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「ヒュランジィーネにお越しいただきありがとうございました、両殿下」
平身低頭の長はニコニコと揉み手をする。胡散臭いな、と思いながらも表に出さないのが鉄則だ。
「…世話になったな。いつかまた、ここへ伺おう」
完璧な貴公子スマイル(営業スマイルともいう)のジークハルト様は長と軽く握手を交わす。
「またの来訪、心よりお待ちしております」
わっ、と街の人々が2人の姿に歓声を上げた。様々な方向から言葉が投げかけられる。私はそんな人々に微笑み手を振って答えた。こうも無条件に慕われると心がポカポカしてくる。私とジークハルト様が用意された馬車に乗り込むまで人々のあたたかい声は途切れることがなかった。
◆◇◆◇◆◇
ヒュランジィーネを離れ、首都へ戻る道すがら、私たちはなぜか足止めされていた。
公国内に設けられた関所ではなく、"とある一行"によってである。大公家の紋章を見せれば直ちに立ち退かせる事も容易だが、どうやら権力を傘に着ることをジークハルト様は嫌う節があるらしい。
「……こちらに何か非があるのですか?」
締め切られた馬車の中は風通しはよろしくない。半ば朦朧としている私は、気の利いた質問というものが出来なくなっている。
「大公家の家紋を見せても頑として動かないのです」
パーティや舞踏会で手にする扇とは全く異なる、実用的な扇でパタパタと手を動かしながらアリサが応じる。アリサも大概暑いはすだが、それを口にしないのは侍女根性から来ているのだろうか。すると、馬車の外がざわめく声が聞こえてくる。
「……贅沢だけど、冷たいお水が飲みたい」
到底、叶いそうに無いことをぼやいてしまう。ぐったりとする私を見ていたジークハルト様がアリサから扇を受け取り、おもむろにあおぎ始めた。それも、私に向かって。私はビクッとして起き上がると、慌ててその動きを止めるべく動く。何とかして止めることに成功すると、憮然としたジークハルト様が取り残された。
「……なぜだ?」
「普通は殿下ではないですもの」
ジークハルト様を封じるとアリサが小さく笑った。嫌になるほど暑いのに、馬車の中には穏やかな空気がながれている。
「だから、私が────────」
「殿下!!!」
致します、と言いかけた言葉はヒューの緊迫した声に遮られた。ヒューは礼儀もなにもかなぐり捨てて馬車の扉を勢いよく開け放つ。相応しくない爽やかな風がふわりと舞い込んだ。
「…何があった」
硬い表情のヒューに、ジークハルト様は端的にそう問いかけた。何があったのかはわからないが、よくない状況だけはひしひしと伝わってきた。ヒューはちらりと私とアリサを見て、次にジークハルト様に対して答える。
「我々を足止めしていた者は、……リンドベルク王家の方です」
私は知らず知らずのうちに拳を強く握っていた。下を向いて俯くことしかできない。
「大公家の紋章を見せても動かなかったのは、妃殿下の母国であるからでしょう。殿下や妃殿下がこちらにいることを計算内にいれての、全ての行動だったと思われます」
リンドベルクは、叔父は、今更なにをしようというのか。ヒューの言っている事が頭に入ってこない。聞かなくてはいけないとわかっているのに。
「考察はどうでもいい。…誰だ」
「…失礼しました。第一王女、ヒルダ様であると主張しております」
どこかで覚悟していた人物の名が挙げられ、私は天を仰ぐ。…といっても馬車の天井ではあるが。
「予定はあったか?……もちろん無いよな」
自分に言いきかせるように自問自答したジークハルト様は馬車の外に出た。
「ひとまず俺が対応する。クリス、ロイ!宮殿や父上、兄上に伝達を頼む。…ヒューは俺と来い」
短くそして的確な指示を信頼の置ける者に言い付けると、ジークハルト様は前方へ向かって行く。私は衝撃から立ち直ると、馬車から飛び降りた。一瞬の浮遊感と共に地面に着地する。アリサの驚いた声が聞こえるが、後で謝っておく。
「待ってください!」
小走りになりながらジークハルト様を追いかけて回り込み、背の高い彼を見上げるようにして訴えた。
「……私もお連れ下さい。リンドベルク王家に関することは、関係があるはずです」
しかし、ジークハルト様は色よい返事をしてくださらない。
「リンドベルクで軽んじられた私が赴いても無意味なことはわかっています。従姉妹がいるのなら尚更でしょう。私は……」
従姉妹である王女、ヒルダとは幼い頃は仲が良かった。互いが双子だと信じて疑わなかったた私たちは、よく両親に笑われたものだ。悪ふざけが過ぎて互いの両親にこっぴどく怒られたことも、ドレスの裾を黒くしながら王城内を走りあったことも。
ただ笑っていた楽しい日々は、やはりあの謀反で断ち切られた。
手を伸ばしても届かない、その人のぬくもり。平穏がどれだけ幸せだったか噛み締めた10年間…。
「ちゃんと過去に決別したい。もう、過去に囚われたくない……。私は、私自身に負けたくない……!」
俯いた顔を上げ、私はちゃんとジークハルト様に向き直った。その黒曜石のような瞳に、ヒュランジィーネを覆う森のような深い黒の瞳と真正面からかち合う。
「私も、お連れ下さい」
「…その必要はないわ、リーファ」
その時、ジークハルト様は私の後方に視線を向けた。リーファ、と言いかけたジークハルト様の声は新たな声に遮られる。
私も目の前のジークハルト様にしか意識が向いていなかったのが悪かった。いきなり真後ろで囁くように言葉が紡がれて、私は身体を強ばらせる。ふふっ、と笑った声の主は呆然とする私をすり抜けてジークハルト様に近づいた。その背に流れる明るい紅茶色の髪は……。
「ヒル、ダ……?」
一度見たら忘れられない印象的な髪色はヒルダしか見たことがない。10年ぶりに会う従姉妹は、私を完璧に無視した。
「お会いしたかったですわ、私のジークハルト様……」
ヒルダはうっとりとした表情でぎゅっ、とジークハルト様の右腕に抱きついた。
ヒルダは悪役テイストをわんさか盛り込んでます(笑)