エピソード0
世界は、まだ気づいていなかった
世界が壊れる音は、驚くほど静かだった。
炎が燃え広がるはずの場所で、
風が吹き荒れるはずの空間で、
ただ――何も起きなかった。
音も、熱も、衝撃もない。
最初から、
「そうなる予定がなかった」かのように。
⸻
瓦礫の中に、少年が一人立っていた。
年齢は分からない。
魔術師のローブも、武器も持たない。
ただ、制服のまま。
周囲には、崩れかけた魔術陣が残っている。
本来なら、街一つを吹き飛ばしてもおかしくない規模のものだ。
だが――
結果は、無。
「……やっぱり、だめか」
少年は小さく呟いた。
自分に向けて言い聞かせるように。
彼は、何もしていない。
詠唱も、意志の集中もない。
ただ、そこにいただけだ。
それだけで、
魔術は意味を失い、
現象は成立せず、
世界は何事もなかった顔をしている。
⸻
遠くで、人の声がした。
「暴走したって聞いたが……」
「いや、痕跡がない」
「封印は?」
「最初から、なかったみたいだ」
困惑。
混乱。
理解不能。
だが、結論はすぐに出た。
「事故だろう」
「記録不良だ」
「報告は不要だな」
少年は、その会話を背に歩き出す。
――よかった。
胸の奥で、そう思った。
誰も気づいていない。
誰も疑っていない。
誰も、彼を見ていない。
それでいい。
⸻
学院の制服の袖を、少年は軽く握る。
「……次は、気をつけないと」
何を、とは言わなかった。
だが、その声には、確かな恐怖が滲んでいた。
力を使うことへの恐怖。
そして――
気づかれることへの恐怖。
⸻
その夜、
世界のどこかで、
止まっていたはずの装置が、ほんの一瞬だけ震えた。
だが、誰もそれを異常だとは思わなかった。
まだ、
世界は彼に気づいていなかったから。
第1話「最下位の席(1)」へ




