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偶然の再会

 日曜日の午後、誠と二人で大き目の公園を訪れた。昨日買ってもらった服のうち、今日はネイビーのワンピースを着ている。シンプルなデザインだけど、誠が「これ似合うと思う」と選んでくれたものだ。


 朝起きて今日何着ようかと考えた時、このワンピースが目に入った。誠が選んでくれた服を着たい。そう思って手に取った。鏡の前で合わせてみると、思ったより似合っている気がした。少し恥ずかしいけれど、誠に見せたら何て言うだろう。そんなことを考えている自分に気づいて、頬が熱くなった。


 リビングに出ると、誠が「あ、そのワンピースいいね」と笑顔で言ってくれた。その一言が嬉しくて、胸が温かくなった。


 電車に乗って公園に向かう間、窓の外を眺めながら、昨日の夜のことを思い返していた。自分の気持ちに気づいてしまった夜。誠のことが好きだと認めてしまった夜。それからどうすればいいのか分からなくて、朝まで眠れなかった。でも、誠はいつもと変わらない。何も気づいていない。


 公園に着くと、たくさんの人で賑わっていた。家族連れやカップル、犬の散歩をしている人たち。ジョギングをしている人、ベンチで本を読んでいる人。みんな思い思いに休日を楽しんでいる。


「いい天気だな」


 誠が空を見上げて言う。確かに、雲1つない青空だ。七月の日差しは強いけれど、木陰に入れば涼しい風が吹いている。セミの声が遠くで聞こえる。夏の午後の、穏やかな時間。


「うん」


 曖昧に応える。昨日の夜に自分の気持ちに気づいてから、誠と話すのが少し緊張してしまう。でも、誠は何も気づいていない。いつもと変わらず友達として接してくれている。


 ベンチを見つけて二人で座る。誠が近くの売店でアイスクリームを買ってきてくれた。バニラとチョコ、どっちがいいかと聞かれて、バニラと答える。


「はい」


 手渡されたアイスを受け取る。冷たくて、甘い。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 誠が笑顔を向けてくれる。


「美味しい?」


 誠が尋ねてくる。


「うん、美味しい」


 笑顔を作って応える。誠は満足そうに頷いて、自分のアイスを食べ始めた。


 公園の木々を眺める。風が吹いて葉が揺れる。鳥が鳴いている。遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。平和な時間だ。誠と一緒にいられる、穏やかな時間。


 隣に座る誠を横目で見る。アイスを食べながら、のんびりと景色を眺めている誠。男の時は何とも思わなかった。こうやって二人で並んで座るのも、ごく自然なことだった。でも今は違う。誠の隣に座っているだけで、ゆるやかだけど甘い幸福感が続く。


 この時間がずっと続けばいいのに。


 そう思ってしまう自分がいる。でも、それは叶わない願いだ。元に戻らなきゃいけない。誠も俺を元に戻すために頑張ってくれている。


 なのに、この気持ちはどうすればいいんだろう。


「元に戻る方法、きっと見つかるよ」


 不意に、誠が言う。考え込んだ俺を見て、元に戻れるか不安がっていると解釈したのだろう。


「まだ手がかりは少ないけどさ。神社のことももっと調べれば何か分かるかもしれないし」


 誠が前を向いたまま話す。


「……そうだね」


 また、曖昧に応える。元に戻る。それが目標だ。でも同時に元に戻りたくないと思っている自分もいる。


 アイスを食べ終えて、ベンチから立ち上がる。公園の中を散策することにした。


 歩きながら、誠が色々と話してくれる。仕事のこと、昔の思い出、他愛のない話。俺はただ、相槌を打ちながら聞いている。


「そういえば保育士だったよな、美月さん」


 雑談の中で不意に誠がそう言った。


「え?ああ、うん」


「優しそうな人だよな。遥のこと、心配してるんだろうな」


 誠が優しい声で言う。


「……うん」


 美月のことを思い出す。優しくて、いつも笑顔で、俺のことを大切に思ってくれている。保育園で子供たちに囲まれて笑っている美月。俺が仕事で疲れている時、何も言わず側にいてくれた美月。休日に一緒に映画を見に行って、手を繋いで歩いた日々。


 会いたい。


 素直にそう思う。美月に会いたい。……そう思った自分に安心したことに気が付く。


 連絡を絶ってからもう随分経った。美月は今、どうしているだろう。心配しているだろうか。それとも、もう諦めかけているだろうか。


 胸が痛む。美月を不安にさせている。大切な人を傷つけている。


「大丈夫、きっと元に戻れるから」


 誠が励ましてくれる。でも、その言葉が、今は少し辛かった。


 公園の中を歩き続ける。噴水の近くを通り、池のほとりを歩く。カモが泳いでいて、子供たちがはしゃいでいる。


 平和な風景。でも、俺の心は穏やかじゃない。


 しばらく歩いてまた別のベンチに座る。少し疲れた。


「休憩しようか」


 誠が気を遣ってくれる。ベンチに座って、周囲を眺める。


 その時、視界の端に黒髪の女性が映った。


 心臓が止まりそうになる。


 黒髪ロング。清楚な雰囲気。白いブラウスに、ベージュのスカート。


 すぐそばのベンチに座っているのは確かに美月だった。


 俺の彼女。大切な人。愛している人。


 会いたかった。ずっと会いたかった。でも、会えなかった。


 心臓が激しく鼓動する。嬉しさと、恐怖が入り混じる。美月に会える。でも、この姿で。


 どうして、ここに。


「どうした?」


 誠が心配そうに声をかけてくる。でも、俺は応えられない。ただ、美月を見つめている。


 美月はまだこちらに気づいていない。ベンチの上でアンニュイな溜息をついている。


「遥?」


 誠が俺の視線を追う。そして、美月に気づく。


「あれ……まさか」


 誠も驚いている。


 逃げなきゃ。


 そう思った。でも身体が動かない。


 視線を向けすぎたのか、美月の怪訝な視線がこちらに向く。


 そして俺の手首で止まった。


 腕時計。美月が誕生日にくれた、特注の腕時計。文字盤に小さく刻印が入っている。世界に1つだけのもの。


 美月の表情が変わる。


 驚き、困惑、そして……何を確かめねばと決意した表情。


 美月がこちらに近づいてくる。逃げられない。


「すみません」


 美月が声をかけてくる。丁寧で、でもどこか緊張した声。


「その、腕時計……」


 美月が俺の手首を見る。


「どちらで買われたんですか?」


 俺は何も言えない。ただ、美月を見つめている。


「あの、その時計、特注品で……私が知っている人に贈ったものと同じなんです」


 美月の声が震えている。


 隣にいる誠を見る。誠も、どう対応すべきか困っている様子だ。


「あの……」


 美月の視線が、誠に移る。


「もしかして、藤堂さん?」


 誠が驚いて顔を上げる。


「え、まぁ……はい。」


 二人は面識があった。俺と美月が付き合い始めた頃、一度だけ三人で会ったことがある。美月が誠のことを覚えていたのか。


「やっぱり……」


 美月が俺を見る。じっと、まっすぐに。


「遥……くん、なの?」


 その言葉に俺は何も言えず、ただ頷いた。


 美月の目から涙が溢れた。


 ああ、美月。会いたかった。決して望んだ形ではないけれど会えて嬉しい。美月の顔を見られて、声を聞けて。





 近くのカフェに入った。三人で。


 半個室の席に案内される。誠と俺が並んで座り、美月が向かい側に座る。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 美月はずっと俺を見ている。信じられないという顔で。


「本当に……遥くんなの?」


 美月が震える声で尋ねる。


「……うん」


 小さく答える。美月はホッとしたような、ショックを受けたような微妙な表情を浮かべた。


「どうして……ねぇ、何があったの?」


「それは……」


 俺は言葉に詰まる。どう説明すればいいんだろう。


「俺から説明します」


 誠が口を開く。


「梅雨に入った頃、遥が俺のアパートに来たんです。この姿で」


 美月が誠を見る。


「最初は信じられませんでした。でも、二人しか知らない思い出を話して、遥本人だと分かって」


 誠が丁寧に説明する。ある日突然女性の姿になっていたこと、原因は分からないこと、今は誠のアパートに居候していること。


 美月は黙って聞いている。時折俺を見る。その視線が痛い。


「それで、今は原因を調べているところなんです。元に戻る為に」


 誠が説明を終えて沈黙が流れる。


 美月が顔を伏せる。その肩は震えている。


「美月……」


 俺が名前を呼ぶ。美月が顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔。


「ずっと、探してた」


 美月が涙声を誤魔化すこともせずに声を絞り出す。


「連絡が取れなくなって、最初はスマホの充電が切れてるのかなって思った。でも、一日経っても二日経っても連絡が来なくて」


 美月が言葉を続ける。


「会社に電話したら、無断欠勤してるって。遥くんの寮にも行ったけど、誰もいなくて。警察にも相談したけど、成人だから事件性がないと動けないって言われて……」


 美月の声が震える。


「毎日、スマホを見て、連絡が来てないか確認して。遥くんが無事でいてくれって、ずっと祈ってた。何かあったのかって、悪いことばかり考えて、夜も眠れなくて……」


 美月が泣きながら話す。


「ずっと、心配してた。どこに行ったのって。何かあったのかって。もう、会えないのかなって……」


 美月の言葉が、胸に刺さる。


 美月は、俺のことをこんなにも想ってくれていた。ずっと探してくれていた。諦めずに、待っていてくれた。


 ああ、美月。本当に、ごめん。


「ごめん……」


 俺も涙が溢れてくる。


「連絡できなくて。信じてもらえないと思って……。でも、会いたかった。ずっと、会いたかったんだ」


「信じるよ!」


 美月が叫ぶように言う。


「遥くんのことなら信じるよ。……だって、大好きな人だもん」


 美月の言葉に、胸が張り裂けそうになる。


 大好きな人。


 美月にとって俺はそういう存在。そして俺にとっても、美月は大切な人だ。愛している人だ。今も変わらず。


「本当に……ごめん。心配かけて」


 それしか言えなかった。


 美月は涙を拭いて、深呼吸をする。


「ごめんね、取り乱して」


 美月が笑おうとする。でも、顔は泣き顔のままだ。


「でも、会えて良かった。生きててくれて、良かった。……こんなに可愛くなちゃって」


 美月が笑顔を作る。


「美月……」


「大丈夫。もう大丈夫」


 美月が自分に言い聞かせるように言う。


 そして、前を向く。


「元に戻る方法、見つけないとね」


 美月が力強く言う。


「私も協力させて。絶対に、元に戻す方法を見つける」


 美月の眼差しは、強い決意に満ちている。


「遥くんは、私の大切な人だから。どんなことがあっても元に戻す。そして、また一緒に……」


 美月が言葉を詰まらせる。そして深呼吸をして続ける。


「また、一緒に過ごしたい。前みたいに」


 その言葉に胸が痛む。


 誠が頷く。


「俺も全力で協力します。早く遥を元に戻せるように」


 誠が力強く応える。美月の愛を見て、誠も本気で協力しようとしている。


 美月が誠を見て、微笑む。


「藤堂さん、遥くんを助けてくれて本当にありがとうございます。一人だったら、遥くんはどうなっていたか……」


「いえ、俺は俺の親友の為に動いただけですから……お礼なんて」


 親友。


 その言葉を聞くと納得いかないような、何か違う言葉を使ってほしいような気持ちになる。昔だったらそんなことなかったはずなのに。


 当然だが誠にとって、俺は親友。それ以上でもそれ以下でもない。


 そして、美月にとって俺は大切な恋人。元に戻るのを待ってくれている。


 美月が立ち上がる。


「じゃあ、私も今日から調べ始める。図書館に行って、古い文献とか探してみる。民俗学の資料とか、そういうのもあるはずだから」


 美月が前向きに話す。その姿は、いつもの美月だ。何かあった時、前を向いて行動する美月。


「何か分かったら、すぐに連絡します」


 美月が誠にスマホを差し出す。


「連絡先、交換してもいいですか?三人で情報共有した方がいいと思うので」


「もちろん」


 二人が連絡先を交換する。QRコードを読み取って、お互いの情報を登録する。


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 美月が俺を見る。


「遥くん」


 美月が優しい声で呼ぶ。


「絶対、元に戻そうね。そして、また二人で……」


 美月が少し言葉を詰まらせる。


「また、二人でデートとかしようね」


 その言葉に、俺は頷くしかなかった。


「……うん」


 美月が笑顔を向けてくれる。でも、その笑顔は、どこか無理をしているように見えた。涙をこらえているような、そんな笑顔。





 カフェを出て、駅まで歩く。


 三人で並んで歩く。俺が真ん中、美月と誠が両脇。でも、会話はほとんどない。


 駅に着いて、美月が別れを告げる。


「じゃあ、また連絡します。必ず……何か見つけてきますから」


 手を振る美月。その笑顔には強い決意も感じられた。


「お願いします」


 誠が応える。


「美月……」


 俺が名前を呼ぶ。美月が振り返る。


「ありがとう、それと……ごめん」


 それしか言えなかった。美月は少し驚いた顔をして、それから笑顔を作った。


「気にしないで。遥くんのためなら、何でもするよ」


 その言葉が胸に刺さる。


 美月が改札に向かって歩いていく。その背中が見えなくなるまで見送る。


「帰ろっか」


 誠がようやく口を開く。俺は頷いて駅に向かった。


 電車に乗る。車内はそれなりに混んでいて、座席には座れなかった。二人で吊り革につかまる。


 誠が何か言いたそうにこちらを見る。でも、何も言わない。俺も何も言わない。


 窓の外を見る。流れていく景色。駅を通過してまた次の駅へ。


 美月に会えて嬉しかった。あの涙も笑顔も、「絶対、元に戻そうね」という言葉も全部が愛おしかった。


 俺は美月が好きだ。今も愛している。


 でも、同時に誠のことも好きになってしまった。


 美月は、俺との未来を信じてくれている。元に戻って、また一緒に過ごすことを。


 なのに俺の心は、誠のことを想っている。


 二人とも大切で、二人とも愛している。


 どうすればいいんだ。





 アパートに戻る。


 リビングに入ってソファに座る。誠も隣に座る。


 しばらく、お互い何も言わなかった。


「美月さん、いい人だな」


 誠が口を開く。


「……うん」


「遥のこと本当に大切に思ってる」


 誠が優しい声で言う。


「……そうだね」


 曖昧に応える。


「早く元に戻れるといいな」


 誠がそう言った。


 元に戻る。


 それが、みんなの願いだ。美月の願い。誠の願い。


 でも、俺の願いは……?自分がどう思っているのか、もう確信が持てない。


「……そうだね」


 また、同じ言葉を繰り返す。それしか、言えなかった。


「遥」


 誠が俺の名前を呼ぶ。


「ん?」


「何でもない」


 誠が何か言いかけて、やめる。


 沈黙が流れる。


 重い、重い沈黙。


「俺、ちょっと休むわ」


 そう言って、寝室に入る。


「ああ、お休み」


 誠が応える。


 ドアを閉めてベッドに倒れ込み、天井を見つめる。


 美月の「絶対、元に戻そうね」という言葉が頭の中で繰り返される。


 あの涙。あの笑顔。あの決意。


 美月は、元に戻った俺を待っている。また二人で、前みたいに過ごすことを信じている。


 それが正しいはずだ。


 美月は俺の彼女で、俺は美月の彼氏。元に戻ってまた一緒に暮らす。それがあるべき未来。


 でも、誠の「遥は大切な親友ですから」という言葉も、耳から離れない。


 親友。


 誠にとって俺は、ただの親友。それ以上でも、それ以下でもない。


 元に戻れば、また男同士の友達に戻る。それだけだ。


 それでいい。それが、正しい。


 枕に顔を埋める。


 自分がこれからどうするべきなのか。自分はどうしたいのかを自問して夜は更けていった。





 リビングで一人ソファに座って振り返る。


 今日は本当に驚いた。


 まさか美月さんに会うなんて。


 彼女の泣き顔が、頭から離れない。


 遥を心配してずっと探していた。そして遥を元に戻そうと、必死になっている。


 本当に遥のことを大事に思っている様子だった。


 だから、早く遥を元に戻してあげないと。美月さんと遥がまた幸せに暮らせるように。


 窓の外を見る。夕焼けが綺麗だ。


 明日からまた調べよう。美月さんと協力して遥を元に戻す方法を見つける。


 それが、俺の役目だ。


 親友として。


 遥のために。

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