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「……朝?」
のそりと起き上がるとそこは見たことのない場所だった。ただ、寝室ということだけは明確にわかる。…私は睡魔の誘惑に勝つことができなかったはずなのに、どうしてここにいるのだろうか…。何やら頭痛もするし…。あぁ、勧められたお酒を何口か飲んでしまったのだっけ。
「あの…!誰か、いませんか?」
そう叫べばズキン、と頭を締め付けられるような痛みに顔をしかめる。これが噂の二日酔いというやつなのかもしれない。
「リルフィリア様っ!?」
大きな足音を立ててアリサがとび飛んでくる。私はその様子に強烈な既視感を感じて苦笑した。公国へ来てもアリサは変わらない、そんなことがとても嬉しかったのだ。
「おはよう、アリサ。……ところで、私はどうして寝室にいるのかしら?記憶が確かならば、こんなところまで自力で来てないのだけど」
私が言葉を重ねるうちに、アリサはどんどん赤くなっていく。
「お、覚えていらっしゃらないのですか?それは公子殿下が────────────」
「アリサさん、それ以上は厳禁ですよー?」
アリサの言葉に被せるようにして飄々とした一人の男性が入ってくる。私は寝室に男性が入ってきたことに悲鳴を上げかけ、身を守るようにシーツを握りしめた。
「怯えないで下さい、リルフィリア様。この方は公子殿下の執事様ですよ」
幾分平静を取り戻したアリサが「ヒュー様という方です」と紹介してくれる。私は詫びを入れようと思って立ち上がるが、次の瞬間にはふらりと足元が危うくなり、そのまま寝台へ倒れこんだ。
「きゃーっ!!リルフィリア様!?」
アリサの悲鳴に今度は他の侍女までやっくる。
「「「「不届き者!?あっ、ヒュー様!まさか妃殿下に!?」」」」
異口同音に言葉を発し、ビシリとヒューを指した。私はこのヒューという執事に助け起こされながら、痛む頭で侍女たちに頼む。
「……あたま……痛くて。…お水、貰えますか?」
元々寝起きの悪い私には二日酔いと相性が悪いらしく、かなり笑顔が引きつってしまった感は否めない。侍女たちは素早く頷くと、個々の仕事に動く。ある者は衣装を、ある者は髪を整える道具を、ある者は装飾品を持って完璧なタイミングで再び戻ってくる。いつの間にかヒューは外へ放り出されており、寝室には侍女たちとアリサ、そして私が残っていた。持ってきてくれた水をこくりと一口嚥下すれば、気分だけは楽になる。
「……ありがとうございます」
一息つくとアリサを含む侍女たち全員がホッとした表情を見せた。次いで、侍女たちは私が着たままの夜着を脱がせにかかる。
「ひっ、一人でできますよ!?」
なんの躊躇いもなく夜着のボタンを次々と外され、私は真っ赤になりながらささやかな胸を覆い隠す。侍女たちのそれを見ればどれも女性らしく整っている。私のそんな心中を知らないアリサが私の拒絶に困ったような顔をした。
「リルフィリア様、妃殿下となったからには仕方ありません。………多少は耐えてください?」
えいやっ、とばかりに剥がされて私は涙目になり震える。侍女たちは何を感じたのか「まぁ…」と一様に笑みを浮かべた。こっちは死ぬほど恥ずかしいのに、なんという差だろう。しかし、侍女たちはお構いなく衣装を選んでいく。あれよあれよという間に着つけられたのはクリーム色のドレスだ。私が好む、華美ではなくスッキリとしたデサインになっている。
「可愛いドレス……」
ありがとうございます、と微笑むと侍女たちは「はい」と上品に笑う。そこで私はいつも身につけているはずの宝珠が無いことに気が付き、あわててサイドテーブル確認しに行く。なくしたはずはない、なくすはずもない…。
「あ、……よかった」
サイドテーブルに無造作に置かれた宝珠を発見し、私は宝珠を両手で包み込む。酔った勢いで私が外してしまったのだろうか。しかし、こちらの様子を伺っている侍女たちに悪いことをした。
「……侍女殿。もうそろそろいいですかー?」
締めだされていたヒューが顔を出し、侍女たちが許可を出す前に私の前で跪く。
「お初お目にかかります、妃殿下。ジークハルト殿下の執事を務めている者、以後お見知りおきを」
頭を垂れるヒューに私はどう対応するべきか迷う。所詮は付け焼き刃の礼儀作法である。こういうものは場数を踏まなければ慣れないものだな、と昨日も実感した。とにかく昨日と同じ風にやってみる。
「はい、ヒュー様。ご迷惑をお掛けしますが、何卒。……あなた方も、よろしくお願いします」
ぺこりと一礼する私にヒューは目を丸くする。それはアリサを除く侍女たちも同じだったようで、私を驚くような目で見ていた。いち早く我に返ったヒューは侍女たちの気持ちも代弁するように話す。
「あ……えと。様付けは止めていただけませんか?あと、敬語もいりません」
失敗した、と感じるのは気のせいではないはずだ。その証拠にぎこちない空気が流れる。
この場にキュリオリア夫人がいれば的確な指摘を─────────と考えて、やめた。
ここはもう、私が暮らした塔の中の小さな世界ではない。私とアリサ、時々現れるその他の人や母だけで成り立っていた世界ではないのだ。私が話す言葉と示す態度の重み、その影響力。考えられる全ての未来を想像しなくてはいけない。
「…迂闊でした。ヒュー、何か用があってきたのでしょう?話を伺います」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……殿下が?」
「はい。"お聞きしたいこと"があるようです」
テーブルに並べられた軽い食事をつまみながら、私はヒューの話を聞いている。その内容を耳にしたとき、私は背筋が凍りつくのを感じた。
「……妃殿下と、申し入れのあった王女とが異なることについて、です」
「内密に」と言われ侍女を下がらせたため、必ず来るとは思ったが、いざとなると動揺が隠せない。私の動揺をヒューは逃すまいと観察していることがよくわかる。私は息を整えるべく、まだ温かい紅茶を口にした。
「そのことについて、私も殿下に包み隠さずお話したいと思っています」
私はここで例の"親書"を取り出し、ヒューの前に差し出す。これは?と目で問いかけて来たため、私は口を開いた。
「リンドベルク国王からの親書です。大公殿下にお渡しするようにと言われたものですが、殿下を通して見ていただけるかと」
ヒューは王国の印璽が押されていることを確認すると恭しく胸に仕舞う。
「かしこまりました。……殿下は夕食の後に都合が合います。その時で構いませんか?」
私は軽く笑みを浮かべて頷く。ヒューは面白そうに目を細めると一礼して立ち上がった。
「突然にも関わらずお相手してくださり、恐悦至極です。妃殿下」
再び最敬礼すると、そのまま部屋を退出する。一連の動作を座ったまま見届けると、どっと力が抜けた。そしてずるずると椅子の背もたれにもたれかかる。
…どうしよう。
きちんと話せる気がしないのに、約束してしまった。
私でもまだ状況を理解できていないことを、他の人に話すことはかなり難しい。どこから話せばよいのかわからない。それに、勢いで渡してしまった親書。親書も何が書いてあるのか謎だ。
私は二日酔いの頭を抱えながら夜まで悩み続けることになった。