表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1.ヴィストキラ

――遅いよ!今夜はここに泊まればいいのに。どうして帰ろうとするの?(女性の声)

――家は遠くないし、それに両親と祝わないと。きっと待ちわびているよ。約束する、明日また会おう。(男性の声)

――本当に?約束だよ?(女性の声)

――約束だ。(男性の声)


誰かの記憶に残る声が響いていた。その人物は、間もなく目を覚まそうとしている。


――――


木々の間を渡る穏やかな風の音。

私は小さく息を吐き、差し込む朝の光をまぶた越しに感じた。冷たい草の上に横たわったまま、しばらくは動けずに周囲を見回したが……どこも見覚えがない。


ようやく完全に目覚めると、「家に帰らなきゃ」と思い、道を探そうとした。けれど視界に広がるのは、ただの知らない景色だった。


まだ少し体が重い。顔に当たる陽光を避けようと無意識に手を上げた瞬間、その手の小ささに気づいた。

――ずっと、こんなに小さかったっけ?


違和感しかなかった。自分のはずなのに、知らない手。まるで本当の自分ではないような感覚。


(中略)


水面をのぞき込むと、そこに映っていたのは――十歳ほどの小さな少女。

白に淡い桃色が混じる長い髪、透き通るような肌、宝石のように輝く紫の瞳。頭にはしょんぼりと垂れた獣耳。


――かわいい……?


思わず声が漏れる。映っていた少女は私の動きを真似て、首をかしげていた。そう、鏡のように。


「まさか……これ、私?」


恐怖と混乱に震えながらも、否定できなかった。


私は呆然と水面を見つめ続けた。映っている少女は、私の仕草をそっくり真似し、頬に手を当てる。その柔らかい感触が、まるで本当に自分のもののように伝わってきた。

――間違いない。この少女……私だ。


「私……こんな姿だったっけ?」


記憶が曖昧だ。以前の自分の姿を思い出そうとしても、霧がかかったようにぼやけている。


ふと頭に手をやると、そこには――ふさふさした獣耳。

「きゃっ……!」


思わず口を押さえる。耳に触れた瞬間、全身に電流のような感覚が走ったのだ。

「……敏感、なのか。気をつけないと大変なことになりそうだ。」


頬が熱くなるのを感じながら、そっともう一度耳に触れてみる。ゾクゾクするような不思議な快感が体を震わせる。あまりに甘い感触に、思わず赤面してしまった。


――どうやら、この耳は以前の自分にはなかったものらしい。


考え込んでいると、背後で何かが揺れる気配がした。振り返ると――そこにはふわりと揺れる狼の尻尾。


「こ、これも……私の?」


驚愕に目を見開く。狼の耳、そして尻尾。私は、獣人の少女になってしまったのか。


耳と尻尾の存在に動揺しつつも、妙に落ち着いている自分に気づいた。

水面に映る顔は可愛らしく、髪は柔らかく、耳と尻尾はふわふわしている。

――ただ、体には擦り傷や汚れが目立っていた。ここに来る前に、いったい何があったのだろう。


「……そういえば、人間の耳はどこにあるんだ?」


恐る恐る髪をかき分けてみる。けれど、そこにあったのは耳ではなく――硬い突起。

小さな角のようなそれは、まだ髪に隠れるほど未発達だが、やがて成長して大きくなる予感がした。


「……角、なのか。大人になればもっとはっきりするのかな。」


なぜか確信めいた考えが浮かんだ。理由は分からない。ただ、この身体が成長すれば角も伸びる――そう感じられたのだ。


「これが……私の新しい人生?」


深いため息が漏れる。

森の真ん中で、十歳ほどの小さな獣人の少女として目覚めた私。

これからどうすればいいのだろう。


これで私は――何かしらの獣人の少女であると断言できる。

角を持ち、狼の特徴を備えている。そう、言うなれば「キメラ」……いや、あるいは――「ヴィストキラ」なのだろうか。


時おり、知らないはずの言葉が口をついて出る。

「ヴィストキラ」……不思議と懐かしく、同時に未知でもある言葉。だが、それが私自身を表すものだと、なぜか分かっていた。


耳と尾は狼に似ている。髪も犬とは違う、獣らしい荒々しさを感じさせる。

それでいて、表面は柔らかく、しなやかだ。角の存在を考えると……羊か、山羊の血を引いているのかもしれない。

いずれにせよ、成長すればもっとはっきりするはずだ――そう信じることにした。


「……次は村を探そう。生き延びるには情報が必要だ。」


思わず口に出す。声はまだ聞き慣れない。どこか違和感があるのに、不思議と心地よい。

いや……むしろ可愛い声だ。容姿もそうだ。

――それは利点でもあり、同時に危険でもある。見た目ゆえに攫われる可能性もあるのだから。


「ふっ……まあいい。町を見つけるのは、そう難しくないはずだ。」


そう言いながら、森を直進するように歩き出した。目印は先ほどの小川だ。これを辿れば、いずれ大きな川に繋がるだろう。


数十分歩いても、森は尽きることなく続いていた。疲労はほとんど感じない。

ならばと走り出す。裸足の足裏は驚くほど強靭で、石や根を踏んでもさほど痛まない。


やがて小川は川へと繋がり、その流れに沿って走り続けた。

だが――


「……はぁ、はぁ……。おかしい、同じ場所を回ってる……!?」


視界に映る岩、地面の足跡、そして最初に目覚めた泉。

何度も何度も辿り着いてしまう。

川は森を大きく囲むように流れ、必ず元の場所へ戻ってしまうのだ。


木に登り見渡しても、見えるのは無限に続く樹海のみ。

――ここは想像以上に広大な森だった。


「……どうやって生き延びればいいんだ。村もない。食料も、水以外は何も……。」


焦燥と不安に押し潰されそうになりながらも、空を見上げた。

見知らぬ世界の空は、どこか懐かしく、それでいて恐ろしくもある。


だが不思議と、胸の奥には小さな高揚感があった。

恐怖と同じくらい――この世界を探索したい、という好奇心が湧き上がっていたのだ。


「……まずは優先順位を決めよう。」


生きるために必要なもの。

――水、食料、そして寝床。


水は小川と川で確保できる。

ならば次は、雨風や獣を避けられる場所だ。洞窟か、大木の上……どちらにせよ自然のものを利用するしかない。


森を探索するうちに、川の対岸がまだ未確認であることに気づいた。

しかし――


「深いな……泳ぐしかない。服は濡らしたくないんだが。」


逡巡の末、服を脱ぎ、まとめて石を包み込み、反対側へ投げ込む。

次は自分の番だ。


水面に足をつけた瞬間、冷たさに震える。

「……初めて裸で泳ぐな。大丈夫だよな……? 変な生き物が入り込んだりしないよな……!?」


不安を口にしつつも、意を決して水へ飛び込んだ。

意外なことに、尾は水を吸わず、泳ぎの妨げにもならない。


川を渡りきり、岸辺で身体を洗う。

傷だらけで汚れていた肌が、ようやく清められていく。

羞恥心を覚えながらも――それが「生きている証」であると実感した。


陽はすでに高く、体はすぐに乾き始める。

「……さて、これからどうするか。」


別の場所 ――


「……奥方、森に侵入者がありました。」

「また冒険者か?」

「いえ、今回は……七歳ほどの少女。ヴィストキラです。」

「どの一族だ?」

「クラニエルかと。」

「……クラニエル、か。ならば見張れ。ただし干渉はするな。あの存在が何を示すか、見届けたい。」

「御意。」

用語解説


ヴィストキラ

獣人や亜人とは異なる存在。

様々な獣の特徴を併せ持つ「異形の種族」であり、一般的には「キメラ」とも呼ばれる。

身体的特徴や能力は個体差が大きく、出自も不明とされている。


クラニエル

ヴィストキラの一族のひとつ。

基本の身体は人間と同じだが、狼の耳と尾を持ち、成長すると羊や山羊のような角が生える。

二次的な特徴として鋭い牙や爪を備えている場合もある。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ