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そして、夜になった。澄んだ空気のせいか、夜空に輝く星々はきらめきを増している。
私はアリサを連れて、呼び出しのあった時間通りに居間へ訪れた。ここは夫婦共用の居間であり、当たり障りのない内装になっている。だが、殆どがジークハルト様の執務室になっていることを侍女たちから聞き出した。所狭しと置かれた書類や資料を見る限り、それは本当なのだろう。きょろきょろ部屋を眺めていると前置きもなく樫の木の扉が開く。私はドレスをつまんで一礼した。
「呼び立てしまって、済まない」
ネクタイを緩めながら入ってきたジークハルト様は第一ボタンを外す。流し目でこちらを見るところなどは、無駄な色気がだだ漏れだ。
「いえ、お時間を割いて下さってありがとうございます」
座るように、と促され私は適当なソファに腰掛ける。何を話しだすでもなく、私とジークハルト様は互いを探るように真正面から向き合った。
「……嫁いでくるのは第一王女と伺っていましたか?」
「あぁ。亜麻色の髪に翡翠の瞳の王女だ、とな」
やはり、と私は確信を持った。最初に感じた疑問は間違いではなかったのだ。
「…ところで、あなたは何者だ?場合によっては…、王国に報復をしなくてはならない」
淀みなく告げられた結末に、私は唇を噛む。
その対応は国家としては間違っていない。むしろ、事実を知ったほとんどの国はディナトル公国への理解を示すだろう。私の返答次第でリンドベルク王国への対応は大きく変わる。
……。
………………。
「私は、第三王女ではありません。……先王の第一王女リルフィリア・ハーネクリスです」
膝の上で拳を握り、真実だけを言った。先王の、という部分をできるだけ強調して。先王でも第一王女という肩書きは変わらない。…私はそこに突破口を見出していた。
その真意を汲み取ったのか否か、ジークハルト様の黒い瞳は見開かれている。彼の頭の中では、リンドベルクの歴史が思い返されているのだろうか。こめかみをグリグリと押さえて長い間沈黙している。
「……現王陛下に誅殺された、先王の娘ということか?」
誅殺された、という言葉に胸が痛む。表現としては合っている。ただ、そのように父が認識されるのはつらい。
「はい。……お父様は、叔父に」
殺されました、と言葉が続かなかった。掠れて比較にならない程の小さな声になる。私は俯いて、膝の上の拳を見つめた。そしてジークハルト様から出た次の言葉に瞠目する。
「だが、当時の王も、王妃、幼い王女も現王陛下が討ち果たしたのではないのか?我々にはその様に伝えられたのだが…」
「そんなっ……!!」
がたん、と私はソファを蹴倒す勢いで立ち上がった。バサバサと机の上の資料が床に散らばる。だが、構わずに訴えた。
「そんなはずありません…!私はっ!!」
「……そう興奮するな。俺は可能性として捨てきれないと言っている」
冷静な口調で咎められ、私はソファに座り込む。
「あなたが先王の娘だとして、その証拠はあるのか?」
真っ暗だった視界に、一条の光が差したようだった。私の事を証明してくれる唯一のモノ、それは父と母から託された宝珠…。
「……はい。これを」
チェーンを首から外して、宝珠を差し出した。いつ見ても美しく輝く指輪は、私が父を亡くした時からずっと着けてきた。
「虹色の宝珠、と呼ばれているものです。リンドベルク王家で代々の王に伝えられてきた秘宝中の秘宝…。10年前にお父様から受け継ぎました」
不思議に輝く宝珠を、ジークハルト様はじっと見つめる。まるで、それは審判を受ける罪人のような気分だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実は、俺は結婚式のあとから急ぎリンドベルク王族を洗い出していた。本流の王族や傍流の王族に至るまで全てを。その過程で、断片的にリンドベルク王国の影を知ることができた。
実の兄弟による王位を巡っての争い。かなり前から燻り続けていた火種であったらしいこと。
それ以上の情報は得られる見込みはなかった為、本気で妻となった王女の身元を疑っていた。しかし、ここでまさかの展開。先王の遺児だとは、考えもしなかった。
「あなたが先王の娘だとして、その証拠はあるのか?」
我ながら嫌らしい質問である。私腹を肥やすことに躍起な貴族たちの上を行くためとはいえ、いつも一言多い。うなだれたままの王女にとっては痛い質問ではなかろうか…。
「……はい。これを」
思いの外、しっかりと答えた王女が示したのは首から下げたペンダント。否、どんな色にも見える不思議な石が埋め込まれた指輪だった。
「虹色の宝珠、と呼ばれているものです。リンドベルク王家で代々の王に伝えられてきた秘宝中の秘宝…。10年前にお父様から受け継ぎました」
俺はその説明を聞いて、ピンとくる。見た瞬間、記憶の中で引っかかるものがあったからだ。俺は宝珠を見たことがあった。但し、正確には絵図で「見た」。
記憶と重ねあわせるようにして宝珠を見つめると、王女は手のひらを差し出し、俯いた格好のまま震えていた。言わせるためではあるが「報復を」とまで言ったことに、じわじわと罪悪感が芽生える。俺は席を立ち、向かいにソファに座る王女の側に膝をついた。開かれた手と共に、宝珠をそっと包み込ませる。
「……嫌な質問をして悪かった。これからあなたを守るためには必要なことだと理解してくれれば、嬉しいのだが…」
完全に信じた訳ではない。しかし、王女の人柄や目の力、両親の事を語った時の声……。嘘を付いているようには思えなかった。
俺が隣にいることに驚いたのか、王女はびくりと身体を別の意味で震わせる。
「えっ……。それは私としても嬉しい、のですが。…殿下!膝をつくのは止めて下さいっ…!」
悲鳴を上げた王女はソファにから落ちるようにして俺と、視線を合わせた。
吐息をする音さえ聞こえそうな距離で、王女が近い。至近距離でこんなに見つめ合うのは初めてだった。
「ーっ!」
王女はパッと顔を背け、そのまま下を向いてしまう。繊細な銀髪に見え隠れする頬が赤くなっているのを見た俺は、その反応に目が点になる。
ちらりとこちらを見た王女と、今度は一瞬だけ視線が絡む。
飛び上がって侍女の元へ走った王女に、俺は呆気に取られていた。