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いろいろと動き出します……
「リーファが、2人だと?」
その報告をヒューから聞いたとき、俺は執務室で仕事の山と戦っていた。兄上がサボっているのではないかという程の仕事の量は毎回骨が折れる。
「正確には"妃殿下"ですが、不思議な噂ですよねー。……っていうかいつから愛称で呼ぶようになってるんです?」
宮殿内の噂は逐一報告させているが、それはヒューの管轄ではなかったはずだ。この男に噂話をさせると止まらないため別の部下を付けたはずなのだが。
「不思議だけで終わりか?」
「うわ、スルーされてる……。噂は眉唾ものだと思いますけど、なんせヒルダ王女がいますからね。それと、2人って言っても妃殿下という方が2人いる訳じゃないんですよ。……何かちょっと違和感がある、と感じるらしいんです」
数日前から宮殿に滞在するリンドベルク王国第一王女、ヒルダ。本来ならば彼女が俺へ嫁いでくるはずだった。
「……王女の監視は」
「もちろん、滞りなく」
にっ、とヒューは得意げに笑う。元騎士の凄みというか、何と言うか、ヒューの笑顔は威圧感がある。(…そして胡散臭い)
「妃殿下が2人いるところを直接みた人間はいないんです。だから噂で止まってるのだと思うんですけどねー。あ、妃殿下にも注意を促していたたげたらいいなー、ってロイが言ってましたよ」
本来の担当はロイのはずなのに、なぜヒューなのか。それを問いただすとヒューはあっさりと答えた。
「殿下のご機嫌が悪いから、ですよー。騎士団長に比べたら平気ですけど」
何かあったんですか?とヒューに首をかしげられ俺は顔をしかめる。
近ごろ、リーファに避けられているような気がしてならないのだ。目も合せてくれないし、あからさまに様々な予定をずらされている。それに……。
「……別に。何もない」
「妃殿下絡みですね。わかりました、応援致します!」
なぜそうなる!というツッコミはしない。余計にややこしくなるのは火を見るより明らかであるからだ。
「…関係無いだろう?仕事に戻れ、ヒュー」
そう言った後も何事かまくしたてるヒューに青筋を立てながら俺は腹心をひと睨みする。そしておろおろしながら側に控えるクリスに「ヒューをつまみだせ」と命令すると、執務室には静けさが戻ってきた。
最近、リーファは寝室にも入れてくれない。数日前に扉越しに拒まれたのだ。
─────────殿下……。私、少しの間一人で眠りたいのです。わがままをお許しください…。
詳しく聞こうとして扉を開けようとしたが、ガチャガチャと音を立てただけだった。ドンドンと扉を叩いても何も反応はない。
リーファと共に眠れていないことが不機嫌の理由かもしれないと思うと、なぜだかすんなりと納得できる。守ってやらねば、という庇護対象だからなのか。それともまた別の感情か。
『ジークは……。いえ、やめておきます』
『失うことを恐れないで…、そのために力をつけて…』
今度こそ、俺の手からは逃したくない。胸を割かれるような苦しみも、全てが忌々しい赤に染まることも。それが失ってしまった彼女の為にできること……。
「殿下?その、お手が止まっておりますが、なにかお持ちしましょうか?」
怪訝そうなクリスの声に俺は我に返る。手元を見ればなんと不甲斐ないことに、全く進んでいない。
「いや、悪い。………少し頭を冷やしてくる」
過去はいつまでもまとわりつくようにして"そこ"にいる。自身とこれからの戒めとして。
『ちゃんと過去に決別したい。もう、過去に囚われたくない……。私は、私自身に負けたくない……!』
リーファにしてはやけにはっきりとした物言いだった。染み入るようにその言葉たちは俺の心に残る。彼女もまた胸に抱えるものがあるのだろう、と思いを馳せながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
静けさが目立つ夜。今日も、一人だ。
……だがその言い方は良くない。私が、そう望んだから。
ヒルダとの一件の後、私の内心は大きく揺れ動いた。ヒルダと私が本当に入れ替わってしまえば、何もかも上手くいく。元の鞘に収まる、というわけではないものの、誰にも気づかれずにいれば…。
「そんなこと、出来ない……」
宝珠には持ち主の強い願いを一つだけ叶えることができる、という母の言葉を信じないつもりではない。今こうやって私の手元に宝珠があるのは歴代の国王たちの願いを叶え、継承されているのだから。
「失礼します、リルフィリア様」
そっと入ってきたのはアリサだ。アリサはまだ侍女のお着せに身を包み、髪も1つに結ったままである。ここ数日、アリサが侍女としての努めが終わったあとに私の寝室に入ってくることが多い。そんな日が何日か続けば疑問に思ってしまうが、私はあえて言及はしていなかった。そして夜にアリサと会うたび、必ずと言ってよいほどに強烈な眠気に襲われる。
「……最近はいつもこの時間ね。何かあったの?」
そう聞けば、アリサはぎこちなく笑う。今までの快活な笑みではない。今にも泣き出しそうな表情だ。
「アリサ……?」
「…………ごめんなさい、リルフィリア様……」
どうして謝るの、と言う私の言葉は続かなかった。アリサの言葉を耳にした途端、ぐらりと視界が揺れる。え?と思う間もなく、私は床に倒れこんだ。アリサは入り口付近で立ったまま、私に指一本触れていない。
「アリ、サ…?」
侍女のスカートをぎゅっと握りしめたアリサは私が床に倒れる姿をじっと見ているだけだ。恐怖よりも困惑して何も考えられない私にアリサは青くなりながら言う。
「……身体が痺れるお香を使ったのです。ここ数日、ずっと…」
「それでこんなに眠気がしたのね…」
「っ!!気付いて…?」
「アリサと会ったあとは必ず眠くて。あと、記憶も……ちょっとあやふやかな…」
アリサは涙をためて顔を歪めた。両の瞳からぼろぼろと涙が溢れ出す。私にはその涙を拭う力も無かった。
「申し訳ありません……!あたし、リルフィリア様のお側にいながら……。友人だなんて言いながら、こんな……っ!」
泣き崩れるアリサを見ていれば何かを人質に取られたことは、回らない頭でもよくわかる。侍女としてではなく、アリサとして最も大切なものが黒幕の手の内にあるのだろう。
「……アリサ、早くここを離れて。報告……かな、行かなくちゃならないでしょう?」
はっとしたアリサはゆるゆると顔を上げた。私がアリサの大切なものを守るのは主人として友人として、大切なこと……。アリサに今更、迷わせてはいけない。
「……行きなさい!!」
出せる限りの声で私はアリサを一喝する。それは小さな声だったかもしれない。だが、アリサにはしっかりと届いたはずだった。
「失礼……しました、リルフィリア様」
アリサの手によって扉が閉められたその瞬間、私は意識を手放した。