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「っ!」
ジークハルト様は驚き、引き剥がそうとするが相手は他国の王女。手荒な真似は軽々しくできない。
「……離していただきたい」
静かな声ではあるが、明らかな嫌悪が含まれている。そんな声を投げつけられたヒルダは、さも面白そうに腕を離した。しかし、ジークハルト様の隣に平然と立ったままだ。ジークハルト様はヒルダから数歩離れると私の隣に来る。ヒルダから離れてくれたことに言いようのない安心感に満たされた。
「些か無礼ではありませんか、ヒルダ王女」
苦々しい顔のジークハルト様と相対するヒルダは挑戦的に笑う。
「馬車を足止めした無礼は謝罪させていただきますわ。……申し訳ありません」
馬車を足止めしたことにおいては謝罪する、とヒルダは言った。だがそれは、ジークハルト様の腕に抱きついたことは無礼でも何でもない、と暗に示したことと同義。ジークハルト様やヒュー、その場にいる全員が表情を強ばらせる。
「……。ヒルダ王女、あなたが我が国へいらっしゃるとは聞いていません」
「ええ、突然のことでしたもの。報せが入るより私の方が早かった……。ただそれだけですわ」
ああ言えばこう言う。堂々巡りの議論になりそうだ。ジークハルト様は沈黙し、くるりと背を向ける。
「ジークハルトさ…」
「ヒュー。王女を城にお連れしろ」
ヒルダの声を遮り、ジークハルト様は背中越しにヒューに命じる。ヒューは一礼し「ご案内致しましょう、馬車へお戻りください」とにっこり笑った。ヒルダはヒューの笑顔の威圧に表情をひきつらせる。
「リーファ、俺たちも行くぞ」
がしっと私の手を掴み、ジークハルト様はずんずんと馬車へ進む。私はほとんど引きずられるような形で馬車に乗せられた。しばらくして馬車は進みだし、宮殿へ向かって大通りを駆けた。
大きな正門を抜け、宮殿のエントランスホール着くとまず目に付いたのは慌ただしく動く侍女や侍従たちの姿だった。いつもなら2、3日かけて整えられる他国の貴人用の部屋を一瞬で整えることなど出来ない。リンドベルク王国として彼らに掛けるの迷惑の大きさに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ヒルダは何の目的でディナトル公国へ来たのだろうか。唐突な振る舞いは余りにも礼に欠ける。王族としての意識があるならばこんな暴挙はしないはずなのに。
「……ファ、リーファ?聞いているのか?」
はっとして顔を上げると、そこには訝しげにこちらを見ていたジークハルト様と目が合う。
「えっ、と……。何か言われましたか?」
曖昧に濁せば、盛大にため息をつかれた。しっかりしてくれ、と言わんばかりのそれに私は恐縮する。先程「申し訳ない気持ち」になったというのにこのザマはなんだろうと苦い思いが広がった。
「ヒルダ王女から接触してくることも少なくはないだろうから心構えは必要だろう、と言ったんだ。……大丈夫か?」
「…ありがとうございます。でもヒルダは、本当は…」
ここで私は言葉に詰まる。10年、下手をすればそれ以上会っていない従姉妹の何がわかるというのだろう。あの頃と変わってしまったことを否定することは私にも出来ないのに…。
「浮かない顔ですわね、リーファ。私に会えたことがそんなにも嬉しかったの?」
まるで見下すようにして立っていたのはヒルダだ。ヒルダの言葉の端々には棘がいくつも突き刺さっている。
「そうやってジークハルト様に守られているだけなの?…リンドベルク王女の名が泣きますわ」
その名を泣かしているのはどっちだ、と言いかけて私はグッと堪えた。ここで取り乱してはヒルダの思うつぼではないか、と。
「ヒルダ王女、いくらあなたといえど─────────」
「ヒルダ。…少し話をしましょう?」
反論しかけたジークハルト様を遮り、私は強い口調で口を開いた。ジークハルト様の驚いた表情はとても珍しいが、今は置いておこう。
「アリサ、私の部屋に準備をお願いできるかしら。みんなにもお客様が伺う、と伝えておいて欲しいの」
私は精一杯の虚勢を張った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヒルダを伴って自室に戻ると、既に準備がなされていた。立ちのぼる芳しい香りのお茶と、ひとくちサイズの菓子は雰囲気を和ませるための必需品だ。だが私とヒルダとのこれまでの会話を鑑みると、それらは気分を悪くしてしまうものかもしれない。
私は一応、主催者としてヒルダに席を勧め、自分も向かい側に腰を下ろした。侍女はアリサと、ヒルダの侍女を残して全員を退出させている。
「……いただいてもよろしいかしら」
抑揚のない声で言ったヒルダはスコーンを手に取る。「どうぞ」と私は用意された紅茶に口を付けた。
「……まぁまぁね」
幼い頃、それは「おいしい」の裏返しの言葉だった。ヒルダはどこか捻くれたところがあり、言葉の真意を測るのには心を砕かなくてはならない。決して、表面上の言葉が全てではなかった…。
「それはよかった。単刀直入に聞いてもいい?ヒルダ」
「そういうのは"単刀直入"とは言わないわ、リーファ」
どうやら捻くれたところの根本は変わっていないらしい。短い言葉の応酬が私たちの間で交わされる。
「……何をしに来たの、ディナトル公国へ」
「別に…」
「叔父様に何か命ぜられての行動なの?」
「お父様は国王陛下だわ。言葉を選べばどうかしら」
「…そうね、失礼しました。第一王女殿下」
「殊勝な心がけですわ、妃殿下」
不毛すぎる言い合いに私は口を閉ざす。ちらりとヒルダを見遣れば彼女は2つ目のスコーンに手を伸ばしていた。甘いものが好きなのも、変わっていない。黙って私は好きなお菓子を味わった。
ヒルダも何も言わず、ただ沈黙が室内を支配する。
「……私が公国に来たのは」
一息ついたヒルダはまっすぐに私を見つめた。とても重要な事を伝えられるのだ、と私は身構える。
「リーファと、立場を"入れ替える"ため」
何かが足元から崩れ去る。今、ヒルダは、何と……?
「心配しないで。リーファはリンドベルクに戻れるのよ?元々、公国には私が嫁ぐ手はずだったのだし…」
違う、そういうことじゃない。
「リーファの容姿は公国の貴族たちには割れてるでしょう?それも気にしなくていいわ。あなたには宝珠があるじゃない」
違う、そんなことの為にあるんじゃない……!
「宝珠を使ってリーファと私の容姿を"入れ替える"の。宝珠は持ち主の願いをかなえるのでしょう?そうしたら、誰にも気づかれずに」
「いい加減にして!!!」
バンッ!と私は机に手を叩きつけた。その衝撃で茶器が軽やかな音をたてる。ついでに、積まれたお菓子もずり落ちた。
「……どうして怒るの?分かってほしいのに」
感情を窺わせないヒルダの声が私の怒りに拍車をかける。
「分かってないのはヒルダだわ!!大体、国と国との契約にそんな我儘が通じると思っているの!?本気で思っているのなら、言いたくないけど…馬鹿よ。…大馬鹿者!!」
怒りで染まった感情はとどまるところを知らない。きつく拳を握る私を止めたのは、アリサだ。ヒルダから庇うように私の手を取って席から立たせる。
「ヒルダ様。…申し訳ありませんが、今日はお引き取り願います」
私が叫んだことでまた静かになった部屋に、アリサの一言は重かった。
修羅場ってますが、こんなに叫ぶはずじゃありませんでした(汗)
作者の中で「これ、私…ですか?」ってリルフィリアが戸惑ってます( ° ω ° ; )