美月の奔走
仕事が終わると、すぐに図書館へ向かう。駅前の大きな図書館。平日は夜九時まで開いている。閉館まで三時間以上あるので十分に調べられる。
三階の人文科学コーナーへ。民俗学の棚から関連しそうな本を五冊ほど選んで、閲覧席に座る。
一冊ずつページをめくる。神社の歴史、満月と願い事、石にまつわる伝説。
その中に、姿を変える石についての記述を見つけた。満月の夜に特別な石を拾うと、変化を望む者の願いが現実になる。
鼓動が早くなる。これが遥くんに起きたことかもしれない。
でも、元に戻す方法は書かれていない。
時計を見ると、もう七時半を過ぎている。お腹が空いたけれど、続けよう。
新しい文献を探しに棚に戻る。古そうな郷土史を見つけて、ページをめくる。
縁結びと縁切りを司る神社についての記述があった。変化を司る神。人の在り方そのものを変える力を持つと信じられている。
メモを取る。縁結び、縁切り、変化、満月。
「まもなく閉館時間です」
館内放送が流れる。もう九時だ。あっという間だった。
仕方ない、今日はここまでだ。
本を元の場所に戻してメモを鞄にしまう。コピー機で必要なページをコピーする。十円玉を入れて何枚か取る。
図書館を出ると外はもう暗くなっていた。夏の夜、空には星が見える。
駅へ向かう途中、古書店の看板が目に入る。まだ明かりがついている。
迷わず店に入る。狭い店内には本が所狭しと並んでいる。古い紙の匂い。
民俗学の棚を探す。地域の神社についての古書を何冊か手に取る。
その中の一冊に、月替神社についての記述を見つけた。でも、やはり元に戻す方法については書かれていない。
それでも、この本は買っておこう。何か手がかりがあるかもしれない。
水曜日の夜、大学の民俗学研究室を訪ねた。事前にメールで教授に約束を取っていた。
大学の正門をくぐる。時間が時間なので行き交う学生は少ない。私もかつてここで学んでいた。懐かしい。
研究棟に入り、三階の研究室へ。ドアをノックする。
「どうぞ」
五十代くらいの男性教授が机に座っていた。
「失礼します。桜井と申します」
「ああ、メールをくれた方ですね。どうぞ」
促されて椅子に座る。
「保育士をされているんでしたね」
「はい。子供たちに地域の言い伝えのお話をしたいと思いまして」
準備してきた建前を話す。
「素晴らしい試みですね」
教授が微笑んでくれる。
「月替神社という神社について調べているんです。詳しい文献があれば」
「月替神社……小さな神社ですね。確かに変化を司る神社として知られています。人の在り方そのものを変える力を持つと伝えられています」
人の在り方を変える。遥くんに起きたことは、まさにそれだ。
「詳しいことをご存知ですか?」
「伝説では、満月の夜に心から願えば、神が応えてくれると言われています。変化を司る神社として、古くから信仰されてきました」
教授の説明は簡潔だった。もっと詳しいことが知りたい。
「何か文献はありますか?」
教授が本棚から数冊の本を取り出してくれる。月替神社についての記述がある。
私はメモを取りながら、教授の説明を聞く。でも、肝心の戻る方法については、はっきりとした記述が見つからない。
「この本、お借りできますか?」
「構いませんよ。ただ、この神社については記録が少なくて。伝説の詳細は、地元の古い資料を当たる必要があるかもしれません」
教授が本と論文のコピーを貸してくれた。
「ありがとうございます」
研究室を後にする。手に持った本と論文。これが手がかりになるかもしれない。でも、まだ答えは見つかっていない。
大学を出ると、もうすっかり夜になっていた。駅へ向かいながら、今日聞いた言葉を思い返す。
満月の夜。心からの願い。
でも、具体的にどうすればいいのかは、まだ分からない。もっと調べないと。
夜中、部屋で資料を読んでいる。小さなワンルームのアパート。テーブルの上には、教授から借りた本、古書店で買った郷土史、図書館でコピーした資料。全部を広げて、ノートにメモを取りながら読み進める。
ノートには、今までに集めた情報がびっしりと書き込まれている。満月、変化、月替神社、縁結びと縁切り。
時計を見ると、もう十二時を過ぎている。明日も朝早くから仕事だ。でも、まだ読める。眠くなるまで続けよう。
コーヒーを一口飲む。もう冷めているが気にしない。
スマホが鳴る。メールの通知。
藤堂さんからだ。
『桜井さん、無理していませんか?俺も調べていますが、なかなか進展がなくて。お互い頑張りましょう』
優しい言葉。藤堂さんも遥くんのために頑張ってくれている。親友として。
藤堂さんは本当にいい人だ。遥くんを支えてくれて、元に戻す方法を一緒に探してくれている。感謝している。
返信する。
『大丈夫です。私も少しずつですが調べています。遥くんのためですから。藤堂さんも無理しないでくださいね』
送信して、スマホを置く。
また資料に戻る。教授から借りた本を開いて、月替神社についての記述を読む。
満月の夜。願いを叶える石。変化を司る神社。迷いのない心。
これらがどう繋がるのか。どうすれば遥くんを元に戻せるのか。
答えは、必ずある。見つけ出す。絶対に。
窓の外を見ると、月が見える。半月くらいだろうか。少しずつ満ちていく月。
次の満月はいつだろう。スマホで調べる。二週間後だ。
満月の夜に、何かが起こるかもしれない。
遥くんを元に戻せるかもしれない。
その時のために、できるだけ情報を集めておかないと。
スマホを手に取る。遥くんの写真を開く。二人で撮った写真。男性だった頃の遥くん。笑顔で私の肩に手を回している。
春の休日、二人でお花見に行った日の写真。
会いたい。
男性の頃の遥くんに会いたい。あの笑顔を、もう一度見たい。
でも、今の遥くんは女性の姿。藤堂さんのアパートにいる。
元に戻すまで私は頑張らないといけない。
遥くんのために。私たちの未来のために。
写真を見つめながら心の中で語りかける。
待っていてね、遥くん。必ず、元に戻すから。
そしてまた一緒にいよう。前みたいに。
スマホを置いて、また資料に向かう。
疲れているけれど諦めない。遥くんへの愛が、私を支えている。
目が霞んでくる。文字が読みづらい。でもあと少し。あと一章だけ読もう。
翌日の保育園。
朝から子供たちと遊んで、お昼ご飯を食べさせて、お昼寝の時間。子供たちが寝ている間、職員室で休憩する。
ソファに座って、ホッと一息つく。体が重い。昨夜は結局、二時過ぎまで資料を読んでいた。睡眠時間は四時間くらいだ。
コーヒーを飲みながら、ぼんやりと窓の外を見る。
「桜井先生」
同僚の田中先生が声をかけてくる。四十代のベテラン保育士で、いつも優しく指導してくれる人だ。
「はい」
「最近、痩せました?」
田中先生が心配そうに私を見る。
「え?そうですか?」
笑顔で応える。鏡を見れば分かる。確かに少し痩せた。頬がこけている気がする。夜遅くまで調べていて、ちゃんと食べていない日も多い。コンビニのおにぎりだけで済ませる日もある。
「なんか、顔色も悪いですよ。クマもできてるし」
田中先生が近づいて、私の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?どこか具合悪いんじゃない?」
「大丈夫です。ちょっと忙しくて、寝不足なだけです」
笑顔を作る。心配をかけたくない。
「忙しいって、何かあったの?」
「いえ、その……ちょっと調べ物をしていて」
「調べ物?」
田中先生が不思議そうに聞いてくる。
「保育の勉強というか……色々です」
準備してきた言い訳を使う。
「そう。でも、無理しないでくださいね。体が一番大事だから」
「はい、ありがとうございます」
田中先生が優しく微笑んでくれる。その優しさが、少し胸に染みる。
「何かあったら、いつでも相談してね。一人で抱え込まないで」
「はい」
頷く。でも、詳細を話すことは出来ない。私と遥くんと藤堂さんだけの秘密だ。
田中先生が席に戻る。私は一人、冷めたコーヒーを飲む。
遥くんを元に戻すまで、私は頑張る。
お昼寝の時間が終わって、子供たちが起きてくる。また笑顔で迎える。
子供たちと遊びながら、心のどこかで遥くんのことを考えている。
疲労は溜まっている。体が重い。でも、諦めない。
夜、アパートに帰って夕食を作る。簡単なパスタ。テーブルで一人食べる。
テレビをつけるけれど、内容は頭に入ってこない。ぼんやりと画面を見ているだけ。
食器を洗って、お風呂に入る。湯船に浸かると疲労が少しほぐれる気がする。
でも、ゆっくりしている時間はない。また調べ物をしないと。
部屋着に着替えてテーブルに資料を広げようとした時、スマホが鳴った。
着信。遥くんからだ。
心臓が高鳴る。慌てて電話に出る。
「もしもし、遥くん?」
「もしもし、美月?」
遥くんの声。女性の声だけど、話し方は彼だ。この声を聞くと、複雑な気持ちになる。嬉しいけれど、同時に寂しい。
「どうしたの?何かあった?」
「いや、別に……ちょっと声が聞きたくて」
その言葉に、胸が温かくなる。遥くんが私のことを想ってくれている。
「そっか。私も、遥くんの声聞きたかった」
素直にそう伝える。
「調査、進んでる?」
「うん、少しずつだけど。図書館とか、古書店とか回ってる。美月は?」
「私も調べてるよ。色々と資料を集めて、読んでるの」
嘘ではない。でも、どれだけ疲れているかは言わない。心配をかけたくない。
「そっか……ありがとう」
「気にしないで。当たり前のことだから」
電話の向こうで、遥くんが少し黙る。
「無理しないでね、美月」
遥くんが優しい声で言う。
「大丈夫。遥くんのためだから。それに、私も早く元に戻してあげたい」
本当の気持ちを伝える。
「早く元に戻して、また一緒にいたいの。デートしたり、映画見たり、前みたいに」
そう言うと、遥くんが少し黙る。
「……うん」
遥くんの返事は、少し力がない。何か元気がないように聞こえる。
「大丈夫?疲れてない?ちゃんと食べてる?」
心配になって聞く。
「俺は大丈夫。誠が色々助けてくれてるから」
藤堂さん。
遥くんの親友。遥くんを支えてくれている人。感謝している。
「そう、良かった。藤堂さんにもよろしく伝えて」
「うん」
また少し沈黙が流れる。何を話せばいいのか、分からなくなる。
「美月」
「うん?」
「ありがとう。本当に……」
遥くんの声が、少し震えている気がする。
「気にしないで。私、遥くんのこと大好きだから」
その言葉を聞いて、遥くんが何も言えなくなる。
「また連絡するね」
「うん、待ってる」
電話が切れる。
一人、スマホを握りしめたまま座る。
遥くんの声が聞けて嬉しかった。でも、何か違和感がある。
遥くんの声に、元気がなかった気がする。何か、言いたいことがあったような気もする。
でも、考えすぎかもしれない。元に戻れば、全部解決する。
そう自分に言い聞かせて、ベッドに入る。
明日も、頑張ろう。遥くんのために。




