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Asturias  作者: モーフィー
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故郷

 この後、アーサー達は、さきほど音楽を聞いていたらしき男から自宅で演奏をしないかと誘われた。それを引き受け、成功を収めると男はスポンサーになろうと言ってくれた。だが、ムイリェン達はそれを断り、アーサーだけが残ることになった。

 そこでアーサーは彼の支援を受けて再び、自分自身の楽団を作った。そこでは音楽の既存の枠に捕らわれない。ただ、心に訴える音楽を求めた。

 時にムイリェン達も訪ねてくれた。彼らは放浪人として、町を拠点として地方を点々としているらしい。



「――そんで、そいつは突然騒ぎ出したんだ、俺の靴下がねえって。けどな、よくよく見たら、そいつコップが冷たいと言って、靴下をコップに巻き付けていたんだよ」


 ムイリェンの下らない話に胸の中の幼児が声をあげて笑う。無邪気に笑う我が子にムイリェンも幸せそうに笑みを広げる。


 彼らが久しぶりに町に帰ってきた。アーサーはもちろん出迎え、彼らとの親交を深める。特にムイリェンとはいい関係が築けていると言っても過言ではない。他愛のないことで笑い、そうしていることが幸せなのだ。

 初めて見たときよりも少し大きくなった子どもを見つめ、そして母親に視線を移す。


「なあ、ムイリェン」

「ん?」

 彼女達がいない間、ずっと考えていたことだ。

 けれどもなぜか彼女を目の前にすると言葉はのどの奥に引っ込んでしまう。

 すると、母親似の大きな目を輝かせ、シアーシャがアーサーに向かって手を伸ばしてきた。


「アーサー」


 舌足らずながらも、最近名前を発音できるようになってきた。

 やはり、この国で暮らすにあたって、言葉も覚える必要があると、姉の子ども達、そしてまだ早いかと思いながらもシアーシャに教えている。最近、彼女はアーサーの名前を覚えてくれたらしく事あるたびに発音してくれる。


「シアーシャ!」


 ムイリェンは母国語に戻って娘に短く言う。まだまだ母国語の方が達者な幼児は母と会話し、アーサーを指さす。その言葉にムイリェンは少し慌てた様子を見せ、否定するように言葉を重ねる。シアーシャはぽかんとした顔を見せていた。


「何て言っていたんだ?」


 彼女たちの言葉が分からないアーサーにとっては気になる。それも、彼女の頬がわずかにでも赤く染まっていたらなおさらだ。しかし、ムイリェンは首を振った。


「何でもないよ。もう、この子ったら…。それで、あんたの方は何て言おうとしたんだい?」

「あ、いや」


――ただ、お付き合いしてくれと言うだけなのに


 これまで音楽に人生を掛けてきたため、恋愛云々には興味はなかった。けれど、彼女に対してのこの気持ちは無視できる物ではなくなってきた。


 その時、姉がやってきた。


「ムイリェン」

「あ、うん…」


 彼女はちらりとアーサーを見た。


「なあ、アーサー、あたし達からも話があるんだ」

「ん?」

「あたしら、今度、故郷に帰ろうかと思っているんだ。風の知らせで落ち着いたらしいし、こっちも、金貯まってきたし」


 シアーシャを抱きしめ、やや上目遣いでこちらを見てくる。


「あんたにも世話になったし。…ありがとう」


 頭が一瞬で真っ白になった。


「――もう、ここには帰ってこないのか?」

「帰るって? 向こうが私たちの故郷なんだよ」


 彼女は我が子を抱き上げ、立ち上がった。


「色々、準備が終わったら出発するけれど、しばらくはテント暮らしかな。んー、早く自分の家に住みたいなぁ」


 何か、自分がうだうだしている間に彼女は知らない道を決めていた。寧ろ、どうして分かり合える道だと思っていたのだろうか。彼女には守らなければならない家族がいて、自分の知らない故郷がある。


 彼女はふと訪れた幸運の女神だ。


 手に入れようなんて、考えた自分が馬鹿だ。


「アーサー」


 自分が恥ずかしくて彼女の顔が見られない。握りしめた手がそっと包まれる。けれども、知ってしまった。


「行かないでくれ…」


 良いところも悪いところも受け入れてくれた。ずっと、ずっと一緒にいたい。


 彼女と家族になりたい。


「ムイリェン、私とずっといてくれ」

「でも」

「異国の人間とか、娘がいるとか関係ないんだ。私は君と一緒に音楽を作っていきたい」

「あたしは…」

「ムイリェン、あんたが好きなようにするんだよ」


 いつの間にか、姉が近くで見ていた。気づかなかった。二人は同時に赤くなって手を引っ込める。それを見て、姉が鼻を鳴らす。


「あんたら、じれったいからねえ。ムイリェン、あんたは真面目だから故郷やシアーシャのために頑張ってきただろう。今からはあんたが本当にしたいことをするんだよ。この男はちょっと、臆病者で物足りないかもしれないけれど、今度こそあんたを幸せにするよ」


 そういう限り、彼女は不思議そうな顔をしたシアーシャを抱き上げ、出ていった。


 二人きりになって何となく気まずい。


「…私のことが嫌いか?」

「ううん」

「じゃあ、一緒にいてくれ」


 ぎゅうと小さな身体が被さってきた。


「――あんたと一緒にいる」



 彼女たっての要望で、一度は家族と共に故郷に帰ることとなった。シアーシャに見せてあげたいという。


「…じゃあ、直ぐに戻ってくる」


 彼らの故郷へは遠い。山を二つ越えた先にあるらしい。長かった戦争が終わり、人が戻り始めているようだ。彼らは派手な衣装ではなく、国の正装に身を包んでいる。眼には演奏している時のような故郷への誇りが宿っている。

 兄が朗々とガイタを吹き鳴らす。


「アーサー!」


 馬上で豊かな髪をたなびかせるムイリェン。厳しげに前を見つめる姿は女神そのものである。そんな彼女は朗らかに母国語で何かを言う。

 響きから心が温かくなるものであったが、何を言っているのかわからない。


「何て言ったんだ?」


 すると、隣で馬を操っていた姉がにやにやしながらやってきた。


「あんたのことが、好きすぎて、歌まで作ってしまいそうだってさぁ!」

「いいすぎ!」


 ポッと頬を染めて姉をたたく。その姿が可愛らしくて、すぐにでもかけより抱きしめたくなる。


 しかし、もう少しの辛抱だ。幸せはすぐにやってくる。


 言ったとおり、すぐに少年のような伸びやかな歌が聞こえてきた。


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