三度目の正直と言うけれど。
深夜のテンションで一気に書いてしまいました。
人生、何が起こるかわからないとはこういうことを言うのね。
3歳の誕生日を迎えた私、エルミゼット=ヘルメ=トラウィスはルレベルグ王国の立派な公爵家の次女として生まれ、自身の誕生日パーティーが行われているのを見ながらそんなことを思った。
生まれて今までは物心がついておらず、ぼやけた感覚で周りに流されて過ごしていたのだが、今唐突に思考がはっきりし状況を把握した模様。あ、私、生まれ変わったのね、と。
何故すぐにそんな思考に至ったのかというと、私はもうすでにこの世には居ないはずだからだ。
今私の視界に入っている、このパーティーの主役である私に挨拶に来た私よりも二つほど年上の少年、王太子ルドウェル=ガストール=ルレベルグ。
私はこの少年が成長して見目麗しい青年になった頃に、今は白くて綺麗だが逞しくなったその手で、胸を貫かれたのだから。
だって、そりゃあね?いくら幼馴染で婚約者になった私でも、愛しくて仕方がない少女に嫌がらせをして、貶めた私に目の前で殺されそうになったら、私が彼でも激昂して排除するわ。傍から見て、愛しい婚約者をとられる事を嫌悪した令嬢が、殿下の寵愛を受けた少女に嫉妬して排除したようにしか見えなかった。うん、あの状況だと、私が当事者じゃなかったらそう思ってたに違いないもの。
だけどね?私はそんなことはしていなかったのよ。確かに、ルドウェルのことは好ましく思っていたわよ、結婚してもいいかなぐらいには。けれどそれは恋愛感情ではなくて幼馴染として、だった。だから彼が恋をした令嬢のことは受け入れていたのよ。私も見惚れるほど美しい容姿をしていたしね。いつの時代も可愛い娘には萌えるものっ!
けれど令嬢は市井で育った男爵家の娘で、身分も、そしてマナーもなっていなかった。ルドウェルは次の国を治める王太子で、その隣に立つにはそれ相応の身分と気品は必要不可欠だった。だから、私はその令嬢にどうにかその気品を身につけてもらおうとしたのよ。身分はどこかに養子にでも出してから結婚すればどうにでもなると思って。
それで、まずはお友達からと思って近づいたのだけれど、それがいけなかったのかその令嬢は私が近づくと転んでしまったり、危うく階段から落ちそうになったり。それは私が足を引っ掛けて転ばせたり、突き落としたように見えた様で、おまけに公爵家の私の取り巻きの令嬢たちはその令嬢の悪口を言う始末。その悪口は止めさせようとしたのだけど、何故だかだんだんエスカレートしていって、気がついたら私が俗に言う’悪役令嬢’になってしまっていたのよね。
ルドウェルにも邪険に扱われるようになってしまってさてどうしましょう、と頭を悩ませていた時にはあの娘の方からお手紙が来て、王宮の庭で会うことになったのだけれど、そこで私はどうしてそんな状況になってしまったのか全てを理解したわ。
待ち合わせの場所で彼女に会った時、彼女は刃物を持って現れたのよ。そして私にまさに’悪役令嬢’のような笑みで言ったの。
「良い当て馬になってくれて、ありがとうね?エルミゼット様」
そしてその刃物で自分の腕を切りつけたのよ、あの娘。衝撃を受けて一瞬怯んでしまったけれど、とりあえず凶器を遠ざけなければと思って刃物を奪おうとした時に、丁度ルドウェルが現場に現れて。
最終的に私は彼女を殺そうとした悪役と認識されて、彼に胸をドスン、と剣で一突きされてしまったのよ。
うん、あの瞬間はもう二度と思い出したくないわね。ものすごく痛かったもの。
それからどうなったのか私はよくわからないけれど、暗くなっていく視界の中で令嬢の目は驚く程見開かれていて、それから後悔に顔がゆがんでしきりに私に謝っていた。それと同じようにルドウェルも自分でやったことが信じられないのか呆然とした顔をして、何かを喚いていたっけ。
そこで記憶は途切れているから憶測でしかないけれど、あの令嬢もきっと私を死なせるつもりはなかったのだと思うわ。当て馬にしたかっただけなのに。ちょっと可愛そうかな、とは思う。
ルドウェルは……別にいいわ。あの時は何も言わなかったけれど、私の側の話を聞いてくれてもよかったと思うのよね。できればあの後どんな風になったのか見たかったわね。私としてはルドウェルには盲目になって取り返しのつかないことになってしまって、後悔する様子を見て「ざまぁwww」と笑ってやりたいくらいだわ。
それにしても、またあの幼い頃のルドウェルを見ることになるなんて思わなかったわ。私も3歳に戻ったみたいだし。
……あれ?そうなるとこれは生まれ変わりではなくて、生まれ直し?
それで、また同じように成長して、ルドウェルと私は婚約者になって、あの令嬢とルドウェルは恋に落ちて、令嬢に私は当て馬にされる訳?
ーーー冗談じゃないわ!!もう痛いのは嫌!!
「この度はお誕生日おめでとうございます、エルミゼット嬢」
そうにこやかに挨拶してきたルドウェルに、私は言った。
「あなた様に祝われるなんて、嬉しい限りですわ。けれど、私のようなものに時間を割くより、ご自分の事を優先なさいませ」
その私の言葉を聞いて、ルドウェルは呆けた顔をした。隣にいたお父様は驚いた顔をしている。
ご自分の事を優先なさいませ、と言外に含んだのよ。
我に帰ったお父様は何故か含んだ笑みを見せているし、ルドウェルは多少の戸惑いと苛立ちを隠しきれずにそのまま私の前を去った。その後は、挨拶してくる人には愛想よく応対し、疲れてきた頃には何事もなく私の3歳を祝うパーティーは終了した。
当然、何でルドウェル殿下にあんな無礼なことを行ったのかお父様に聞かれたけれど、将来彼に何をされるのかわかっているのだから、前世のような純粋な好意は持てるはずもないもの。だから正直に答えたのよ。
「好意は持てないので、遠ざけようと心にきめたのです」
「わが娘ながら、ナイスな心意気だね」
何故か褒められたわ。
それから私は起こるだろう未来をどう回避しようかと考えたのだけど、残念ながら公爵家の私と第一王子のルドウェルが関わらないようにすることは無理だと判断したわ。だって、お父様とルドウェルのお父上(国王様)は良くも悪くも仲がいいようだし(好敵手みたいなものだと思う)、前も幼い頃は王妃様に呼ばれてルドウェルの遊び相手を頼まれていたし。
それなら彼との接触は必要最低限にしなくてはね。え?ルドウェルと結ばれなくてもいいのかって?あんな盲目なおばかさんはこちらから願い下げなのよ!勝手にあの令嬢と恋に落ちればいいんだわ。ただし、私の関わりのないところで!(ここ重要!!)
ということで、前とは異なる人生を歩むことを心に決めたわ。
前の人生で培った知識はまだ覚えているのかを勉強で復習した。通常の教養の授業は知っていることばかりで退屈で、周囲には違和を感じさせないように気を遣いながら、だったので変に疲れてしまったけれど。もちろん、自分磨きも欠かさなかったわ。
それ以外に刺激が欲しくて、一人で屋敷を抜け出すようになった。庶民の服に変装してあちこちと回っている間に、市の人たちと仲良くなったのよ。そこは屋敷の中や貴族の世界よりもとっても気楽で、そして人間味の溢れた世界だということを身にしみて知ることができたわ。前の人生では貴族の世界で忙しくすごして、そんなこと知ることすらしようとしなかったのよ。こんな世界が広がっているのも知らずに、貴族の世界だけで生きて、それが全てだと思っていた私は馬鹿だったとしか言いようがないわね。
両親は私がそんな風に外に出歩いている事を知っていたけれど、私のことを止められないことを悟や否や、私のことを’病弱であまり外出できない娘’と他人に流すようになった。このおかげで私は自由に外に出られるは、ルドウェルとは彼がトラウィス家を訪れる(私のお見舞いと称して)時以外に関わることがなくなったので、一石二鳥だといえる。
そんな感じで庶民の世界の味を占めていた時だったわ。親しくしていた果物屋のおばあさんが急に病に倒れてしまった。それを目前で見ていた私は、なんとかおばあさんをお医者様まで連れて行ったのだけれど、診察したお医者様は、お手上げだ、と言って見放してしまったの。他のお医者様にも見せにいったのだけど、どこも同じような反応で。そうしている内におばあさんは静かに息を引き取ってしまった。
私は悲しみと憤りを感じたわ。それからどうしてとしつこく医者に問いただしたら、あの病気を治せるような治療法と薬が存在しないのだ、と言われてしまった。
この世界には魔法も存在していて治癒の魔法もあるのだけれど、その源となる魔法を使えるのは極少数の人間に限られていたし(残念ながらわたしも使えない)、治癒魔法でできる範囲は切り傷を塞ぐ程度。つまり、それが庶民の人々が簡単に享受できるものではなかった。
だからといって、そのまま人が亡くなってしまうのを見ているままではいられないわ!せめて私の目の前にいる人たちは助けたい!
薬がなければ作ればいいのよ!
そう決心して他の教養やら政治やら経済やらの勉強をとっとと終わらせて五歳から薬学にのめり込んだ私は、2年ほどで国中の薬学の本を読み尽くした。それから実際に薬学で扱う薬草を調査して、未だに見つかってない効果のある植物を探し回ったわ。植物図鑑を片手にいろんな所へ一人でフラフラとして、森で迷子になって魔物に襲われた時にお父様に叱られたのはいい思い出だわ。それからは一人で迷子になっても、襲われても心配の無いように武術も学ぶようにした。兄と渡り合えるほどまで成長したところを見ると、お父様は諦めたのか私が郊外や国外やらに植物を求めて冒険に行ってしまっても何もおっしゃらなくなった。ただし、護衛もいっしょだったけれど。
そうやって道端にあるものから珍しいと言われるものまで集めては色々と試していたら、香りの良いものがあることに気がついたの。それから色々と閃いたわ。これ、使えないかしら?と。
水仕事でカサカサになった手にハンドクリームを塗ることはあったのだけど、いかんせん香りがあまりよくない。でも、これにいい香りのものがあったら、庶民の女性などには需要があるのではないかしら。それに、ボディクリームも無香料のものしかないのだし、香りをつけたら貴族の令嬢にもきっと気に入られるわ。もちろん最終目標は新しい薬の開発だけれど、それ以外にも役にたつものが作れるのなら、それに越したことはないでしょう?
そうしてある程度植物や薬草の情報が集まってきたらお父様に本格的に薬の調合や研究をする施設に行きたい!と訴えたら、まだ10歳にも満たない娘をそんな目の届かないところに行かせられない、と反対されたわ。それに反射的に「お父様なんか大っきらい!」と言ってしまった時には、お父様がとても悲しそうな顔をなさってしょんぼりしてしまった。これには少し反省したわ。
けれど諦めたくなかった私は、「いつもお仕事を頑張っているお父様に少しでも疲れが取れるようなお薬を作り出したいのです」と言ったら、お父様は目を輝かせて研究室やら何やらをトラウィス家の一角に設けてくれた。わがままを言った私が言うのもなんだけれど、私に甘すぎやしないかしら、お父様……。
兎にも角にも、私はそこで黙々と薬草と植物の研究にのめり込んだわ。そんな私の様子を見て、「やっとお転婆な娘が落ち着いた……」とお父様がお母様に呟いたというのは、私がその計画を実現した時に聞いたお話。だけどね、私は研究の合間を縫って町に行ったり剣術の稽古をしたりしていたのよ?お父様たちには秘密だけど。
その間、前の人生の時のようにルドウェルとは婚約者にはならなかったのかって?
ええ、ええ。それはもう回避しようとはしましたけれど、如何せん公爵家という貴族的な地位に問題ない娘で、年が近い令嬢はそれまでは私しかいなかったので、婚約者では決してないのですけれど、周囲からはそう噂されて、それが事実のようになっていまして。ま、私はこの先どうなるのか知っていますし、関係のないことなので放置ですよ、放置。
研究やら市井に行っている間にルドウェルは私を頻繁に訪れていたそうですけれど、例のごとく病で臥せって面会謝絶にしていたわ。たまに顔を合わせればやたらと関わってこようとしていて(話をわざと引き伸ばして面会時間を増やそうとしたり等)、私としては迷惑以外の何物でもなかったですけれど。
そうして幾つかの傷病に効く薬を開発した私はもう16歳。生み出した薬はお医者様たちのお墨付きにもなって、トラウィス家の名で安い価格で質の良い物を売り出すようになって2年が経った。
ボディクリームやハンドクリームに様々な香りを付けるの香料が出来上がったのもそれくらいの時期だったわね。この香料は社交デビューしたときには、自らつけて宣伝した。というのも、この世界には自分に匂いを付けるのは臭いを消すのが目的で、香りに違いはなくて爽やかな香りのものはなかったのよ。だから、香りの強いお花や、それに相性のいい果物の香りを調合した液体、’香水’を作り出して、髪や肌に吹きかけたわ。するとどうでしょう、令嬢たちが食いついて来て、入手源をしきりに尋ねてきたわ。もちろん、自分で作ったものだと言ったら豆鉄砲を食らったような顔をしていたのには、少し笑ってしまった。
そうすると、面白いように私の周りに女性たちの繋がりができていったの。やっぱり女性が香りを付けることは一種のおしゃれと同じだもの、自信を磨きを追求する貴族の令嬢たちにとっては新しいものは自分にも取り入れたいと思うのは当然だわ。
それから現在に至るまでに、私はおそらく国で1、2位を争うほどの女性の情報網を持っていると言われるようになったわ。噂好きの女性の情報網を甘く見てはいけないのよ。昨日の出来事が、すぐに私の耳に入ってくるようになるくらいには伝わるのが早いのだから。
そんな情報網にはすでに私を当て馬にしてルドウェルを得ようとした令嬢が社交界に現れるというものもある。もうそんな時期なのね、時が経つのは早いものだわ。
だけど周りから噂されていても、私はルドウェルとは婚約者ではないし、前の人生の時とは知識量も立場も違う。初めこそお父様は前のように私を殿下の婚約者にしたがっていたけれど、3歳の時の私の殿下への態度と、名目上お父様のための薬学研究のおかげでお父様は私をトラウィス家から出そうとはしなくなった。代わりにお父様方の子供に恵まれなかった叔母様がいらっしゃる分家のヘルタール家へ養子として入って何方かと結婚してその方とともにトラウィス家を助けていく立場になるだろう、と言われている。
私もそうなるだろうことを想定している。この歳になると恋愛感情というものをもつのが令嬢として普通のことだが、前の人生の時も持ったことはなかったし、私は何故か生まれ直して精神年齢的にも見た目の倍はあるのでそんな感情を持つようなことはこれからも無いのかもしれないわね。
私のヘクタール家への養子入りの話が本格化してきた頃のことだった。王宮から夜会の招待状が届いたのよ。届いた時丁度私は屋敷内でお茶を飲みながら最近流行りの小説を読んでいて、家令が届けて来たその招待状を見て、ああ、あの令嬢がデビューする夜会ね、と思い出しながらそのまま読みすすめたのだけど、その家令が届けてくれたのはその招待状だけではなかった。
「やぁ、エル。今日は調子が良いようだね」
その声を聞いて驚いて口につけていたティーカップを落としそうになったのは、声の持ち主が会いたくない相手だったからだわ。
「……ご機嫌よう、ルドウェル殿下。」
努めて冷静に受け応えた私は持っていたティーカップをおいて、礼をとった。
「このような場所にいらっしゃる御用はどのようなものなのです?」
「……世間話もさせてくれないのかい、俺の幼馴染は」
そんなこと言ったって、今の私たちはそこまで親しいとは言えないと思うのだけど。
「それは失礼いたしましたわ。お忙しい殿下の手間を省こうとしたのが裏目に出ましたわね」
そう言って私は扇子を開いて口元を隠す。早く帰ってくれないかしら。そんな私の様子を見たルドウェルは溜息を吐いた。
「やはり、簡単には素直にならないか……」
「何か言いまして?」
「いや、エルがそこまで俺のことを考えてくれているなんて、嬉しいなって」
「そうですか。それより、まさか先ほどの王宮の夜会の招待状、わざわざ殿下が直接持っていらしたのですか?」
冷めた眼でそう言うと、ルドウェルは苦笑いをした。
「その通りだよ。伝えたいこともあったしね」
そう言って私が座っていた向かいの席にルドウェルは腰掛けた。……長居するつもりなのかしら。
「夜会のことでしょうか。それならご心配なく、私も招待を受けた以上参加させていただきますわ」
「それは嬉しいな。君が参加する夜会に俺もいるのは久しぶりだからね」
この男、私がルドウェルの参加するような夜会を極力避けていることに気づいていたのね。もし参加していても、ルドウェルがいる時間帯にはもうお暇していたし。今回はあの令嬢のことを確認するまでは帰らないつもりだったので、接触は避けられないと思っていたけれど、わざわざ釘を刺しにきたのかしら。
そんなことをぐるぐると考えながら私は笑顔で対応する。
「今回の夜会の主催者はお母様なのだけど、招待状を出されているの多くは年頃の女性なんだ」
「そうなのですか?殿下も御歳17になりますもの、そろそろお相手を探して欲しいとの王妃様の意思なのかしら」
うふふ、と微笑みながらそう告げると、ルドウェルは微笑みながらうちのメイドが入れたお茶を飲んだ。
「自分の相手くらい、自分で決めると言っているのだけどね」
前の人生の時にあの令嬢が社交デビューしたこの王宮の夜会では、ルドウェルと私の婚約発表のパーティーだった。幼馴染で兄弟のようなルドウェルと結婚することになって、何処の誰ともしれない相手と結婚されずに済んでホッとした覚えがあるわ。だけど、彼の言う自分の決める相手というのに当て馬にされるのが私なのだけど。
「それでも王様のお世継ぎは殿下しかおられませんもの、ご心配なのですよ」
この国の母とも言える王妃様は民からもしたわれる存在だが、やはり実の息子のことになると手を出したくなるのだろう。
「そういえば、エルもそのお年頃の令嬢だけど、婚約の話は出ていないのかい」
「婚約のお話は出ていませんが、お父様が色々と考えてくださっています」
「トラウィス公がね……」
ルドウェルはそう言ってから何か思案するようにティーカップの中のお茶を見つめた。
「殿下?どうかなさったのですか」
ご気分が悪いのならお帰りになられたらどうですか、とここぞとばかりにルドウェルを追い返そうと畳み掛けようと口を開きかけたのだけど。
「いや、そろそろ俺は王宮に戻るよ。とりあえず今日はエルに夜会の招待状を届けて、必ず来るように確認したかっただけだから」
「え、ええ。それではご機嫌よう、殿下」
「ああ」
いつもならもっと長居をしようとする筈なのに、おかしいな、と思いながら私はそのままルドウェルの背中を見送った。
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夜会というものは鬱陶しいものだと思う。笑いたくもないのに笑って、話したくない人とも視線を合わせて腹の内を探り合う。自分の本音など見せたら弱みに成りかねない世界。だけど、自分の目的のためには通らなければならない場所。
今日も今日とて、まったく王宮で開かれる夜会は煌びやかすぎて性に合わないわ。今回の人生で庶民的な思考が身に付いてしまったためかそんな風に思うようになったのは私にとって良いことだと思う。狭かった自分の世界が広がって、逆に利用しようとさえ思っていつの間にか女性の中では情報通な1人になった。
私の周りには、私が開発した美容品の交渉が目的な貴族たちはが集まってきている。本音を言うと辟易しているのだけど、これは自分の家の利益に繋がるし、何よりも自分の武器の一つ。敵前逃亡はトラウィス家の名が泣くわ!
数名の婦人と、それから美容品業界に目をつけた商をしている貴族たちの対応をして人が途切れたので一息つこうと飲み物を頂いた。それをお供に壁の花になって件の令嬢を探していると、顔見知りの者が近づいてきた。
「お前の商いは順調そうだな、エルミゼット嬢」
「あら、お久しぶりですわ。アルノート様。おかげさまで順調です」
彼はヴァレンツ侯爵家の次男で、ここ数年は他国との貿易を担う役職に就いているお父様のお手伝いをしている、私よりも2歳年上の18歳の青年だ。その関係で国の名産になりかけている私の美容品を他国に広めて国の利益をあげようと考えているらしく、ここ数年は彼と商談のようなものをすることが多かった。
「お前の周りは人が多くて、すぐに見つけられるな」
「アルノート様の方こそ、両手に華……いえ、それ以上の女性が周りに集まっていらしゃるのですぐに何処にいらっしゃるのか把握できますわ」
「それは嫌味と受け取ったほうがいいのか、それとも嫉妬と受け取ったらいいのかね?」
「是非とも前者でお願いいたしますわ」
そんなやり取りをしてお互いに笑い合う。こんな口をきいているけれど、彼はとてもよく気が効くし会話も弾む、私にとっては友人とも言えるような存在なのよ。
「どうだ?そろそろお暇するなら出口まで送っていくが」
「いえ、今日は例の令嬢を目に入れるまでは帰りませんわ」
そう言うとアルノート様は意外そうな顔をした。
「へぇ、おまえでも興味があるのか」
「興味というより……調査ですわね」
私のこの人生において脅威にならなければそれでいいのよ。
「調査、ねぇ……」
アルノート様はふぅん、といった感じでそれ以上追求してこなかった。
と、その時だった。会場が妙にざわついたので、私とアルノート様の視線はそちらに向いた。視線を集めている中心の様子を見れば、なんとあの件の令嬢が第一王子のルドウェルと抱き合っていたのよ。
「あら」
私は思わず出た声を口元で抑えるように手を当てた。まさか、いきなりこんな大胆なことをあの二人がするなんて思ってなかったのよ。なに?もしかしてルドウェルったら今度は出会って運命感じちゃたの?
それに、ルドウェルは私たちの方を見てなにやら笑みを見せた。まるでこの女は俺の女だ、手を出すなよ?って周りに知らしめるように。……なにそれ恥ずかしい。
「随分大胆な独占アピールだなぁ」
ほら、隣のアルノート様だって苦笑気味じゃない。例の二人はもう離れたけれども、会場のざわつきは収まらない。王子はあの令嬢を選んだだの、公爵家の娘との婚姻はどうなるだの。うっとおしいわね、だから私はルドウェルの婚約者じゃないって。
でもまぁ、今世でもあの二人が恋仲になるというのなら、今回はあのふたりに関わらないようにすれば良いだけだものね。今後の私がどう動くべきかみえただけで、今回の夜会の収穫はあったのだ。
「どうする?目的の令嬢はお目にかかれただろう」
「そうですわね。王宮も久しぶりですし、綺麗な中庭でも通って帰ろうかしら」
「なら、俺も外の空気を吸うついでに送っていくわ」
「あら、ありがとうございます」
アルノート様はそう言って腕を差し出してきたので、私はその腕に手をかけて中庭へとエスコートしてもらった。
綺麗な白い花が月明かりに反射して幻想的に見えるこの王宮の中庭は、いつ来ても素晴らしいわね。
そんなことを思っていると、アルノート様はそういえば、と声をかけてきた。
「お前、分家の家の養子になるっていう噂は本当か?」
「……よくそのお話を知っていらしたわね。未だトラウィス家のうちに止められて公にされてはいない筈ですのに」
「そこはまぁ、俺の家の情報力のおかげかな」
確かに、貿易関係をになっているのだから、情報力は必要不可欠ではあるわね。
「アルノート様はこうして親しくさせていただいてますし、お話しますわ。私のこの商いと情報力をお父様はトラウィス家として手放したくないようで、分家のヘクタール家の叔母さまの所へ養子入りして、その後に婿養子として何方かと婚約する予定ですの」
話し終えるとアルノート様はやはりな、という顔をした。もしかしてそこまで情報をもっていたのかしら。
「分家に養子入りするならその程度は予想できるさ」
「まぁ、アルノート様は聡明でいらっしゃるのね」
「公爵家が手放したくないと言っているお前と交渉が出来る程度にはな」
その言葉にうふふ、と笑っているとアルノート様はふと視線を落とした。これは彼が考え事をするときの仕草だ。しばらくそのままだろうと思って私は景色に視線を向けた。ああ、今夜は月が綺麗ねぇ。
「エルミゼット嬢」
「何かしら?」
急に真剣味を帯びた声色だったので、私はそちらに視線を向けて次の言葉を待った。そして、アルノート様が口を開いた時だ。
「その婿よ「エル!」」
アルノート様の言葉を遮るように、私の愛称を呼ぶ声が聞こえた。この、声は……。
「俺に声を掛けないで帰るなんて酷いじゃないか」
「……ご機嫌よう殿下。それは失礼いたしましたわ。ですが、あれほどの大胆な場面を見せられたのです、お二人の逢瀬を邪魔することなんてできませんわ」
とっさにつけた笑顔でそう告げると、ルドウェルはどこか気を良くしたように笑顔になった。
「ああ、もしかして嫉妬してくれたのかい?いつもつれない態度しかしてくれなかったけれど、やっぱりエルは俺のこと好いてくれていたんだね!」
「………………は?」
私とその場にいたアルノート様はルドウェルのその言葉に唖然とした。だけど、ルドウェルはそんな私たちの様子に気づかないのか尚も続ける。
「でも心配しないで、俺は前世からエルのことを愛しているから!」
興奮気味に告げられたその言葉に私の仮面は完全に崩れ去った。何を言っているのかしらこの男。
「何時から、誰が、誰を愛していると?」
自分でもなんてバカなことを尋ねているのかと内心つっこんでしまったわ。だけど気にもとめず目の前の第一王子は答える。
「前世から、俺が、エルを」
今度こそ私は言葉を失った。
「信じられないかもしれないけれど、前世で俺は幼馴染の君と婚約していたけれど、突然現れたコルドレアに夢中になったんだ」
まさかのここでルドウェルも前世の記憶もちだったことが発覚した。ちなみにコルドレアは例の令嬢のことだ。
「だけど君はコルドレアと俺が結ばれるために色々としてくれていたのに、コルドレアは邪険に扱って、挙句の果てには君を当て馬にした。俺はそれをそうとは気づかずにエルがコルドレアを傷つけたと勘違いして、咄嗟に君を責めてしまったんだ」
ええ、実際には責めたのではなくあなたに胸を剣で貫かれたのですけど。
「その後死んでしまったエルを見てコルドレアは自分の罪と、そして周囲はエルの行動の意味を告白してくれて、俺は君にそこまで想われていたのかと実感して、同時に激しく後悔したんだ」
まぁ、あなたのことを想っていたのではなくて国のことを思っていたのですけど。
「それから俺は願った、もう一度やり直せたら、と。強く願ったら、突然目の前に伝説の魔女が現れて、叶えてくれたんだ」
……ということは、私がこうしてまた第二の人生を送っているのはルドウェルのせいだったのね。まぁその願いと伝説の魔女?のおかげで私は新しい人生を送れているのだけれど。
「だけど、エルは俺のことを邪険に扱うし婚約の話も出ないから、潜在的に前世のことを怒っているのかと思って一生懸命誠意をみせたんだ。」
いえ、怒っているのではなくて、関わりたくなかっただけなのですけど。
「だけど、他の令嬢と親密なところを見せつけて君が嫉妬してくれて、今日やっと君が俺を想ってくれてるってわかった。だからエル、俺と婚約しよう!今度こそ幸せにするから!」
はい、素敵な告白をありがとうございます。
私は目の前に出されたルドウェルの手を見て溜息を吐いた。前世で幼馴染のような関係で、彼のことをよくわかっていると思っていたのだけれど、撤回するわ。……果てしなく自意識過剰だったのね。
「お断りいたしますわ」
はっきりと私はそう告げた。ルドウェルは意味がわからないような顔をしている。まさか、断られるとは思っていなかったのかしら。
「ど、どうして?エルは俺のことを好いてくれているだろう?」
「いいえ」
きっぱりと告げると、突然第一王子は私の肩を掴んできた。
「どうして?前世ではあんなに仲良くしてたし、君だって俺のこと想ってくれていただろう?」
「前世がどうであれ、今の私はあなたのことを次代の王としか見ていませんわ。」
「だけどさっきは俺とコルデリアに嫉妬を……」
「失礼を承知で言わせていただきますけれど、先ほどの私の言葉は嫉妬からのものではなくて単なる嫌味ですわ。勘違いしないでくださいませ」
そこまで言うと彼は呆然としてしまった。まさか、ここまでこの第一王子がお馬鹿さんだとは思っていなかったわ。このまま次代の国王を任せてもいいのかしら、と不安に思ってしまうくらいに。
呆然とするのはいいのだけど、それよりも肩を掴んでいる腕を離してくれないかしら。なんて思っていると、静観していたアルノート様が失礼、と言って第一王子の手を避けてくれた。そして。
「エルミゼット嬢、先ほどの話の続きなんだが」
「ああ、そういえば何かを言いかけていらしたわね」
何かしら?と首をかしげると、アルノート様は跪いて私の手を掴み、そして手の甲に口づけを落とした。
「お前の婚約の相手に俺がなってもいいだろうか?」
「あら、まぁ」
王宮で行われた煌びやかな夜会。その最中に中庭から聞こえてきた奇声は第一王子のものであったという噂が流れ、瞬く間に貴族の間に広まった。
その後の話をすると、私は無事にトラウィス家の分家のヘクタール家に入り、そしてヴァレンツ侯爵家の次男であるアルノート様と婚約した。だって、貿易に携わる家出身なのよ?私が読んだこともない薬学の本を他の国から輸入してもらったり、この国にはない植物も輸入して自分の研究が更に捗るのよ、いいことずくしよね。
それから数年後には結婚して4人の子供たちにも恵まれて、人並みの幸せを手に入れたわ。まぁその間にルドウェルが介入したりしてややこしくなったけれど、その頃にはわたしもアルノート様を好いていたし、仲睦まじくすごしていて貴族では珍しい恋愛結婚だと噂された。
ああ、前世ではいろいろ不幸なことあったけど、今回は幸せな人生だったわぁと晩年はしきりに思っていた。
……のだけれど。
「この度はお誕生日おめでとうございます、エルミゼット嬢」
その言葉で意識が明瞭になった私は、目の前にいる4歳の王太子ルドウェル=ガストール=ルレベルグを見てげんなりした。
「あなた様に祝われるなんて、嬉しい限りですわ。けれど、 私のようなものに時間を割くよりご自分の事を優先なさいませ」
前と同じようなセリフを、今度は本当に嫌味ったらしく言った。
また……またなのか。この第一王子はあの伝説の魔女とかいうのにお願いとやらをして、同じことを繰り返したのか。
呆れている私を知ってか知らずか、ルドウェルは口元に弧を描いてこう告げた。
「三度目の正直と言うでしょう?」
そうして唖然としている私に背を向けた。隣にいたお父様は意味を図りかねて首をかしげていたけれど、私はそんなことを気にもとめずにその背中を睨みつけた。
ねぇルドウェル。そうは言っても私はあなたのことを色々と知ってしまっているのよ。人間の思考の特性はそう簡単には変えることはできないわ。記憶を持っているのなら尚更。だから、今回も私はあなたのものにはならない自身があるわ。だって。
『二度あることは三度ある、のよ』
ちなみに補足ですが、ルドウェルはエルが自分と同じように前世の記憶を持っているとは思っていません。残念な男です。