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日常の中で

 土曜日の朝、今日も誠のアパートで目を覚ます。カーテンの隙間から差し込む光は力強い。今日は快晴のようだ。ベッドから起き上がり洗面所へ向かう。鏡には女性の顔が映っている。もう二週間以上も経つのに、まだ完全には慣れない。とはいえ、もうそれが自分の顔ということは十分に認識できている。


 リビングに行くと、誠はすでに起きてソファに座っていた。


「おはよう」


「おはよう。今日、月替神社に行くんだったな」


 誠が笑顔を向けてくれる。そうだ、今日は二人で神社に行くことになっていた。この身体になる前、例の石を拾った場所。何か手がかりが見つかるかもしれない。現状で唯一と言ってもいい解決への糸口だ。


 


 

 朝食を済ませて、二人で出かける準備をする。誠の家に来た翌日に買った間に合わせの服。シンプルな白いブラウスとデニムのスカート。鏡を見ると、女性としての自分がそこにいた。


 アパートを出て、駅に向かう。土曜日の朝、街には人が多い。買い物に向かう人、デートをする恋人たち。みんな普通の週末を過ごしている。俺も、少し前まではそうだった。


「大丈夫か?」


 誠が声をかけてくれる。


「え?」


「なんか緊張してるみたいだったから」


 そうだ、きっと表情に出ていたのだろう。女性として外を歩くのはまだ慣れない。周囲の視線が気になる。誰かに変だと思われていないだろうか。未だ女装しているかのような気持ちは拭えない。


「ちょっと……なんか変じゃないかな」


「全然、普通だよ」


 誠が自然に答えてくれる。その何気ない言葉に、少し安心した。誠は本当に、普通に接してくれる。男だった頃と変わらず、友達として。


 駅に着いて、電車に乗る。車内は混んでいて、誠の隣に立つ。電車が揺れるたびに身体が傾き、誠の腕に手が触れそうになる。その度に少し緊張する。


 男だった頃は何も気にしていなかった。満員電車で誠と並んでも、ただの友達同士だった。でも今は違う。この身体で誠の隣に立つと、何か特別な意味があるような気がしてしまう。


 いや、そんなことはない。俺と誠は友達だ。それ以上でも、それ以下でもない。


「次の駅で乗り換えだから」


 スマホで確認したのか、誠が教えてくれる。俺は頷いて窓の外を見た。流れていく景色を眺め心の中で願う。この神社で何か見つかりますように。


 乗り換えて、さらに三十分ほど電車に揺られる。都心から離れていき、徐々に緑が増えてくる。車窓からは田んぼや畑が見えてきて空気も変わってきた気がする。


「あの日も、こうやって来たのか?」


 誠が尋ねてくる。


「ああ。仕事のストレスが溜まってて、ふらっと遠出したくなったんだ。家の最寄駅から適当に行ったことないとこまでって感じで」


「それで神社に」


「たまたま通りかかって……雰囲気が良さそうだったから」


 あの日のことを思い出す。疲れていた。仕事で失敗して、上司に怒られて、美月にも心配をかけていた。自分が嫌になって何も考えずにただ遠くへ行きたかった。


 そして目的の駅で降りた。


 駅から歩いて十分ほど。住宅地を抜けると、小さな山道に入る。木々に囲まれた道を進むと、やがて鳥居が見えてきた。


 月替神社。


 小さな神社だ。観光地化されているわけでもなく、地元の人が訪れる程度の場所。二週間前、ここでふらりと立ち寄って、あの石を拾った。


「ここか」


 誠が鳥居を見上げる。俺たちは鳥居をくぐり、境内に入った。


 人はほとんどいない。静かな境内に鳥の鳴き声だけが響いている。手水舎があって、その近くに拝殿がある。俺はあの日手水舎の近くで石を拾った。


 折角だから手水舎で手を清める。柄杓で水を汲んで、左手、右手と洗う。口をすすいで、最後に柄杓の柄を清める。一連の作法を終えて、手を拭く。


「あそこだ」


 手水舎の横を指さす。誠と一緒にそこまで歩き、あの日と同じように地面を見る。石畳の隙間、木の根元、手水舎の裏側。けれど、特に変わったものは見当たらない。今日も持ってきている例の石と似たものは無い。やはり敷石に使われていたものが1つだけ飛び出していたって訳では無いらしい。


「石は1つだけだったのか?」


「うん。あの時も、綺麗だなと思って拾っただけで……他には何も」


 拝殿に向かって手を合わせる。どうか、元に戻れますように。心の中で祈る。


 誠も隣で手を合わせている。何を祈っているんだろう。俺のこと……かな。優しいコイツのことだし遠からずってとこだろう。


 誠が周囲を見渡す。そして社務所の方を指さした。


「聞いてみよう。神主さんがいるかもしれない」


 社務所に向かうと、若い男性が出迎えてくれた。二十代後半くらいだろうか。神主の手伝いをしているという。


「この神社について教えていただけますか?」


 誠が尋ねる。


「ああ、もちろん。月替神社は縁結びと縁切り、両方を司る神社なんです。珍しいでしょう?」


「縁結びと縁切り……」


 誠が繰り返す。


「ええ。人と人との縁を結ぶ力と、断ち切る力。両方を持つ神様を祀っているんです。昔から、この地域の人たちに信仰されてきました。」


 若い神主手伝いが丁寧に説明してくれる。でも、それだけでは……。


「変化を司る、とかそういうのは?」


 誠が一歩踏み込んで聞く。神主手伝いは少し驚いたような顔をした。


「よくご存知ですね。実は、その通りです。縁を結ぶ、縁を切る……どちらも変化ですから。この神社は変化を司る神社でもあるんです」


 変化……。俺の身体が変わったのと、何か関係があるのだろうか。


「詳しく教えていただけますか?この神社の歴史とか……」


 俺が食い入るように尋ねる。神主手伝いは少し困った顔をした。


「すみません、詳しいことは高齢の神主が知っているんですが、今日はいないんです。来週また来ていただければ……」


「そうですか……」


 少し落胆する。でも、何も得られなかったわけではない。変化を司る神社。それは間違いないようだ。


 社務所を後にして、再び境内を歩く。誠が黙って隣を歩いてくれる。


「結局、何もわからなかったな」


 呟くと誠が応える。


「でも、何かヒントはあったはずだ。変化を司る神社……それは間違いないんだろう」


「そうだけど……」


「まあ、焦らず調べていこう。また来てもいいし」


 誠が励ましてくれる。その言葉に、少し心が軽くなった。


 神社を出て、近くの小さな公園で休憩することにした。ベンチに座り、誠が自動販売機で買ってきた缶コーヒーを飲む。


「ありがとう、お前がいてくれていつも助かってる」


 素直にそう伝えると、誠は照れくさそうに笑った。


「友達だろ、当たり前だって」


 友達。


 その言葉に、何故だか少しモヤっとした。何故だろう、俺と誠は間違いなく友達で合っているのに。


 缶コーヒーを飲みながら、公園の木々を眺める。風が吹いて、葉が揺れる。静かで、穏やかな時間。誠が隣にいてくれる。それだけで少し安心できた。


「帰りに、服とか買わないか?」


 不意に誠が提案してくる。


「え?」


「いや、着られる服、最低限しかないだろ。少しは買っておいた方がいいんじゃないかと思って。今着てるそれだってこの間マネキンが着てるのそのままセットで買った奴だろ?外出る服それ一着ってのもな」


 確かに、外に出られるような服はこれくらいだ。でも……。


「いや、いいよ。お金ないし」


「俺が出すって」


 誠がさらりと言う。俺は驚いて顔を上げた。


「え、でも……」


「いいって。友達なんだから」


 誠の表情は真剣だ。本気で言っている。


「……ありがとう」


 それ以上は断れなかった。誠の優しさに、ただ感謝するしかなかった。




 

 駅前のショッピングセンターに立ち寄る。週末で賑わっている店内を抜けて、女性服売り場に入る。色とりどりの服が並んでいる。ブラウス、スカート、ワンピース、カーディガン。どれも女性らしいデザインで、正直、何を選んでいいかわからない。


「どんなのがいいんだろう……」


 戸惑っていると、誠が横から声をかけてくれた。


「これなんかどう?シンプルだし、着やすそうだけど」


 誠が手に取ったのは、ベージュのカーディガンだった。確かに、シンプルで使いやすそうだ。派手すぎず、地味すぎない。


「いいかも」


「じゃあこれと……こっちのTシャツも合わせられるんじゃないか」


 誠が白いTシャツを手に取る。次に、グレーのTシャツも。そしてネイビーのシャツも見ている。


「サイズは……Mでいいのかな」


 誠が確認してくる。俺は頷く。


「たぶん」


「よし。じゃあこれと……あとスカートももう一着くらいあった方がいいよな」


 誠が真剣に選んでくれている。サイズを確認して、色を比べて、丁寧に選んでくれている。女性服を選ぶなんて慣れていないはずなのに、一生懸命考えてくれている。


 その姿を見て、胸が温かくなった。


 いや、温かくなった……だけじゃない。何か、もっと違う感情が湧いてくる。


 ドキドキする。誠が俺のために必死に考えて服を選んでくれている。それがすごく嬉しく、少し恥ずかしい。


「試着してみたら?」


 誠が促してくれる。俺は頷いて、試着室に向かった。


 カーテンを閉めて、服を着替える。鏡に映る自分を見る。


 誠が選んでくれた服が、よく似合っている。


 ベージュのカーディガンに白いTシャツ、デニムのスカート。女性としての自分。


 この姿も悪くないかも__


 ハッとする。


 何を考えているんだ、俺は。元に戻りたいんだろ?男に戻りたいんだろ?なのに、この姿を受け入れようとしている……。


 頭を振って、試着室から出る。


「どう?」


 誠が尋ねてくれる。試着室から出ると、誠が待っていた。


「……いいと思う」


「よかった。似合ってるよ」


 誠が笑顔を向けてくれる。その言葉に、顔が熱くなる。


「そ、そう?」


「うん。じゃあこれにしよう。他にも試着する?」


 誠が手に持っている服を示す。グレーのTシャツと、ネイビーのシャツ。それに、黒いスカート。


「試着してみる」


 何度か試着を繰り返す。どれも、誠が選んでくれた服。どれも、よく似合っている気がする。誠も「いいね」「それもいいよ」と言ってくれる。


 その度に、心が満たされるような感覚がする。


 結局、カーディガン一着、Tシャツ二着、シャツ一着、スカート二着を選んでもらった。誠がレジで会計を済ませてくれる。俺はただ、隣で見ているだけ。


 レジの店員さんが、誠と俺を見て微笑む。カップルなんだろうな、なんて顔に書いてある。でも、店員さんは何も言わずに袋に詰めてくれた。


 もらいっぱなしなのは本当に申し訳ない。けれど……自分の為に色々してくれているのが嬉しい気持ちも存在している。


「ありがとう、誠。本当に……」


「気にすんなって。彼女が出来た時に服選ぶ練習になって助かったよ」


 誠が屈託なく笑う。


 その言葉に、また胸が痛んだ。


 元に戻る。それが目標だ。でも……。





 買い物を終えて、アパートに戻る。部屋に入ると、誠が買ってくれた服を眺める。


 買い物袋から一着ずつ取り出して、ベッドの上に並べる。ベージュのカーディガン、白とグレーのTシャツ、ネイビーのシャツ、デニムと黒のスカート。


 どれも、誠が選んでくれた。見ていると何故だか頬が緩んでしまう。


「本当にありがとうな」


 リビングに戻って、もう一度、誠に感謝を伝える。


「いいって。まあ、すぐ元に戻るから着る機会ないもかしれんね」


 元に戻る。誠にとって、俺を元に戻すことが目標。それは間違っていない。でも、心のどこかで寂しさを感じる。


「……そうだね」


 曖昧に応える。それ以上、何も言えなかった。


 夕食の準備をする。冷蔵庫を開けると、昨日買った食材が入っている。今日は何を作ろうか。


「カレーの残りがあるけど、それでいいか?」


 誠が尋ねてくる。


「いや、何か作るよ。せっかくだから」


「無理しなくていいのに」


「そんなんじゃないよ。作りたいんだ」


 そう言って、キッチンに立つ。野菜炒めを作ることにした。簡単だけど、ちゃんとした料理。


 フライパンを熱して油を引く。野菜を切って豚肉と一緒に炒める。醤油と塩コショウで味付けして、完成。ご飯を炊いて、二人分を盛る。カレーも別の器に盛りつける。


「できたよ」


 テーブルに並べると、誠が嬉しそうに笑った。


「ありがとう。いただきます。」


 二人で食事をする。誠が「美味しい」と言ってくれる。その言葉が、すごく嬉しい。


 食事を終えて、片付けをする。誠も手伝ってくれて、二人でキッチンに立つ。誠が皿を洗って、俺が拭く。何気ない時間だけど、楽しい時間だ。


 二人でリビングのソファに座る。テレビをつけて、何となく画面を眺める。


 並んで座っている。以前より距離が近い気がする。でも、誠は何も気にしていない。普通に友達として隣にいる。


 ふと誠の横顔を見る。


 真剣にテレビを見ている誠。いつもと変わらない親友の顔。


 でも今の俺にはその横顔が男の時とは違って見える。


 優しくて頼りになって……。


 いや、何を考えているんだ。


 目を逸らしてテレビに集中しようとする。でも、心の中では誠のことを考えている。


 しばらくして、寝室に入る。


「おやすみ。」


「おやすみ。」



 

 

 ドアを閉めて一人になる。


 ベッドに横になって天井を見つめる。


 今日一日のことを思い返す。


 神社に行って、買い物をして、誠と過ごした時間。


 電車の中で、誠の隣に立っていた時のこと。揺れる電車の中で、誠が手を伸ばして支えてくれた時のこと。


 買い物で、誠が真剣に服を選んでくれていた時のこと。「似合ってるよ」と言ってくれた時の笑顔。


 夕食を一緒に作って片付けをして、ソファに並んで座っていた時のこと。


 誠の優しさに触れるたびに、心が温かくなった。


 誠が選んでくれた服。誠の笑顔。誠の言葉。


 全てが、胸に残っている。


 誠は優しい。


 でも、ただ友人として心配してくれているだけだ。


 俺は誠に、何を求めているんだろう。


 元に戻れば、また男同士の友達に戻る。


 それでいいはずなのに。


 でも、心のどこかで、寂しさを感じる。


 まさか……。


 俺は、誠のことを好きなのか?今のこの時間を終わってほしくないと思っている?


 その考えが頭に浮かんだ瞬間、心臓が早鐘を打った。


 いや、そんなはずない。誠は友達だ。ずっと、友達だった。大学時代から、バカなことをして笑い合って、悩みを相談し合って。そういう関係だった。親友といってもいいだろう。


 でも……。


 今は違う。誠の笑顔を見ると、胸が苦しくなる。誠の優しさに触れると、心が温かくなる。誠と一緒にいると、安心する。そして、もっと一緒にいたいと思う。


 これじゃあまるで……恋、みたいな。


 自分の感情に気づいて戸惑う。


 男だった頃は、こんなこと考えたこともなかった。誠は親友で、それ以上でもそれ以下でもなかった。


 でも今、俺は女性の身体になって、誠の優しさに触れて、気づいてしまった。


 俺は、誠のことが好きだ。


 でも、美月がいるのに。


 美月。俺の彼女。優しくて、大切な人。保育士として働いていて、子供たちに慕われていて、俺にもいつも優しくしてくれた。


 なのに、誠のことを考えている。


 罪悪感が押し寄せてくる。


 美月を裏切っている気がする。でも、この気持ちはどうしようもない。


 誠のことが好きだ。


 その事実を認めた瞬間、涙が溢れてきた。


 どうしたらいいんだろう。


 この気持ちを、誠に伝えることはできない。誠は俺を友達としか思っていない。それに、美月がいる。


 もし元に戻ったら、この気持ちはどうなるんだろう。また男に戻って、また美月と付き合って、誠とは友達に戻る。それでいいはずなのに。


 男に戻ったらこの気持ちは消えるんだろうか。そう考えると胸が苦しくなる。


 枕に顔を埋めて、静かに泣いた。


 誰にも聞こえないように。ただ、一人で。

 



 

 リビングのソファで横になる。テレビは消して静かな部屋。


 今日一日、遥と過ごした。


 神社に行って買い物をして、一緒に夕食を食べた。


 遥の笑顔が浮かぶ。困った顔、照れた顔、嬉しそうな顔。未だ解決の糸口は掴めていないが、今日の遥は昔のように屈託なく笑っていた。女性になってからはストレスもあってどこか影のある表情が多かったから今日は少し安心した。


 女性になった遥。でも中身は変わらない。ずっと俺の親友だ。


 早く元に戻してやらないと。


 遥を元の生活に戻す。美月さんと、また幸せに暮らせるようにする。それが、今の俺がすべきことだ。


 遥は友達だ。


 大切な友達。


 だから、助けたい。


 窓の外を見ると、月が見える。


 満月に近い、明るい月。


 月替神社。変化を司る神社。


 何か答えが見つかるはずだ。


 そう信じながら俺は目を閉じた。


 遥のために。


 親友のために。


 俺は、できることをする。


 それが、俺の役目だ。

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