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「お時間よろしいかしら?リルフィリア様」
昼食が終わった後、やってきたのは義兄様の婚約者であるイレーヌ様。突撃訪問ではなく、きちんと先触れは寄越してくれている。
「はい、もちろんです」
未だぎこちない笑みを浮かべる私を気遣うようにイレーヌ様は接してくださる。
「無理そうならお断りしてくださってもよろしいのに…」
「私も、何かと暇を持て余しておりますから…。それに随分と良くなりましたし」
まだベットから出てはいけない状態ではあるが、身体は朝よりも軽い。ようやくお香の効果は切れつつあるようだ。
「……ではお言葉に甘えさせていただきますね」
「このような姿で申し訳無いのですけれど…。それでお話とは、何かありましたか?」
座ったところを見計らって私は問いかけた。イレーヌ様とは、これまでにあまり接点がなかった。私も公務や何やらで顔を合わせる機会すらなかったように思う。イレーヌ様は公子妃に内定している方で、もう婚姻も間近だと聞いている。
「…今はお話するべきではないと思いましたわ。でも、遅かれ早かれ、いつかは話さなくてはいけない事だとも考えましたの。……よろしいですか?」
異存はないが、あまりにもかけ離れたところからの前置きには曖昧に頷く。
「レノア大公家とシルヴァ家についてですの」
イレーヌ様によってゆっくりと語られ始めたことに、私は耳を傾けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ディナトル公国を治めるのは、フィ・レノアの姓を持つ一族。必ずしも世襲制ではないものの、ディナトル公国の頂点に君臨してきたのはレノア大公家だった。その大公家と対になるのが、フィ・シルヴァ家である。
「まず、我が家のご紹介でも致しますね。我が家は、シルヴァ家は大公家の傍流になります。シルヴァ家を興したのは初代大公殿下の四番目の公子様だそうですわ」
言わずもがな、シルヴァ家は大公家とほぼ同等の血統と家格を持つ名門中の名門ということだ。
「シルヴァ家は影ながら大公家の方々を支えてきました。内政、外政、軍部、騎士団…。様々な方面で活躍されたご先祖様は誇りですの」
そういえば、どこかの本で読んだことがある。ディナトル公国の歴史書には、必ずと言ってよいほど " シルヴァ " の家名が載っていた。
「シルヴァ家の権威は大公家に次ぐものですわ。そしてシルヴァ家を追随する貴族家はない…。逆に言えば、シルヴァ家は大公家に取って代わることも可能です。だって、家格も血統も折り紙つきですものね。ですがそれは最大の禁忌として戒められています。 " 忠誠を誓え、傲慢になること無かれ " と。我が家の家訓ですわ」
淀みなく語ったイレーヌ様は晴れ晴れとした表情だ。先ほど言われたように、確かに誇りに思っているのだろう。
しかし、それはすぐに陰りのある表情になった。
「…シルヴァ家は大公家の傍流。大公家に何らかのトラブルがあればシルヴァ家から大公殿下を輩出することになっています。他の国々にもよくある事と存じておりますけれど、我が国ほど顕著では無いでしょう。それに……、シルヴァ家の血筋を大公家の血筋と同等にするために何世代かに一度、婚姻も結びますわ。何かあった時の為に、とね」
「……ということは、イレーヌ様と殿下は…」
「そう、ですの。セディとわたくしは2つの家を結ぶために婚約しておりますわ」
事も無げにイレーヌ様は言った。そこに好き嫌いの感情があるのか、容易には読み取らせてくれない。たが、私が何かしらの言葉を発する前にイレーヌ様はまた話しだす。
「こういうことを政略結婚、というのでしょうけど。わたくしは下手な殿方に嫁ぐよりも、シルヴァ家の責務としてセディに嫁ぐ方がよかったですわ。……今となってはセディ以外にあり得ませんもの」
最後に盛大な惚気が入ったような気がしないでもない。頬を染めて笑ったイレーヌ様はキリリと表情を引き締めた。
「…さて、…ここからが本題なのですけど」
はい、と私は背筋を伸ばす。話の内容が深刻だということは何となしにわかる気がした。
「わたくしは大公家とシルヴァ家が何世代かに一度婚姻を結んでいる、と言いましたわ。今、それはセディとわたくしの婚約によって成り立って入ることも。……ですけれど、ジークハルト様とて、例外ではありませんのよ?」
何を言われたのか一瞬わからなかった。そして無意識のうちに硬い声で言葉が紡がれる。
「……ジークハルト殿下が側妃の方を娶られる、ということですか?」
しかしこれにはイレーヌ様も驚いたようだ。身振り手振りで慌てて否定する。
「あら、誤解しないで下さいませ…!過去にそういうことがあった、ということですわ」
過去だとしても、どうしても心がざわめく。一番自分がわかるはずの心の整理はつかないままだ。
「これはわたくしとセディが婚約する経緯にも関わってくるのですけど…。ジークハルト様には、シルヴァ家に婚約者がいましたの」
大公家とシルヴァ家の事情を聞いてからでは、驚く様なことではない。近しい両家は当代で婚姻を結ぶことになっているのだから。
頭ではそう理解していても、どこかでは苦い思いが広がる。持て余したそれはどこへ納めればよいのか、私にはわからなかった。
「ルイーゼ・フィ・シルヴァ…、彼女はわたくしの従姉妹です。シルヴァ家は少し複雑で、シルヴァの姓を名乗れるのは当主とその家族のみ。ルイーゼは従姉妹ですけれど、シルヴァ本家の養女でもありますわ」
曰く、ルイーゼ様はイレーヌ様の叔父君の娘らしい。シルヴァ家は分家と本家があり、ルイーゼ様は分家の姫君ということになる。
「何故…、殿下はルイーゼ様との婚約を破棄されたのですか?」
私は、この立場にいてよいのか。本来ならばそのルイーゼ様がジークハルト様の隣に立つべきではないのか。本当にどうしようもない思いがぐるぐると巡る。
イレーヌ様は一度心を落ち着かせるように息を吸うと、静かに言った。
「婚約を破棄したのではなく、婚約が白紙になったのです。………彼女は、もうこの世にいませんから」




