母の葬儀で涙を流さなかったので、家族に捨てられました?
『今まで本当にありがとうございました。お母さま、どうぞ安らかに』
二年ほど前から体調を崩し床に臥せることの多かった母が、とうとう天へと旅立った。
アメリータは少し離れた場所から、墓堀人が作業を終えるまで見守る。
作業小屋へ戻る彼らに向かって頭を下げると、気づいた者は小さく会釈を返してくれた。
今日の葬儀の参列者は父オリンドと妹バジーリア。
それから、母が生前に懇意にしていた知人が数人。
棺の上に花を投げ入れた後は墓堀人が穴を埋め戻すだけだ。
彼らに任せるタイミングで、たいていの参列者はその場を離れる。
しかしアメリータはここ数日、葬儀の手配で忙しくしていたため、この場にとどまることで、やっと落ち着いて別れを告げることが出来たのだった。
教会の前に戻ると、涙を流す妹の姿があった。
父がその肩を抱き、ハンカチでそっと涙を拭いてやっている。
美しい光景である。
あるもので間に合わせたアメリータと違い、妹の礼装は完璧だった。
繊細なレースのベールが美しい黒い帽子は、この前ブティックのショーウインドーで見かけたばかりだ。
迎えの馬車が来て、彼らは乗り込んでいく。
最後にちらりと振り返ってこちらを見たが、気づかぬふりをすることに決めたらしい。
そのまま馬車は走り出した。
『あらまあ』
アメリータは少し呆れたが、馬車に同乗して嫌味を言われるよりましだ。
『丁度いいわ。街中で挨拶をしたい人もいるし』
数軒の店や家を訪ね、帰りは配達のついでだと気を利かせてくれた商店の馬車で送ってもらった。
家に着いた頃には、すっかり日も暮れている。
「ただいま戻りました」
父と妹がいる食堂に顔を出すと、彼らは来客用のワインで食事を楽しんでいるところだった。
「あら、お姉さま、遅かったのね。
お母さまを悼む食卓に遅れるなんて、冷たい方だわ」
「わざわざ言ってやることもなかろう、バジーリア。
普段の愛想の無さからすれば、当然のことだ」
「葬儀の場でも埋葬の時でも、涙の一粒もこぼさないのですものね。
なんて冷たい人間なのかしら」
二人とも勝手なことを言う。
「ご不快にさせて申し訳ございません。
本日は下がらせていただきますわ。
おやすみなさいませ」
それに応えはなく、彼らは新しいワインを開ける相談をしていた。
「アメリータさま、軽い食事をお部屋にお持ちしましょうか?」
メイドが気にかけてくれる。
「……そうね、何かお腹に入れたほうがよさそうね」
一瞬断ろうかと思ったが、朝からほとんど食べていないことを思い出した。
うっかり倒れでもしたら、ろくなことにならないだろう。
「ねえ、使用人の食堂で食べてもいい?」
そう聞けば、メイドは笑顔になった。
「ええ、是非」
家族と食卓を囲むのは気が進まないが、気心の知れた使用人たちとなら少しは気持ちも明るくなるだろう。
母も時々、使用人用食堂でお茶を飲んで皆と雑談しては笑っていた。
大切で楽しい思い出だ。
翌日のこと。
いつも通り執務室で書類を片付けていると、昼近くなってから件の二人が現れた。
「アメリータ、話がある」
偉そうに切り出す父。
「この家はバジーリアに婿を取って継がせようと思う」
「私の方が可愛らしくて美しいのですもの。
お姉さまが諦めるのが当然よ」
妹はやたらと胸を張る。
仮にも父親であれば娘の婚姻に口を出す権利はあるだろうから置いておくとして。
何を諦めるのかについては首をかしげるしかない。
「お前は事務仕事をさせれば、まあまあ優秀なようだから、どこでも働き口を探せるだろう。
荷物をまとめしだい、出ていくといい」
家庭教師から逃げ回った妹と違い、アメリータは短期間で学問を修めた。
事務仕事の方は、社交だといって外出しがちな父の代わりに、母が全てを請け負っていたのだ。
その母から教わって、今ではアメリータが全てを回している。
今さら父に役割を返して、仕事が回るものだろうか?
事務仕事が得意な婿候補でもいるのか?
とにかく、葬儀のあれこれのせいで事務は滞っている。
明日までに荷造りなど出来るはずがない。
アメリータはこの件を棚上げすることにした。
翌日、アメリータが使用人の食堂でお茶を飲んでいると、父から執務室へ来るようにと呼び出された。
「執事から、急ぎの手紙を書くよう言われたのだが、さっぱりわからん。
お前が代わりに書いておけ」
「荷物をまとめて出ていけというお話はどうなるんでしょうか?」
「どうせ外で働くなら、ここでもかまわんだろう。
部屋は今の場所を使っていい。
使用人部屋よりいい部屋なのだから、それが給料代わりだ。
食事は使用人食堂で。
あとは事務のついでにやりくりしろ」
「はあ」
今までとなんら変化がない生活である。
だいたい、母が臥せってからは病人の近くの部屋は嫌だという妹の我儘で、家族用の部屋は使っていなかったのだ。
世話の手間を考えて、使用人部屋に一番近い簡素な客室で母と共に寝起きしてきた。
父の勝手な言い分には少々腹が立つが、今まで通り仕事を続けられるのなら使用人や街の人たちにいきなり迷惑をかける事態にはならなそうだ。
だが、アメリータがほっと安心したのも束の間だった。
「お父さま、そのワインは我が家で飲むには高価すぎます」
父が行商人から直接買い入れたワインは、とんでもない値段だった。
伝票を見て慌てて食堂に行けば、昼間だというのに既にコルクが抜かれている。
「使用人の分際で、主人の買い物にケチをつけるのか?」
使用人……ならばきちんと給料を払うべきだろうに。
自分の都合で相手の立場を勝手に変えるとは、もしも王さまがそれをやったら謀反が起きる。
「なあに、お姉さま?
まだ出て行ってないと思ったら、そういうことだったのね」
妹も、ワインですっかり酔っている。
「行くところがないから、せめて使用人として置いてほしいって泣きついたのでしょう?
そうに決まっているわ!」
二人は人を貶めて笑い転げている。
これはもう、話になりそうもない。
「わかりました。失礼いたします」
アメリータは食堂から執務室に戻り、事の顛末を記録する。
それからしばらくは同じような浪費が繰り返された。
アメリータは帳簿を預かる立場として、そのたび父に注意したが取り合われることはなかった。
だがきっと、この状況は長くは続かない。
彼女には先が見えていた。
「三日後に、ガルデーラ伯爵さまが弔問にお越しくださるそうです」
「ん? なんだと?」
「ガルデーラ伯爵さまが、この家に来てくださいます」
電報を受け取って、すぐに父に伝えると、彼は明らかにうろたえた。
「弔問? なぜ、あいつのために伯爵が直々に来るのだ?」
「理由は存じ上げません」
理由はもちろん、言うべきことを言いに来るのだ。
父はもう、自分の立場も母の気遣いもすっかり忘れてしまった。
けれど、思い出さなくてはいけない。
約束の日、教会の前でアメリータは伯爵を待った。
「アメリータ、久しぶりだな。すっかり淑女になって。
……エリデのことは、残念だった」
「ありがとうございます、ガルデーラ伯爵さま」
「おやおや、昔みたいにランディおじさまと呼んで欲しいものだが」
「よろしいのですか?」
「もちろんだ。
懐かしいな、君とエリデと一緒に過ごした日々が」
ランドルフォ・ガルデーラ伯爵は白髪交じりの頭髪ながら初老というには若々しく、立派な体躯を持つ男性である。
アメリータの母エリデとは遠縁にあたり、継ぐ家を持たなかった若き日の両親を使用人として雇ってくれたのだった。
伯爵と共に母の墓に向かうと、そこには溢れんばかりの花が供えられていた。
「おやおや、エリデはとても慕われていたようだな」
「わたしも、びっくりしました。
街の皆さんは仕事があるから、葬儀に参列できなくて済まないと言ってくださっていたのですが」
きっと忙しい時間の合間をみつけて、ここまで足を運んでくれたのだろう。
「彼女の誠実な仕事の結果がここにある。
……よく努めてくれた、ありがとうエリデ。
安らかに眠ってほしい」
「お母さま、ランディおじさまも来てくださいましたよ。
後のことは心配いりません」
「ああ、街のことも、アメリータのことも任せなさい」
それから二人は屋敷に向かった。
応接室では笑顔を張り付けた父たちが待ち構えていた。
「伯爵さま、遠路はるばるお疲れさまでございます。
して、このたびはどんな御用でいらしたのでしょうか?」
「もちろん、旧知のエリデの墓参りが主な用件だが……ついでに他の用事も済ませようと思っている」
「それはわざわざ、妻のためにありがとうございます」
席に着き、勧められたお茶を飲むと、ガルデーラ伯爵は用件を切り出した。
「葬儀の後、アメリータに出て行けと言ったそうだな?」
正面から見据えられて、オリンドは青くなる。
「わ、私も妻の死で動揺しておりまして。
心にもないことを言ってしまいました」
「伯爵さま、お姉さまはお母さまの葬儀で涙も出ないような冷たい方なのですもの。
お父さまも心を痛めているのですわ」
ガルデーラ伯爵は二人をじろりと睨んで告げた。
「出ていくのは君たちの方だ。
オリンド殿、この街の代官として働くために準男爵として遇してきたが、本日をもってすべての契約を破棄する。
すぐに出て行きたまえ」
「は?」
「亡くなったエリデの顔を立てて今まで黙っていたが、もう限界だ。
君は、この街に来ることになったいきさつを忘れてしまったのかな?」
「そ、それは……」
実のところアメリータと彼らとは義理の家族である。
アメリータの血のつながった両親は、ガルデーラ伯爵家で共に働くうちに恋をして婚姻した。
騎士だった実の父リディオが領地の災害救助中に命を落としたのは、アメリータが五歳の時のことだ。
それから一年ほどしたころ、妻を亡くし一人で娘のバジーリアを育てることになったオリンドが知り合い筋の紹介で伯爵家に採用された。
もともと裕福な子爵家の次男だった彼は、事務仕事なら一通りできるという触れ込みであった。
だが、娘を育てながらというのはなかなか厳しい。
見るに見かねたアメリータの母エリデが、一歳違いの自分の娘と共に面倒を見ることにした。
当時、エリデは伯爵夫人の侍女として働いていたのだが、夫人の厚意で勤務時間について配慮してもらっていたのである。
そんな時、伯爵領内の街で代官を務めていた者が辞めることになった。
そこで、伴侶を亡くした者同士夫婦となって、代官屋敷で生活をしてはどうかと打診されたのだ。
子供としっかり向き合える時間が取れる申し出に、エリデは話を受け入れることにした。
オリンドのほうも、伯爵領内に限った話ではあるものの準男爵の身分を得られるとあって、断るわけがなかった。
あくまでも仕事上のパートナーとして籍を入れた二人は、最初はうまくいっているように見えた。
妹となったバジーリアも新しい母に懐いたし、問題はなかった。
ところが、数年が経つうちにオリンドは勘違いをし始めたのだ。
自分が貴族の身分に戻ったかのように思い、仕事を疎かにするようになった。
エリデはかわりに代官の仕事を請け負い、街の人々の相談にも乗った。
やがて、ある程度の教育を受けたアメリータも母を手伝い始めた。
すると今度はバジーリアの行動が変化していった。
義理の姉が遊んでくれなくなり、義理の母も忙しくて自分の面倒を見てくれない。
父の態度の大きさを見て、その娘である自分も義母や義姉とは違う立場なのであると勘違いした。
しっかり財布を握っていたエリデが伏せると二人は勝手をしがちになり、彼女が亡くなってからは、すっかりタガが外れてしまった。
しかし、彼らの行動はすべて、アメリータの手によって伯爵に報告されている。
「着の身着のまま歩いて行けというのも気の毒だ。
隣の領までは、伯爵家の騎士に先導させよう。
だが、二度とこの領に戻ることは許さん。
戻って来た時には、代官として働かなかった分の賠償をさせるからそのつもりで」
喚いたり、口先ばかりの懺悔をしたり、なんとか情に訴えようとしていた彼らはわずかな荷物とともに、その日のうちに馬車に詰め込まれた。
もう二度と会うこともないだろう。
翌日の朝食を、アメリータは伯爵と共に食堂でゆっくりと楽しんだ。
「さて、お荷物が片付いたところで、次はアメリータの将来についてだが。
何か希望はあるかな?」
「そうですね……」
「君は若いのだし、何でも挑戦してみればいい。
出来るだけの手助けをしよう」
「ありがとうございます、でも」
アメリータは思うとおりに言ってみることにした。
「このまま、ここで働くことは出来ませんか?」
「働くというのは、代官の仕事をしたいということかな?」
「いえ……わたしのような若輩者に代官の責任は負えないでしょうが、例えば、次の代官になるかたの補佐なら間に合うかもしれません」
「君は、自分を過小評価しているな。
エリデが伏せてからの帳簿や報告書を見ても十分、こなせていると思うよ」
「母の教えのおかげです」
「エリデは頑張りすぎた……いや、私が無理をさせてしまったのだろうか」
エリデは、建前とは言え家族となった彼らに甘くし過ぎた。
『夫がすっかり立場を忘れてしまったはずはないだろう』とわずかな希望を持ち続けた彼女の気持ちを優先し、伯爵は様子を見ていたのだ。
「私がもう少し強く出て、あの男と娘を追い出していたら、エリデも長生きできたのだろうか」
「いえ。母が病を得てしまったのは、悲しいけれど仕方のないことです。
母は、あの親子の態度に気落ちしたかもしれませんが、屋敷の皆もよくしてくれたので辛い最期にはならなかったと思います」
「だといいがな」
「母はこの街のために働くことに誇りを持っていましたし、それはわたしも同じです。
この街に来られたことは、わたしたち母子にとって幸せなことでした」
「そうか。
では、とりあえず君には、このまま代官の仕事を任せよう」
「よろしいんですか?」
「ああ。だが、うら若い女性が代官となると、ふざけた輩が言い寄ってくるかもしれん。
代官の仕事を折半できる者を一人、こちらへ寄越そう。
君の方がここでは先輩だから、どんな者が来ても厳しく指導してやってくれ」
「はい。承りました」
しばらくして、ガルデーラ伯爵家の三男坊チェーリオが代官の片割れとしてやってきた。
幼いころ時々アメリータの遊び相手をしてくれた、優しいお兄さんである。
「アメリータ、久しぶりだね。
父から聞いていると思うけれど、君が先輩だから指導をよろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
懐かしさに微笑んだ彼女を見て、チェーリオが目をそらす。
『親父、アメリータがこんなに綺麗になってるなんて、わざと黙ってたな……』と呟いた声はまだ、彼女の耳に届いていない。




