出会い
「だめだ! まったくなってない!」
「そうは言っても、我らは決められた通りに演奏し歌っているだけですが」
「私にはそうは思えないが。どうして、私の指示通りに歌えないんだ」
いきり立つ若い男に、少年はまごついて言う。
「僕たちはただ、神の教えに近づきたくてこの聖歌隊に入ったのです。そもそも教会は音楽ではなく神の教えを知るところではないのでしょうか? 我らの歌はただの付属なのでは?」
少年の言葉に、男は指揮棒を投げ捨てて、彼に掴みかかろうとする。それを側に立っていた神父が慌てて押しとどめた。
「ま、まあ、ヘンリオ。落ち着きたまえ。ほら、皆、今日は解散じゃ!」
ぞろぞろとおしゃべりをしながら去っていく少年達を睨みつける男、アーサー・ヘンリオに神父はため息を付いた。
「君が優秀な指揮者だと言うことは分かる。王立楽団の元指導者を務めていたから、それも当たり前だ。
――確かに王立楽団ではただ王侯達の趣味を満たすためには何をしてもいいのであったな。おお、聞いておるぞ、何でも技と道理に外れた言葉を貸しに使い、客を喜ばせているのだと!」
次第に話が入れ替わっていくのを感じながら、アーサーは頷いた。
「いいかね、ヘンリオ。教会は民の健全な娯楽をも提供する義務があるんだ。君がどんなに自分の好き勝手したいと思っても、今いる少年達で何とかするしかないんだ!」
「しかし、石のような感受性を持つ彼らですよ。打っても響かない彼らを使ってどうやって人を楽しませろと?」
「それをどうにか考えるのが君の仕事だろう!」
神父は憤然と足をならすと、厚く降り積もった誇りが舞った。
「後一ヶ月待ってやろう。その後何も変わらなければ、君はくびだ!」
「――いっそ、今から新しい仕事を探した方がいいかもな」
アーサーは神父が言った言葉を振り返り、忌々しげに呟いた。
教会の外に出て見下ろせば、すべての建物が太陽の残光によって朱色に染められていく。それを見れば荒んでいた心が少しだけ和らいだ。
城下町へと降りれば、そこは活気に溢れ、辺りからは心や身に染みる温かい匂いが漂っていた。道を歩けば笑い声を響かせた子どもたちが走り、男達が家族のお土産だと様々な果物を持つ姿が見受けられた。そして、そんな彼らを目的とした大道芸人があちらこちらで自分の芸を披露していた。
アーサーは何気なく雑踏を歩きながらも、その敏感な耳を音に集中させていた。大道芸人の中には王侯、貴族に見初められようとしている者たちも多くいたため、それをスカウトしようとする職業病だと言っても過言ではない。
耳を塞ぎたくなるような下手くそから、王立楽団員顔負けのうまいものまで様々だ。
――けれども、違う。どれも私の耳には合わない
音楽には周波がある。どんなにうまくてもアーサー自身が持つ周波に合わなければ、その才能を伸ばしてやることはできない。
故に何名もの高名な音楽家を育てたにもかかわらず、王立楽団から除された。浮き沈みの激しい、王侯、貴族の趣味に合うよう音楽だって大量生産しなければいけない。一つのものにこだわり、育てぬくアーサーには向いていなかった。
――私は私が納得のいく音楽を作りたい
左遷された教会での素人相手の指揮者。王立楽団では演奏者達の気位は高く指揮者としてもやりにくかったが、ここでは案外自分の希望は通る。それがいいところであった。
――与えられた仕事はこなそう。神に捧げる音楽ならば、それに似合う少年の声と、それに合う演奏だ
今日の夕食に鶏肉と粥を買い自宅へ帰り、作戦を練ろうとする。
その時、彼の鋭い耳はこの喧騒の中、微かな音を聞き分けた。
「これは…」
求めていた声だ。小さくて分かりにくいが、間違いない。
「ちょ、ちょっと失礼!」
「あんた何すんだよ!」
非難の声を浴びながらも、アーサーは雑踏の中を駆けだした。
その声は次第に近くなっていく。段々明瞭になっていくその声は今さきほど求めていた少年の声だ。特有の伸びやかさを兼ね備えていて、アーサーの心に直に触れてくる。何千、いや何万人の声を聞き分けてきたが、こんな事は初めてだった。
――これは百年に一度の逸材かもしれないぞ
アーサーは笑みを浮かべ、目的の人だかりへたどり着いた。
その声はドーナツ状の人壁に取り囲まれていた。その層は厚く、なかなか中に潜り込めないと四苦八苦していた時、演奏が終わり、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。人々はコインを投げ込んでいく。
だいぶ人が去ったとき、ようやく、目的の人影が見えてきた。
皿を抱えてコインを受け取る彼ら。この国の人にしては色鮮やかな服を着ているため、放浪者に違いない。
そして、目的の少年はすぐ目の前にいた。黒い巻き毛を持ち、まだ十にも届かないようだ。
「君はさっき歌っていた子だね」
アーサーは話しかけた。しかし、少年はアーサーの声を聞き、あろうことか怯えた表情を見せ、異国の言葉を喋り、隣の母親らしき女の影に隠れてしまった。
そして、アーサーも首を傾げた。
――さきほど、歌っていた子じゃない
もっと、伸びやかで鍛えられた声の持ち主だった。だとしたら誰が歌っていたんだ?
見渡すと少年の仲間と思われる三人の人たちがいた。推測すれば、先ほどの子どもの母親、父親、そして彼の姉と思われる十代半ばほどの娘といったところか。他に当てはまる人はいない。そうしている間に彼らはさっさと片づけをし終わり、立ち去ろうとした。
「すみません! 少し、話を聞いてもよろしいですか?」
アーサーが話しかけたのは姉の方だった。こちらも豊かな巻き毛と、はっきりとした顔立ちで先ほどの少年と血縁関係にあるのがわかる。言葉が分からないかもしれないので、ゆっくりと身振り手振りを交え、話しかける。
娘はアーサーの言葉が理解できたようだ。ただ、手に持った皿をずいっとつきだした。アーサーはその中にコインをいれてあげた。
「先ほど、ここで歌を歌っていたのは誰ですか?」
娘はその大きな目を更に丸くしたが、やがて、唇に可愛らしい笑みを浮かべた。
「さっきかい? あたしだよ」
訛が強く残った口振りだが間違いなかった。少年の声を今、この娘が喋っている。
こうして年頃の、そして可愛いといっても過言ではない娘の口から、少年にしか聞こえない声を聞くと違和感を覚えてしまう。
「それだけかい?」
「え? あ、ああ。ありがとう。いや、今度はいつ、演奏する予定なんだい?」
娘は首を傾げて、こちらを見ていた母親らしき人と異国語で少し話した。
「まだ決まっていないみたい。ああ、それじゃあ」
娘は父親らしき人に呼ばれ、さっさと立ち去ってしまった。彼らは立ちつくすアーサーには目をくれず、すぐに広場から立ち去ってしまった。