に2人のことを大切にしてくれている人がいたんだ、って」
両親の事について話す大人はこれまで回りにはいなかった。これからもきっとそうなるだろうが、誰かの中に今も生きていることが本当に嬉しいのだ。
僅かに残ったオレンジピールを飲み干し、アリサに笑ってみせる。
「もう哀しいことなんてない、哀しむこともない。…私にはアリサと、私の中で生きているお父様とお母様がいるから」
大きくアリサは頷き、瞳に涙を浮かべた。そして、涙はポロポロと零れ落ちていく。
「えっ…?あ、アリサ?」
私はカップを慌てて寝台の脇に置き、アリサを寝台に座らせてその背中を撫でる。
「どうして…どうしてアリサが泣くの…?」
「っヒック、だって……リーファが成長してるから…!友人としてこんなに嬉しいことってありますか…っ!?」
アリサは優しい。とても、とても。
独りで塔に籠もっていた私に塔の外を見せてくれたのはアリサだ。バルコニーという場所へ出られるようになったことは、ひとえにアリサの尽力の賜物だと言っていい。叔父に頼み込んでいた、といつも見張りをしている兵士から聞いた。
何故そんな危険なことを、と問いただせばアリサはただこういった。
『笑ってほしかったからです。あなたは笑わないと壊れてしまう。…そんな危うい状態にはさせませんから』
無理にでも笑え、とやんわりと命令されたのだ。私はとにかく泣いた。泣いて、泣いて、泣き通した。そんな私をアリサは受け止めて、ずっと背中を撫でてくれていた。
もし感情にも上限があるとすれば、あの時の私はとっくに上限を超えていたんだろうと思う。父は死に、母とは隔絶された。明日も大好きな人に会える、そんな日常は壊された。
自分勝手な解釈だが、アリサはそんな私の悲鳴を感じていたのかもしれない。誰かに受け止めてもらわなければ壊れそうな、あの哀しみを。
「……アリサが言ったのよ。哀しいことは忘れちゃいけないけど、それでも前を向け…って。私からお願いしたいことがあるのだけど、いい…かしら?」
「あたしで出来ることなら何でもします」
思いの外しっかりとした声で、立ち直るのも早かった。アリサらしい、といえばアリサらしい。
「…これからも、私の友人でいて。アリサがいればもう何も怖くない気がする。…きっと、強くなれるから」
「……なんだ、そんなことですか…」
「その反応は…何かしら?」
「もちろん、ってことです!あたしはリルフィリア様とリーファ、2人共が大好きなんです。嫌だ、って言っても付き纏いますからね!」
嬉しいストーカー(と言ってよいのか?)宣言に私は笑う。アリサも照れながら、だ。
「こちらこそ、付き纏ってもらえるように頑張ることにします」
冗談に笑いながら輿入れ前の夜を過ごせるなんて、私は幸せなのだろう。普通なら不安に押しつぶされるのかもしれない。たけど、私はちょっと違う。…不安、なんてものは遠い昔に捨ててきた。
今、胸に渦巻くのは小さな勇気ともっと小さな希望だけだから。