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イレーヌ様は悲痛な面持ちになり、きゅっと拳を握った。イレーヌ様がルイーゼ様の死を悼み、心から彼女を思っていたことがわかる。それは声音にもしっかりと現れていた。
「…突然だったわ。ルイーゼが元々身体が強くないのもあったかもしれない…。だけど、ルイーゼは少し前までわたくしと笑っていたのよ?……こんなの、他に理由があるとしか考えられないわ」
「他に、ですか?」
「わたくしも詳しく知らされていないの。お父様からほんの少しだけ聞き及んだだけに留められていて……。ルイーゼは、わたくしの大切な一人でしたのに…」
ルイーゼ様の一件は上層部のごくわずかな関係者しか真相を知らされていない。それが意味することを察するのは容易だ。沈黙が落ち、私とイレーヌ様は何も言わずに黙りこむ。
「…それからのルイーゼの事は僕が話すよ」
静けさを破ったのはここにいるはずの無い人物だ。私とイレーヌ様は驚いてその方の名を口にする。
「…セディ」
「殿下……?」
まだ執務室にいるであろうセドリック様が何故、ここにいるのか。私たちの物言いたげな表情から読み取ったのか、セドリック様は肩をすくめた。
「…イレーヌはまだ出てくるな、って顔だね。うわっ、悪かったって!そんなに怖い顔しないでくれる?」
セドリック様はぐいぐいとドアへ向かって背中を押すイレーヌ様に情けない声を上げた。ベットから動けない私は不機嫌なイレーヌ様と、及び腰のセドリック様を必然的に見守ることになる。
「わたくし、侍女から『第一公子殿下はレーメ嬢とお会いしている』と聞いたのですけど?」
「はぁ!?誤解だよ!会っていたのはレーメ家の双子の兄!」
「……あら、そうですか。では、これ以上わたくしからお友達を減らさないでくださいね?」
「それはイレーヌが悪い……っと」
「何か、おっしゃいまして?」
互いに剣呑な雰囲気で言い合いを繰り広げているものの、じゃれあうような2人の様子は初めて目にするものだ。そっとしておくべきなのか。それとも、止めるべきなのか。私はどちらも間違っていそうで言いよどむ。
「お嬢様っ、それにセドリック様も!お二人の仲がよろしいのは十分にわかっておりますから、それぐらいになさってくださいませ。あくまでも、妃殿下は病み上がりなのですよ。…それに妃殿下がお困りになっているではありませんか!」
プンプンと怒りながら、イレーヌ様とセドリック様の間に割って入ったのは25歳ほどの大人びた女性。イレーヌ様に「セーラ」と呼ばれた彼女はくわっ、と詰め寄った。
「お嬢様。可愛らしい嫉妬はセドリック様のお心をくすぐるだけ、と言いましたよね?お嬢様がお心を乱されてどうなさるのです?」
……つまり、イレーヌ様はセドリック様のことを心から好いているということなのか。
またもや静まり返った室内には「え?ちょっと、どういう事?」というセドリック様の声が響く。みるみるうちに赤くなってしまったイレーヌ様は、大きな藍色の瞳に涙を溜めた。「……ばかぁぁぁああ!」とイレーヌ様らしからぬ悲鳴を上げながら部屋を飛び出していく。
「まぁ…。お嬢様の無礼をお許しくださいませ。セドリック様、妃殿下」
綺麗に一礼したセーラも、ものすごい勢いで部屋を出て行く。取り残された形のセドリック様は軽く混乱しているようだった。だが、セドリック様はすぐさま立ち直ると、それまでイレーヌ様が腰掛けていた椅子に座る。
「……いろいろとおかしくなったけど。これから話すのは他言無用でお願いしたい」
先程までイレーヌ様とくだけた様子で話していたセドリック様とは全くの別人。内心を窺わせない完璧な仮面だ。私はしっかりと頷き、続くセドリック様の言葉を待つ。
「……ルイーゼはシルヴァの分家の子女、っていうのはイレーヌに聞いた?」
「はい。シルヴァ分家の姫君で、ジークハルト殿下の婚約者であり、シルヴァ本家の養女であった、と」
なら話は早い、とセドリック様は笑う。それはいつものセドリック様で、私は何となく安心した。
「シルヴァ家の者は本当に皆、僕たち大公家によく仕えてくれている。だけど、血縁が近すぎるのもあって時々魔が差すことだってあり得ない訳じゃない」
「…イレーヌ様はシルヴァ家の家訓を教えてくださいました」
「 "忠誠を誓え、傲慢になること無かれ" だったっけ。主家としてはありがたいし、シルヴァの者は家訓を遵守する節がある。……でもルイーゼの実父であるシルヴァ分家の当主は違った」
だんだんと話の雲行きが怪しくなってきた。穏やかなセドリック様の表情が苦々しいものに変わる。
「3年前、大公殿下────────父が襲われる事件があってね。……あぁ、これは公表されてない情報だから、イレーヌも知らないはずだ」
私は今の一瞬でとんでもないことを耳にしてしまったのではないだろうか。青ざめる私と対照的に「これって国家機密ってやつ?」と軽く笑っているセドリック様が恨めしい。
「……そんなことを私に教えて下さっても良いのですか?」
的外れな私の疑問にも、セドリック様はちゃんと答えてくれる。
「もちろんだとも。ジークの正妃となれば立派な大公家の一員だからね。それに……。いや、止めておく」
ニコッ、と笑いかけられて私も条件反射で笑みを返す。貴族の世界で微笑みは様々な意味を持つ。知らず知らずのうちに、論点がぼかされている様な気がして私は内心で冷や汗をかいた。
「一連の事件の首謀者だったのは」
先ほど、セドリック様は「ルイーゼの実父、シルヴァ分家の当主は違った」と言っていた。そしてシルヴァ家の本分は大公家に仕えること。何かの野心を持ち、その本分を見失ったと仮定して大公家から離反したとすれば……?
「…シルヴァ分家の当主だった。彼はシルヴァ家の自覚を失くして、あろうことか大公殿下に刃を向けた。僕はそんな反乱ともいえる行動を許しはしないし、そんな野心を持たせてしまった僕らも不甲斐なかったんだ。シルヴァの忠誠は "絶対" だと錯覚していたんだろうね」
主家である大公家にシルヴァ家が刃を向けた。
これはシルヴァ分家の当主が起こしたことであっても、シルヴァ本家も余罪を免れかねない状況であったはずだ。どこかで手引きしたのではないか、と疑われるのが世の常なのだから。
「…結果的に、シルヴァ本家はお咎めなし。分家は、解体された」
ディナトル公国でも一、二を争う貴族家がいきなり蒸発したとなるとその影響は計り知れない。いくら分家といえど、多方面に影響が出たはずだ。それはきっと、ジークハルト様とルイーゼ様の婚約にも。
「当時、殿下とルイーゼ様はご婚約されていたのですよね…。解消には至らなかったのですか?」
私がぽつりと零した質問は、あながち間違っていなかったらしい。セドリック様は頷いた。
「婚約は解消されなかった。ルイーゼは既に本家の養女となっていたからね…。僕には彼女が実の父親によい感情を持っていなかったように思うんだ。……ルイーゼは実父が幽閉されるその瞬間を、最後まで冷たく見ていたよ」
ルイーゼ様は、かたくなに父を認めようとはしなかったらしい。そして養父であるイレーヌ様の父君を、本当の父のように慕っていた。
「…幽閉されたのち、彼はほどなくして亡くなった。眠るように逝ける毒でね。発見された当時はもう、冷たくなっていたそうだ」
…なんと凄惨な最後だろうか。
全ての責を負い、自らを代償にしたということだ。
だが、それではルイーゼ様の死の真相を知ることはできない。きっと、反逆者の最期の話ならば誰でも知っているのだ。
「…ルイーゼ様が亡くなられたことをご説明いただけますか?元々、お体がそう強くなかったことはイレーヌ様から伺っております」
「やっぱり鋭いなぁ…」
まるでいたずらがバレた少年のように、セドリック様は肩をすくめた。…この方は私が切り出すまで黙っているつもりだったのだろう。
「……ルイーゼはさ、ほんの一瞬で亡くなった。確かに、身体は弱かったけれど持病の発作という訳でもない。………彼女は自ら死を選んだんだ」
私は言葉を失って黙りこ込む。
本当に、何も言えなかった。どれほどのものを抱え、ルイーゼ様が死を覚悟したのかはわからない。だが真っ先に浮かぶのは、何故?という疑問だ。
「…死を選ぶことは褒められたことじゃないけれど、ルイーゼなりの考えがあったことは僕も認めている。でも、それを本当に知っているのはジークだけだ」
ルイーゼ様の最期を看取ったのは、ジークハルト様らしい。彼は、どんな思いでいたのだろうか。
「イレーヌ様も、お側にいらしたのではないのですか?」
「ジークとルイーゼ、そしてイレーヌで雑談をしていたらしいんたけど…。ルイーゼにやんわりと追い出された、って言ってたな。イレーヌは気を利かせたんだろうけど、それが裏目に出たというか、なんというか……」
肝心な所が曖昧なセドリック様は「何も言えなくて、ごめんね」と申し訳なさそうに謝る。
「本当にすべてを知っているのはジークだけだ。きっと、君が望めば包み隠さず教えてくれるはずだから……。大丈夫。僕の弟は案外ヘタレなところはあっても、しっかりしたヤツだからね」
そう言ってセドリック様は席を立つ。ベットに縛り付けられた(?)状態の私は「…そうですね」としか他に言い様がない。
「……そろそろ陽も暮れてくる頃だし、ジークも来るんじゃないかな?折を見て聞いてみるといいよ」
お大事に、と言い残してセドリック様は部屋を出る。
窓の外の闇色に染まる空には、沈みかけた真っ赤な夕日が輝いていた。




