第32話 違反(2)
本作は「魔術が当たり前の世界」で、ただ一人そこから外れた少年の物語です。
静かに歪み始める学院の日常と、気づいてはいけなかった違和感をお楽しみください。
力は使わない。
詠唱もしない。
ゼルは、ただ基準として存在を寄せる。
足先が境界を越えた瞬間、空気がわずかに軋んだ。
世界が、切り替わる。
拒否されていた魔術が、再び成立可能な状態へ戻る。
遠くで治癒師が詠唱を始め、震える声が初めて通った。
青年の胸が上下する。
浅かった呼吸が、わずかに深くなる。
助かった。
安堵の声が漏れ、誰かが泣き、誰かが膝をつく。
感謝の言葉が向けられるが、ゼルは受け取らない。
その瞬間、空に淡い文字が走った。
《任務外行動:発生》
《基準:違反》
記録だ。
裁きではない。
だが、世界が覚えたという証明だった。
人々の表情が変わる。
安堵の中に、別の理解が混じる。
――違反すれば、助けられる。
――線の外でも、可能になる。
その理解は、希望であると同時に、危険だった。
一度成立した例外は、必ず前例になる。
ゼルは、境界の内側へ戻った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
善意や好奇心が、必ずしも優しさにならない世界を描いています。
続きもゆっくりと深まっていきますので、お付き合いいただければ幸いです。
第32話 違反(3)へ続く




