名前のない女の子
気がついたら、私はずっと海を眺めていた。
大きなガラス板の向こうでは、不思議な海がユラユラと漂っている。
少し霞んで見える正面の島から、灰色の摩天楼が無数に聳えている。
その島との距離は、今いる場所から大して離れてはいない。
だが、発展し過ぎた文明が、私を置いて行くように線を引いているように思えた。
いや、それは案外間違っているのかもしれない。
向こう岸に並ぶ、灰色の騒音。
それ以外は、全てが蒼い。
海も、空も、窓の外から囁く波の音も、今いる空間も、私も。
くすんだ街をせせら笑うように、風がサワサワと空を揺らす。
そう考えてみると、何も気づかずに生き急ぐあの街が、とても滑稽に見えた。
そして、こんなところに来てまでくだらないことを考えている私のことも、非常に滑稽に思えた。
「……でも、ここ、どこなんだろう」
私は、ようやくそんな疑問に辿り着く。
海を眺めるのをやめ、窓の内側を見てみる。
やはり、蒼い。
質素どころか物が何もないのに、それに対して違和感は湧かない。
出口もドアもなく、魅力もないこの空間の中では、やけにこの大きな窓とその向こうに映る海が酷く美しくて価値のあるものに思えた。
窓の両端にくくりつけられた白いレースカーテンが、蒼い光を映し出して私を外の世界に引き込もうとする。
「……あら? 遊びに来たの?」
急に背後から声を掛けられたものだから、肩を大きく跳ね上げてしまった。
恐る恐る振り返ってみると、すぐ側には女の子が立っていた。
どんな顔立ちをしているのかはよく見えない。
けれど、珍しいものを見る目で私を眺めているのは伝わった。
「あなたは、だあれ?」
私が勇気を出して尋ねてみると、女の子は髪を揺らして答えた。
「ここに住んでるの。けど、私に名前はないわ」
どんな声をしているのかは、分からない。
ただ、水彩絵の具でサッと描いたような、儚くて蒼い響きだった。
「……それで、あなたは誰なの?」
女の子に聞かれた質問に答えようとして、私は口を開きかける。




