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Asturias  作者: モーフィー
2/5

歌声

 家に帰り、何度も何度もあの声のことを考えてみた。あの気まぐれと色気を持つ唇から、少年の素直な響きが紡がれるなんて…。


 教会で女が歌うことは許されていない。いっそのこと、男の子の格好をさせてみたらどうだろう。あの細い体つきならいけるかもしれない。


 アーサーは思わず頭を振った。


 これほどまでに時運はあの娘のことに入れ込んでいるのだと、笑ってしまうほどである。


 ひさしぶりに心が弾んだせいか、眠れないと思いきや意識はすぐになくなっていった。夢の中ではあの歌声が響いていた。




 次の日からアーサーは非常に不機嫌だった。厳かな聖堂の下で不協和音をもたらす少年達と演奏者の音楽があの娘と比べものにならなかったからだ。


「また違う! おまえ達は何度言ったら分かるんだ!」


 荒れるアーサーを目に少年や演奏者達は恐れをなして、次第に練習へ来るものが少なくなっていった。


「ヘンリオ、少しは手加減してやったらどうだね?」


 アーサーはギロリと神父を睨む。


「最初に演奏の質を上げよと言ったのは誰です?」

「それもそうだが、皆、君を怖がっている。これでは演奏する側も聴く側もリラックスできない」

「私は芸術家です。自分の納得のいかないことを指摘して何が悪いのです?」


 神父は鼻息荒く練習に戻ろうとする青年にため息を付いた。


「そうは言っても、我らは芸術家ではない。集まった少年や演奏家達もいわば趣味でやっている者たちだ。――もしかしたら君には早期退職勧告を出した方がいいかもな。そうすればこちらも被害は最小限ですむかもしれない」


 と、アーサーの耳にあの声が聞こえてきた。


 夢ではない。すぐ近くだ。


「静かに!」


 青年は老神父の口を塞いだ。


 もっと良く声が聞こえる所へ。


 人だかりはすぐ外だった。教会の上からは中心にいる彼らがよく見えた。


 少年が曲芸のように跳び回り、客の視線を集め、大人達は楽器の調整を行っている。件の娘は派手な衣装を見に包み、手にはタンバリンを持っていた。それが可愛らしくてアーサーは思わず胸の高鳴りを感じた。父親は見たことのない大きな楽器を肩に掛け、母親は椅子に座り、リュートに似た楽器を調節している。


 少年は大人達が楽器の調節を終わったことを確認して自分はブリキ製の小さな縦笛をとった。


 彼らは観客との呼吸をはかり、一瞬だけ視線を合わせた。


 父親の楽器から思っても見なかった大きな音が響く。豊かな音だ。リュートの音が重なり、縦笛の音が響く。笑ってそれらを見ていた娘が姿勢を正す。


「!」


 娘の口からあふれたメロディーは先ほどまで練習していたものであった。最初に聞いたときと同じ、あの声だ。添えられた歌詞こそ異なるが、アーサーが目指していたそのものだ。


「これだ…」


 歌い手が娘だろうが、放浪の民だろうが関係ない。彼女の声は人の心を掴む。


「…神父様」


 アーサーは振り向いた。この声ならば教会を救うことができるかもしれない。しかし、老神父は眉を寄せて思いの外険しい顔をしていた。


「これはいかんな。確かに賛美歌のメロディーだが神を冒涜する内容に置き換えている」

「どういうことです?」

「彼ら自身の言葉に置き換えて、この国の者には知られないようにして、我らの神を汚しているのだ。しかも、それをこの教会の前でやろうとは挑発にも程がある!」


 老人は憤然と言い切り、声を張り上げた。


「演奏やめい!」


 アーサーが止める間もなく、厳しい声は広場に響く。群衆はこちらを向き、一歩遅れて娘達の演奏も止まった。


「よいか、この者たちは異教徒故、我が神を冒涜した! いいか、誰も彼らの音楽を聴いてはならん!」


 そう言われて誰も老神父が言ったことを納得したわけではないが、とりあえず建前というのがあるため、集中していた人々は散らばっていく。神父も教会が持つ力がどれほどのものか知っているらしく、放浪者達を逮捕までしようとはしなかった。人々が完全に散らばったところを見届けると、鼻を鳴らして教会の中に返っていった。


 後には呆然と立ちつくす娘達が残った。


 アーサーは慌てて神父の後を追った。


「何てことするんです! 彼らこそ教会の救世主となるべく者たちなのに!」

「ヘンリオ、どこの異教徒が救世主になりうるんだ」

「あの人の集まりを見たでしょう? 同じメロディーを歌ってあんなに違うのですよ。――彼らは放浪の民です。いくらか金を払えば、ちゃんとした言葉で歌うでしょう」


 と、つっかかるように歩いていた神父が突然立ち止まった。


 見ると怒っているようだ。


「ヘンリオ、君は賛美歌を何だと考えているのかね? 金で主の言葉を買おうとすることなど愚かにも程がある!」

「しかし、音楽で重要なものは音です。神の教えを聞かせたいならば説法でたっぷり拝聴していますよ」


 その言葉は更に神父の怒りに火を付けてしまったようだ。残り少ない髪が燃えてしまいそうな勢いで湯気を立ち上らせた。


「もう、君には我慢ならん! いいかね、ここは王立楽団ではないんだ。音楽だけを追究する場所ではない。君が音楽を大事にしている事だけは分かった。だから、きみにとって最善の道を教えてやろう。――クビだ!」


 アーサーは自分のバイオリンとわずかな金と共に追い出されてしまった。




「あの分からず屋め」


 元々貴族出であり、まだまだ若いため、実家に返れば食っていくことは出来た。ただし、音楽に関しては趣味にと移る。両親はアーサーが音楽の道を選んだことを反対していたため、そうすれば喜ぶに違いない。


 不機嫌に道を歩いているとことの発端となった声が近づいてきた。


 娘はアーサーの姿を見つけると少年のような声で、憎まれ口を叩く。


「…あんた、さっきは良くも商売の邪魔をしてくれたわね!」


 彼女は濃い眉を一文字にしてアーサーを睨んでいた。こちらだって、クビにされたんだと吐きたいところを噛みしめ、言い返す。


「…仕返しするために探しに来たわけかい?」

「はあ? たまたまそのお綺麗な顔を見つけたから唾を吐いてやろうと思ってさ。この糞野郎!」


 そう言って彼女は本当に唾を吐いた。


「おかげで今日一杯は演奏できねえ。飯の食い上げだよ!」


 そう言って、彼女はアーサーを見上げるように睨む。


 日に焼けた身体は細いが、露出の多い服を着ているため、若い男の脳を刺激させるのに足るものだ。


 アーサーは今度はちらりと別の意味を込めて娘を見た。


「…なら、私がおまえを一晩買おうか?」

「はあ?」


 娘は頓狂な声をあげて、意外にも顔を赤らめた。初かもしれない。


「な、何言ってんだ! 馬鹿じゃねえか?」


 憤然として立ち去ろうとした娘を笑いながら呼び止める。


「冗談だ。誰が好きこのんでこんな子どもと。――けれど、一つだけお願いがある。おまえ達の演奏をもう一度聞かせてくれないか? そしたら飯、おごってやる」


 娘は立ち止まり、まるで毒を持つ無視でも見るようにこちらを見てきたが、空腹には勝てなかったらしい。無言で顎をあげると歩き始めた。ほっとしたガーウィンに娘は言う。


「言っとくけど、あたしは今二十三であんたとそこまで変わんねえからな。子どももいるし」


――衝撃だ。十五だと思っていた娘が自分より、一つ年上だと思っていた。


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