19
その夜、宮殿は大騒ぎとなった……らしい。私だって王族の一人であり、宮殿の人々が慌てるのは当然の反応と言える。
まだお香の効果が抜けていないのか、時折、副作用の強い睡眠欲と記憶の混濁が見られる症状が出ていた。睡眠欲はなんてことないのだが、困ったことに記憶の混濁は10年前のあの光景を絶えず見せつけてくる。それは些細なことで蘇り、次第に鮮明な記憶となっていく。
過去に目を背けることはしたくない。だけど、こんなの……。
諦めてこの記憶に身を委ねようとする時、必ず手を掴まれる感覚があった。だけども霞のように消えてしまう。所詮、私が自身に見せる都合のいい幻なのだ。
ゆっくりと目を開けると、眩しい光がチカチカと目の前で舞う。薄いレースのカーテンが引かれた窓から光が差していた。私が倒れてからどのくらい経ったのかわからない。ぼんやりとわかるのは朝日が昇ったこと。つまり、数日は経過している計算になる。
見たことのない天井だっため、私はぐるりとあたりをみまわす。その途中であり得ないものを目にした。いや、あり得ないわけではない(たぶん…)。だがその人物がここにいるとは、夢にも思わなかった。
「……殿下?」
枕元にはベットに突っ伏したジークハルト様が眠っていた。ジークハルト様がなぜここにいるのか単純な疑問が湧く。それに……。
「……」
ぎゅっと握られた手を見て私はフリーズした。もしかすると、あの手の不思議な感覚は、幻でもなく現実なのかもしれないからだ。何日経っているのかはわからないけれどその手の存在はとてもありがたかった……。
「起きたのか」
いきなり半身を起こしたジークハルト様に私は情けない悲鳴を上げた。その拍子に握らられた手は簡単に離れてしまう。
「……そこまでして避ける必要はないだろう」
「私は…」
避けていない、とはっきりいえるだろうか。ヒルダの言葉に心を揺さぶられ、どこかでそうなればいいと考えたのに。
「…いえ、…どれぐらいの日数が経っているのですか?」
話題を変えるとジークハルト様はどこか怒ったように言い放つ。
「2日。今はリーファが倒れてから3日目の朝だ」
「3日……」
そんなに寝込んでいたなんて驚きだ。睡眠欲と記憶障害からくる疲労だろうが、一種の毒なら頷ける。私は王女として毒に対する耐性を全くと言ってよいほど身につけていない。つまり、穏便に事を済ませたいなら最も効果的な方法なのだ。
「リーファ付きの侍女が一人姿を消した」
その宣告に私はドキリとした。勿論、アリサのことだと。表情の変化を見ていたらしいジークハルト様は、私の僅かな陰りをいとも簡単に見つけてしまう。
「……誰です?」
「その表情から察するに、わかっているだろう?」
やはり敵わないと思う。何故こんなにもわかってしまうのかと、私は心の内で舌を巻く。
「そういえばアリサを見かけませんね」
「その侍女が今回の騒動の犯人だ」
「……聞こえが悪いですよ。私は無事ですから良いではありませんか」
暗にそうだと認めたも同然。下手に隠してアリサに濡れ衣を着せるのは嫌だと考えがまとまってきた。否、もうずっと前に決めていたことかもしれない。
「本当にアリサは悪くありません。……だから責めないで下さい」
「あなたは甘すぎる」
その言葉と共に私の意見はばっさりと切り捨てられた。それはもう、気持ちいいぐらいに。言い返そうとする私を視線だけで黙らせると、ジークハルト様は言葉を続ける。
「侍女が主の命を狙った。この事実を客観的に見れば分かるだろう?」
「…他の者に示しがつかないとでも言いたいのですね」
「それもあるが…。侍女たちの中にも少なからず動揺は広まりつつある。彼らはきっと主のあなたに説明を求めて押し寄せてくるだろう」
要するに、私は侍女たちを掌握しきれていない主としてさらし者になるわけだ。
「……話したくなければそれでいい。俺だって最大限の抑制はするから」
そう言い残すと、ジークハルト様は何も言わずに出て行く。待って、と伸ばした手は虚空を掴むだけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
しばらく無言で歩いていた俺はダンッ!と拳を壁に叩きつけた。骨にまで響く衝撃の後にジンジンと痛みを感じる。侍女の小さな悲鳴が聞こえたような気がするが、今は構っていられない。
くそっ、と小さく悪態をついても何も変わらない。そのことが余計に俺を苛立たせる。そして守れなかった、という事実がさらに感情を高ぶらせていた。
「……あら。ジークハルト様は愛しいお姫様を守れなくてご立腹かしら?」
廊下の影から姿を表したのはリンドベルク王国第一王女、ヒルダ。色味は違えどリーファとよく似た青い瞳がこちらを見ている。
「……不快だ、気易く呼ぶな」
睨みつけるように見遣ると王女はすっと目を細めた。
「いいことを教えて差し上げようと思いましたのに、残念ですわ」
意味が分からず俺は眉をひそめる。いつもいつも言動が唐突すぎると思うのだが。王女は一気に俺と距離を詰めると、耳元で囁いた。
「 」
その言葉を聞いて、俺は王女を突き飛ばす。いとも簡単によろめいた王女はそんな状況でも悲鳴を上げることはなかった。
「…乱暴ですわ、教えて差し上げましたのに」
「ふざけるな………!!」
俺は床に座り込む王女に手を貸すことなく見下げる。不遜な態度を崩さない王女はまたもや笑みを浮かべた。
「2度も大切な人を失うなんて……、ジークハルト様はよほど運がお悪いのですね」
「…いい加減にしろ、強制帰国させられたいのか?」
「ふふっ、そろそろリンドベルクが恋しいころですわ」
掴み所のない会話に俺は苛立ちを募らせる。冷静になれ、とわかっているのだが感情のままに動いてしまう。
「ならば……」
「残念ながらそのようには参りませんの。私、まだこちらに所要がありますから」
一体何を考えているのかわからない王女は、立ち上がって優雅に一礼した。そしてすれ違いざまに立ち止まると逆光で表情が見えない位置に立つ。
「……リーファと有意義な話がしたいとお伝え下さいね」
どういう意味だ、という前に王女の姿は廊下の角で見えなくなった。
春休みではないので週に一回の間隔で更新することになると思われます…。気長に待ってくださると作者としても……です。
言いそびれておりましたがブックマーク等々、ありがとうございます。