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偽の聖女と堕ちた英雄 ――異端者として処刑されかけたので、もう自由に生きていきます――

作者: 中州颯二

「――という訳で。聖女様。俺がこれからしばらくの間は、貴方の護衛騎士となります。公的な場以外ではハルと、気安く呼んで下さい」

「んじゃハルさんだな! 私はヴィクトリア! よく分かんねえけどよろしく!」


 事の始まりはそんな会話。


 季節は春。

 公国で騎士を務めていた俺が、数年ぶりに現れた『聖女』に引き合わされた時。


 若干の戸惑いを隠しつつ、襟元の階級章を触って丁寧に微笑んだ俺に。

 つい先日、公国聖教庁から『聖女』として認められたばかりの、15歳の金髪碧眼の少女が。何の遠慮も無く笑顔を返してくれた事が。


 俺と彼女の国外追放の始まりだった。


「とりあえずさ、そんなに畏まんないでくれよハルさん。急に聖女だって祭り上げられて以来、周りとやり辛いったらないぜ」

「10年ぶりの『聖女認定』ですからね。聖教庁が盛り上げる必要は感じますし、周りからすれば、貴女への態度ひとつで自分の生活が揺らぎかねないくらい影響があるのが、この公国の聖女というものです」

「私も分かるけどさあ……いざ当事者になるとめんどいわ……。なんか急に聖教の偉い人が来て連れていかれて、聖女認定だってギリギリで、まあ今聖女いないしって感じだったし、なんかよく分かんねえ子に絡まれるし……」


 ヴィクトリアが苦い顔で言った話に、俺は早速何かトラブルかと首をひねる。


「よく分からない子? というのは?」

「なんか貴族の女子だよ。黒髪の、私と同じくらいの子でさ。聖女認定の試練の時とか、認定式典自体にも居たんだけど。式典の裏でいきなり私に、あなたみたいなのが聖女とか最悪だけど精々楽しみなさい、みたいな事言って来て、なんか、えぇー? って感じ」

「……まあ、聖女とは立場ある者です。嫉妬の類はあるのでしょう。そういった事からも貴女を守るのが、護衛騎士となった俺の役割になります」

「やっぱりめんどいなあ……。あっ、そうだ。その貴女ってのもやめてくれよ。私の名前はヴィクトリアだからさ。トリアかトリーで軽く頼める? 昔っからそう呼ばれてたし」

「では……ああいや。じゃあ、トリアって呼ぶよ」

「おう!」


 この時。初対面のヴィクトリア――トリアは元気に明るく返事をしてくれて、少年のような笑顔を見せてくれた。


 トリアは今年で15歳。金髪碧眼の少女で、金色の髪はショートで少し跳ねた癖があり。背は平均より低めで細見に見えるが、しなやかな筋肉をしている。それに意思の強そうな太めの眉と、健康的に日の光を浴びて来た様子の肌をしていた。

 なにより。先の笑顔とやり取りのように、元気な少年っぽさのある少女だ。


 対して俺は、この時20。黒い髪に若白髪の混じった男で、最近は「ちょっと疲れた様子」だとよく言われる公国軍の騎士である。

 公国の騎士は大きく分けて宮廷勤めと現場の兵士の2種類がいるが。俺は現場の兵士側。先日まで公国北方の、人と魔物の戦場で。矢弾を弾きながら先陣を切り、魔物の首を斬り飛ばしていたような男だ。

 自分のことながら、それなり以上の活躍をしており、『英雄』なんて呼んでもらえたりもするが。俺は志願してなるべく戦場に居るから功績が多いだけ、と言った方がいい。

 なんせ騎士になる事自体は夢だったが、紆余曲折があり。宮廷勤めは、俺には致命的に合わなかったのだ。


「早速で悪いけど、聞きたいことがあんだよハルさん」

「なんだいトリア?」

「護衛騎士って、専属の護衛みたいなもん? あと、しばらくの間はって、時間で交代とかあんの?」

「護衛騎士の認識はそれで合ってるよ。公国軍から選抜された、聖女専属の護衛だね。もちろん、君と一緒に仕事をする事になる。しばらくの間はと言ったのは、もし俺の働きが気に入らなかったり、いまいち気が合わないとかあるなら、言ってくれれば別の騎士に代わるからだね」

「ふーん。まあ、じゃあ、やっぱり。しばらくよろしくだな。ハルさん」


 トリアは改めて俺に言い。ぎこちなくも笑顔で握手を求めて来た。

 俺も笑顔を返して、彼女の手をそっと取る。

 その手からは、格闘技を嗜んでいる事や。まだ緊張している事がすぐに感じられた。

 緊張は当然だろう。いきなり初対面の男に護衛されながらの生活に、15歳の少女が戸惑わない訳がない。


 だがそれよりも。

 この時の俺と彼女には、やる事が山積みだった。


「さてトリア。俺からも早速で悪いけど、『聖女』としての任務が始まる」

「おお。さんざん言われてた、御役目ってやつだなハルさん?」

「そうだね。そして公国聖教庁からの最初の御役目は、『一刻も早く公国東方の草原地帯へ向かい、この地の民を苦しめているという大蛇を討ち払え』というものになっている」

「……なんか、いきなり急かされてる上に血生臭くない?」

「聖教の聖女はそういうもんさ。そもそも聖教最初の聖女達が、戦う事も当然な人達だったしね。と言っても、トリアがやるのは治癒が主になると思う。血生臭い事の担当は俺。なんせ大蛇は毒蛇らしくて、人や土地にじわじわ毒が広がっているらしいんだ」


 俺は事前に聖教の連絡官から貰っていた資料を読みつつ言い。

 トリアは露骨に嫌そうな顔をしながら背伸びをした。


 そしてトリアは治癒という言葉を聞いて、自分の両手をじっと見つつ微かな力を籠める。

 すると彼女の両手には、ほんのりと白い光が満ちていった。


「聖女の証のひとつ、強力な治癒魔法、ねえ……。まあ他の皆よりちょっと上手いぐらいには思ってたけど、これ孤児院で院長から習ったやつで、特別な事教えてもらってないぜ? 多分聖女とか大層なもんじゃなくて、私が天才なだけだぜ?」


 前半は純粋な疑問符と思い出を浮かべながら。後半は自信と調子に乗りながら。

 トリアは笑って俺に両手を見せて、力を抜き、満ちていた光を消した。


 俺はその様子を見つつ微笑み、見ていた資料を閉じて言う。


「たしかトリアは公国南部の孤児院出身で。そこは修道院でもあって、いわゆるモンクとしての訓練も受けてたんだろう?」

「おう! 私は天才だから、格闘術も院で最強だったんだぜ? まあ結局聖女だ何だで急に色々変わって、院長には勝てずに修道院離れることになっちまったけど……」


 嬉し気に、だが寂しげに、トリアは院長の事を口にした。

 彼女が院長を慕っているのは間違いなく感じられ。俺も孤児院出身だから、なんとなく察するものはあり。力強く言い切る。


「南部に寄る御役目の時は、必ず君がいた院へ寄ろう。お土産もたくさん持ってね」

「良いの? なんか聖教の偉そうなおっさん達とか、私にはそんな時間無いみたいな事言ってたけど……」

「聖女だって人間さ。家族に顔見せに行く時間ぐらいあっていいはず。無くても俺が時間を稼ぐよ。護衛騎士だしね」

「……マジなら期待してるぞハルさん!」


 そんなやり取りの後。

 俺とトリアは身支度を整え、公国軍の軍用飛空艇で東へ飛ぶ。


 そこでは事前の話通り、トリアの治癒魔法以外では解毒が難しい毒に蝕まれた人々や土地。数年ぶりの聖女へと助けを乞う人々の期待と信仰、そして俺を『英雄』と呼ぶ嘲りがあり。

 聖女認定はされたものの、トリアを疑い良く思わない人々の妬みや嫉みもあった。中には何者かから金を貰ってトリアを襲う者達まで居て、それを俺が返り討ちにして警察隊へ突き出したりもした。

 更には毒の大蛇がこの地に現れた理由の解明に、大蛇との直接対決もあり――。





 あっという間に季節は夏。

 俺とトリアが並んで戦い、毒の大蛇を蝶々の形に結んで退治し、間違いなく信頼が出来た頃。

 毒の脅威から救われた街の人々と、仲良く賑やかに朝食をとった後である。


「トリア。次の御役目が来たよ。公国西方の山岳森林に向かって、最近頻発している山鳴りの原因を突き止めろだってさ」

「もう次とかマジかよハルさん!? 大蛇とやりあって3日も経ってないぜ!? というか、山鳴り? そういうのって、学者とか工事のおっちゃんとかの仕事じゃない?」

「俺もそう思う。実際、先行調査で外国からの学者含めたチームが出てるみたいだ。だけど、場合によっては住民の避難誘導や、守護の結界を張ってもらうため……だと。御役目の連絡には書いてある」

「結界ねえ。あれこそ、私いらないんじゃない? って気がするけどな。だって古代魔法文明とかの遺産でしょあの結界」


 強力な治癒魔法に次ぐ聖女の証のひとつ。守護結界。

 魔法による防御術は、手段も原理も数多くあるが。中でも聖女の証とされているのが、公国各地に点在する遺跡にある、『守護結界の楔』と呼ばれる遺産を動かす事が出来るかどうかだ。


 『守護結界の楔』は、単純に言えば灰色をした真四角の柱であり。聖女がその柱に手を触れ、祈りと共に自身の魔力を流す事で、魔物が立ち入る事が出来ない強力な結界を広範囲に張る事が出来る。

 その範囲は様々だが、小規模な地方都市くらいならすっぽり覆える程のものもある。効果としては、先の毒の大蛇のような魔物達を遠ざける上に立ち入らせず、人間諸種族だけには無害である。仮に魔物が結界に触れようものなら、小型の魔物程度は閃光と共に弾け飛ぶような代物だ。


 聖教はこの『守護結界の楔』を、古代聖教の聖女達が、分け隔てなく人々を守るために遺した聖遺物とし。人々が勝手に触れたり壊さぬよう、教皇直属の僧兵隊による厳重な管理と保全を行っている。


「つっても。古代聖教と今の聖教って色々違うんでしょハルさん?」

「今の聖教は、初代の教皇猊下が、古代聖教の秘儀や魔法、祈りを、体系的に編纂なさって、人々に広めたものだとは教えられてるね。本来、古代聖教は限られた人達にしか魔法や祈りを教えず、閉鎖的だったらしいから」

「あっ、そこから先は知ってる。そういう時期に教皇と協力して、色んな人達を分け隔てなく助けたのが最初の聖女達だろ」

「トリアの先輩達だね」


 古代聖教と現代聖教。長い歴史があるだけに、そこにはまた色々な物語がある。

 古代聖教には謎が多いが。現代聖教の実益としては、祈りの編纂で、秘されていた治癒魔法や防御魔法が人々に普及し。当時まだまだ苦しかった人間諸種族と魔物の戦いの助けとなったり。聖教徒同士がより付き合いやすくなったり、遠くでも交易をしやすくなった。という話だってある。


 そういう話をすると、トリアはずいぶんと興味深そうに眼を開き。

 少し伸びた金色の髪を揺らす。


「ふーん……そういう話って、なんか本とかあんの? 結構興味ある」

「たくさんあるよ。ただ、根拠のないデマと混乱のために作られた話は多いから、公国内だと聖教庁から睨まれて、大っぴらにはされてないね。でも古代聖教や遺跡については、国外では考古学とか魔法考古学って分類で、色々と研究されてる。俺も騎士として働き始めてから、国外の学者さんに出会って色々知ったしね」

「知らなかったそんなの……」

「トリアは修道院にいたし、そりゃあ聖教の影響がかなり強い所だから、知らないのも仕方ないさ」

「うん。本当に。この東部に来て……っていうか。修道院を出て、街を出て。ハルさんと一緒に色んな人と出会って話して、一緒に色々やって。知らなかった事がめっちゃある」


 トリアは目を輝かせて言いつつ。何度も俺に頷いて見せた。


「ハルさん。私は色々知りたい。別にこの国とか聖教の事だけじゃなくて、世界の事を」

「では。それが聖女様のお望みなら。身命を賭して」

「あっ! やめろよそういうのー!」


 俺が胸に手を当て、騎士の正式な礼をわざと大仰にすると。

 トリアが遠慮なく笑ってくれた。


 そんなやり取りの後。

 またすぐに荷物をまとめ、街の人々との別れを惜しみつつ。俺とトリアは公国西部へと政府の飛空艇で運ばれた。


 そこでは調査を行っている学者チームと合流し。聖女として疑われつつも共に働くことになり。

 1日中野山を歩いては、地面にはいつくばって調べ物をしたり。山の横っ腹に口を開けた、古代魔法文明の遺跡を見つけて中を調べる事になって、遺跡の奥で巨大なゴーレムと戦う事になったり。

 更にはそういった行動や戦いに刺激されてか、潜んでいたであろう魔物の軍勢が街に近づいて来て、急遽トリアが守護結界を張る事になった。

 だが守護結界の楔を守る教皇猊下直属の僧兵達が、何故かそれを止めようとしたり。更には東部の時のように、金を貰ってトリアを狙う者達との戦いもあって――。





 いつの間にか季節は秋。

 俺とトリアが聖教庁の中止命令を無視し、守護結界を張って人々と街を守り。学者チームとは古代遺跡を調べ直したり、魔法考古学についての簡単な講義まで受けさせてもらい。

 守護結界の楔について、いくつか疑問も沸き上がり。俺達も学者達も調べてみようなんて話になって。また少し信頼を深めた頃。


「来たよトリア。御役目だ」

「うっわまたかよ。つーか、あんだけ色々あった後にしちゃ早えな。10日くらい?」

「聖教庁も色々あるんだろう。特に、俺とトリアの扱いについて」

「間違いねえや! 今回なんて、ハルさんは教皇直属の僧兵ぶん殴って説教して戦った男だしな!」

「後悔はしてないけど、やっちまった感はすごいなあ……」


 頭の後ろで手を組んで、嬉しそうに笑うトリアの鼻筋には、白い絆創膏が真横に張られている。

 俺の方も苦笑いして、大きな絆創膏を張った頬を掻くしかない。


 まあ色々とあり。

 魔物達から人々と街を守るために、守護結界を起動させようとする俺とトリアを、何故か守護結界の楔を守る教皇直属の僧兵隊が止めようとし。阻止できないとみるや、突如僧兵達が楔を破壊しようとしたのだ。俺とトリアは当然驚いて飛び込み、僧兵達を蹴散らし。なんとか楔を守って守護結界を張った。

 結果。街も人々も無事。魔物達の迎撃に出てくれた公国軍部隊や、義勇兵達にも死者重傷者無しという大勝利になった。


 だが、教皇の僧兵達の行動は明確に不審で疑問が残る行動だった。

 『聖教庁と猊下の御指示』の一点張りだったが、詳細は語られずに終わり。僧兵隊長なんて、俺に向けては「堕ちた英雄め!」なんて叫び、トリアには「聖女を騙る不届き者め!」と、殺意と憎悪に満ちた様子だった。

 楔を守っていた僧兵達は、全員が聖教庁の飛空艇でいつの間にか去っていたのも気にかかる。


 こういった事に関して得意な友人がいるから、そちらに調べてもらってはいるが。まだ時間がかかる。


「ともかく。次の御役目は、公国南部の海域に向かう事。そこで最近航路を妨害している水竜を、討ち払うか調伏せよ。というものらしいね」

「水竜!? あれは守り神みたいなもんじゃんか! っていうか南部、って事は……!」

「トリアの故郷にも寄ろう。幸い、御役目で迎えと指示されている場所も、君が生活していた修道院に近い」


 トリアの頬が緩み、嬉し気に赤くなる。

 俺もその表情で、なんだか嬉しくなってしまう程だ。


「さて。また飛空艇に乗せられるまで時間は少ないし、院長さん達へのお土産を調達しないとな」

「あっ! えっとな! 院長は堅物だけど、結構甘いもの好きなんだ! でも院長個人への土産だと絶対受け取らねえから、院の皆にって形にした方がいい!」

「そうなのかい? じゃあ、まとまった数のお土産が良いのか」

「あーでも、私からなら、刺しゅう用の糸くらいなら受け取ってくれるかも……? あっ! シスターの姉ちゃん達は何でも歓迎! 酒もアリ! がきんちょ達も甘いものか、本でも良いかも! えーっと、とりあえずハルさんはお菓子の方頼める? 私も色々探すからさ!」

「分かったよ。って、そんなに慌てるなよ。こけるぞトリア」

「へへっ! 院長や皆には、いっぱい話したい事もあるからさ!」


 俺とトリアはそんな会話をしながら、笑って宿を出て足早に動き出す。


 その後。両手にいっぱいの菓子箱を持った俺とトリアは、聖教庁の飛空艇に乗って南部へ向かった。


 トリアの故郷でもある、南部諸島の港へ降り。彼女の実家とも言える修道院へ。

 院長を務める厳格な修道女や、明るく騒がしい孤児達、同じく明るく賑やかで噂好きなシスター達と対面し。俺はトリアとの旅の事や、彼女との関係を話し。トリアは家族と、一晩中たくさんの話をした。


 それからは御役目の目標である水竜について、この島々では昔から守り神のように扱われている事や。最近その様子がどうもおかしい事。教皇直属の僧兵隊が、水竜を討伐しようと大がかりな部隊を動かしていたり。

 トリアの実家とも言える修道院に、幼稚な嫌がらせをする人々が少し前からいる事。なによりその嫌がらせは自然に起きたものではなく、今までもトリアを襲わせていた何者かが、また金や脅しを使ってやらせていた事だと分かりもした。


 何より。水竜の様子がおかしい原因が、海底の古代遺跡に住み着いた魔物であったり。僧兵隊から水竜を守るべく、海底遺跡の魔物を退治に向かうために島々の人々との協力があり――。





 もう季節は冬。

 俺とトリアが海底遺跡で守護結界を起動し、怒り狂うクラーケンを直接仕留め。脱出の際に水竜に助けられ、院長や島の人々を大いに驚かせた後。

 それでもなお水竜を討伐せんとした、以前も戦った事がある僧兵隊長に率いられた僧兵隊の一部と、小規模ながら再び戦う事になり。

 最終的には水竜自身が、島の人々の祈りとトリアの声に応え。暴れる一部の僧兵隊を、優しく波打ち際で疲弊させて大人しくさせるなんて事すらあった頃。


「トリア。また御役目が来た。今度は北部だ」

「そろそろ来ると思ってたぜハルさん。つーか、冬に北部かよ。さては聖教庁のジジイ共、わざとだな」

「御役目としては、押され気味の北部戦線に向かい、守護結界や治癒で将兵を支え、北部の魔物の首領になってる巨人を倒せって事らしい」

「やるしかねえんだろうなあ。でも正直、聖教はともかく、教皇と手下の僧兵達の事は信じてねえぜ私。この御役目ってやつも」

「俺もだ。猊下や僧兵達には、明らかに別の目的がある。信頼できる友人に調べてもらったけれど、歴代聖女達の御役目だって、ここまで血生臭いものばかりは、かなり珍しいみたいだ」


 トリアは簡素な運動着を身に纏い。修道院の奥にある訓練場で、改めて院長から叩き込まれた格闘術の型を、真剣に反復練習していた。

 俺は彼女が汗を散らして殴打や蹴撃を繰り出す、その活力に満ちた様子に見惚れてしまうが。頭を振って邪念を追い出し、静かに更に言う。


「それと。さっき院長さんやシスターの皆さんから伝えられたし、調べ物を頼んでた友人からも来た情報なんだけど。落ち着いて聞いて欲しい」

「うん。何? ハルさん」

「公都で新しい『聖女』が見つかったらしい」

「うん。うん!?」


 トリアが驚いて、踵落としの型を崩して地面に転がった。

 俺は彼女に手を差し伸べて立ち上がらせて、苦笑いする。


「公国貴族の御令嬢で、聖教庁とも繋がりの深い商人の娘だとか。清廉で可憐な子で、いつも一緒の御付きのシスターと共に大聖堂で静かに祈る姿は、ステンドグラスの輝きのようらしい。聖教庁も、彼女が強力な治癒魔法や、守護結界の起動、その他聖女として認められるに必要な事、全てが十分であると確認済み」

「おおー……いやまあ、出る所から出て来たって感じの完璧な聖女様だな……。えっ、一応私が先輩って事になんの? 無理だぜ? 私がそんな子と気が合う訳ねえ。ステンドグラスとか、この前の海底遺跡でも叩き割っちまった女だし。聖女認定もギリギリだったぜ私」

「あのステンドグラスは不可抗力だよ。それと、その新しい聖女の名前が――」


 俺が笑って、院長達から教えてもらった名前を口にすると。

 運動着の襟元を正していたトリアの動きが、ピタリと止まった。


「ハルさん。私がハルさんと出会った時に、妙に絡んでくる子が居たって話したの覚えてる?」

「……ああ。トリアみたいな子が聖女になるなんて、的な事を言ってた?」

「その子だよ。新しい聖女様。良かったじゃん、なりたがってたっぽいし。そっか、自分も聖女になれたんだな」


 トリアは疑いなく笑顔で何度も頷いたが。

 俺は驚いて目を見開き、口元に手をやって考えこんだ。

 同時に嫌な予感が繋がって、調べ物の得意な友人への頼み事が増えた事と、今度は裏を取るだけだと確信する。


「……その新しい聖女についてもだけれど。ともかく、本題はここからだ」

「まだなんかあんのハルさん?」

「こっちが友人からの情報なんだ。新しい『より良く完璧な聖女』が見つかって、聖教庁も正式に聖女認定を出すのは確定しているみたいだが。同時にトリア、君が今自分で言ったように『ギリギリの聖女』から聖女認定を取り消す動きがあるんだ」

「……はァ!?」


 再びトリアが驚いて。これには俺も真剣に頷いた。


「『聖女認定』が消えるだけならまだいい。特にトリアは、聖女っぽくはないけれど、既に各地で色々な功績を残してきてるし、関わって来た人々からも評判は良い」

「へへっ! みんな元気かな」

「認定自体がギリギリだったのは広く知れ渡ってるから、新しいきちんとした聖女が出て来たなら仕方ない、みたいな部分が大きくなるはずだ。君は普通の女の子に戻れる」

「……えっ、マジかよ……!」

「だけど問題は、聖女認定が消された後。聖教庁が君と俺を『異端者』として追い立てる動きもある事なんだ」

「異端者ぁ……?」


 トリアの表情がころころ変わり、最後は怪訝な顔で止まった。


「公国聖教庁における『異端者』は、聖教庁を欺いて権威権能を利用し、聖教徒を惑わせた罪人に付けられる呼び名だ」

「罪人? おかしいだろ。私もハルさんも、聖教を利用とか惑わすとか、ンな事してねえぞ?」

「俺だってそう思っている。だが残念ながら、その『異端者』の烙印を押す異端審問官達は、教皇猊下直属の僧兵隊の一部門なんだ」

「はぁ!? じゃあアレかよ!? 僧兵のハゲ共が、今までの御役目でメンツ潰された腹いせに、私とハルさんを罪人扱いするかもって事か!?」

「理由がそれならまだ良いさ。教皇猊下と、少なくとも猊下直属の僧兵隊は、トリアと俺が活躍する事を望んでいなかったんだと思う。最初のトリアの聖女認定と、英雄なんて呼ばれる俺を引きわせた事から。公国政府や宮廷、教皇、聖教庁も含めた、権力争いの一端だったのかもしれない」

「ハァ~~~~!?」


 俺が感じて考え、予想される今後の事を話すたびに。トリアが素直に感情を露わにしてくれる。

 それのおかげか、俺の頭は不思議とよく回っていた。


「面倒くせえな! 何が聖女の御役目だ! 本気で嫌になってきたぜ!」

「気に入らないのは俺も同じさ。でも今ここで御役目を投げ出せば、俺達を利用してる連中は必ず喜ぶ。新聖女の目途が立った今、俺達を偽聖女と脱走兵扱いできて、大手を振って軍や僧兵隊が追い立てるだろう」

「クソがよ……! 人の人生なんだと思ってやがる……! どういう理屈と利益で弄ばれてんのか分かりにくいのが更にムカつく!」

「今はまた御役目に向かうしかない。それに、俺も居たから分かるけど、北部戦線はずっと人と魔物の激戦地だ。不幸中の幸い。権力闘争なんてやってる暇無いくらいだから、中立派の軍人も多いんだよ。今の司令官も北部出身の人で、司令官が指揮を執る理由は、自分の故郷を守りたい一心だ」

「……ハルさんが言うなら、信じられる人なんだろうな。その司令官」

「元気なお爺さんだよ。身体も声もデカいし。ともかく調べ物は続けるし、対策を練りながら北部での御役目をこなそう」

「今までと違う御役目になりそうだな。こうなったらやってやらあ!」


 なんて事があった後。

 俺とトリアは、自分達で民間の旅客飛空艇や軍の輸送飛空艇を選び乗り継いで。

 冬の北部戦線へと降り立った。


 それからはまた忙しかった。

 約1年ぶりに冷たい北部戦線へ帰って来た俺を、以前と変わらない司令官が熱い笑顔で迎えてくれたり。以前に増して激しくなった北部の魔物達と、俺とトリアで少数部隊を率いて戦う事になったり。前線にある守護結界の楔が、何者かによって破壊されていたり。

 突如今まであり得なかった場所から魔物の大攻勢があったかと思えば、古代魔法文明の遺跡が侵攻ルートに使われていた事が分かり。それを塞ぎに向かった俺とトリアの部隊は、奥に居た巨人と戦う事になったり。

 柄の悪い傭兵達と、傭兵のフリをした少数の僧兵の混合部隊が、俺とトリアを『名誉の戦死』させるべく待ち構えていて。同時に再び魔物の攻勢が始まりもした。

 だが急遽駆け付けた、いつかの学者さん達が守護結界の楔の真実を明らかにしてくれて。そこでトリアと俺で壊れた楔をぶん殴って魔力を無理やり流し、強引に守護結界を発動させたりして――。





 そして季節は廻り。春。


「修道女、ヴィクトリア・ヴィルトリウス! 公国騎士、ハロルド・ハーディング! 聖教を騙し、人々を混乱せしめた『異端者』共! 我ら猊下直属の精鋭が、貴様ら2人に追放刑を言い渡す! これは聖教庁の発す正式な――!」


 公都で最も高く豪華な建物。

 聖教大聖堂の大広間。


 そこで約1年間の御役目を務めたトリアと俺を労う昼食会を開くと聞かされ、強引に連れていかれたが。もちろん食事も机も無く。

 大聖堂の中央まで連れて来られるや否や、たくさんの僧兵達に囲まれて、槍や弓と剣などを向けられた。


 そして見覚えのある僧兵隊長が、周りより一段高い場所から先の言葉を叫んでいた事に気付き。

 俺とトリアは同時にため息を吐いた。


 トリアが腕を組んで嫌そうな顔をして。俺も隣でだらりと立ったまま話す。


「やっぱりな。北部から無理やり連れて来て、なーにが昼食会だよ。大聖堂の大広間で飯どころか、テーブルも椅子も片付けてあって準備万端じゃん」

「恰好をつけるのだけは意識してるんだろう。特に僧兵隊は見栄っ張りで、そういうところだけは得意みたいだしね」

「だよなぁ。15のガキと騎士1人に色んな所で負け続けてんのに、我らは猊下直属の精鋭ぃ~い、とかウケる」

「まあ考えてもみれば、俺達が会って来た田舎で遺跡の柱を守る仕事の僧兵達って、左遷されてたんじゃないか? あの柱だって、守護結界の鍵ではあるけど重要じゃないと分かったし。左遷されるくらい問題ある人達の部署なんじゃ?」

「ちょっとハルさん、そういうの失礼だって。えっ、でも今まで左遷されて田舎で威張ってたと思ったらウケるな。じゃあ、あの怒鳴ってビキビキハゲが今めっちゃ元気なのは、実は都会で働けてウキウキハゲって事じゃん」

「フフッ。ウキウキハゲ……」

「貴様らァ!!!!!」


 僧兵隊長が凄まじい怒鳴り声を上げ。大聖堂のステンドグラスが揺れた。

 俺とトリアはニヤリと笑いつつ、僧兵隊長を真っすぐに見た。


「言わせておけば異端者共め!! だが追放刑を言い渡された貴様らはもう終わりだ!! ここから逃げられはすまいが、公国中の僧兵達が貴様らを捕まえ殺すだろう!!」

「おいハゲ。あんたここで今すぐ殺すって言えねえのが、左遷された理由なんじゃねえの?」

「馬鹿め!! 貴様のような偽聖女の穢れた血で大聖堂を汚す事は許されんからだ!! 捕まえて嬲り苦しめて処刑してやる!! 何より今、この場には!! 偽物ではなく、本物の聖女がおられる!!」


 トリアの呆れたような言い草に、僧兵隊長が大声と愉悦をもって返し。

 大聖堂の壁際、ステンドグラスを後ろにした、3階ほどの高さがある場所のテラスに。数人の人影が揺れた。


 トリアと同じ年頃の、清楚で可憐な黒髪の少女。隣に立つのは、白い衣装を纏った聖女御付きのシスターだ。周りを僧兵達が固めている。

 そしてその黒髪の少女こそ――。


「聖女様!」

「聖女様だ!」

「本物の聖女様がいらっしゃるぞ!」


 俺達の周りを固める僧兵達が、口々に歓喜の声を上げて、『本物の聖女様』を見上げた。

 俺とトリアはその瞬間に周りを確認。何も言わずとも、必要な事は把握し終わったと、目線で合図しあった刹那。


「皆さん。どうか彼女と騎士に、無暗に乱暴を働くことはおやめください」


 黒髪の新聖女が、白い手を組んで悲し気に訴えた。


「空腹に耐えきれずパンを盗むように。きっと彼女達にも、理由があったのでしょう。資格も価値も素質も無い偽物であるのに、聖教庁を欺き、聖女として世に出て、国と人々を混乱せしめる。そうせざるをえない、彼女達なりの理由が」

「あァ……?」


 まるで全てを分かっていて、優しく包むかのような新聖女の声だったが。欺瞞と愉悦に満ちた声色が後を引き、嫌悪感が走り。

 静かに煮えたぎる怒りの声を漏らしたトリアのこめかみに、青筋が浮かんだ。

 俺はタイミングを早めに見計らう。


「しかし、それが罪であるのは確かな事。罰は必ず受けるべきです。とはいえ、そこの偽の聖女は罰を受けたくない様子。僧兵の皆様を侮辱もしました。言って分かるようで無いのなら、少しだけ、悪事に手を染める手をはたいてやるのも聖教の――」

「ベラベラ喋ってんじゃねえぞ、『偽物』がよ」


 清廉に、だが愉快そうに言葉を綴る新聖女の眼前に。

 トリアが目にもとまらぬ速さで飛び上がり。冷たく言うと同時に、新聖女の胸倉を掴んだ。


 一瞬。時が止まったかのような静寂が大聖堂を満ちる。


「聖女様!!」


 僧兵達が叫んで動き出す直前。

 俺も素早く周りの僧兵達の懐に潜って、僧兵達が腰に帯びている剣を二振り、抜き取って両手に握って。トリアの隣、新聖女の御付きのシスターがいる場所へ飛び上がった。

 ほぼ同時に。トリアは新聖女の胸倉を掴んだまま、テラスから飛び降りた。


「聖女様を守れ!! 偽物を槍で刺すんだ!!」

「やめろ手を出すな!! 聖女様に当たる!!」

「テラスの者ども!! 騎士を殺せ!! 囲んで仕留めろ!!」

「急いでシスターを避難させろ!! 陣形を組むんだ!!」


 テラスから落ちて来るトリアと新聖女。テラスに飛び込んだ俺とシスター。

 それらに向けての相反する指示が飛んで、僧兵達の動きが固まる中。


 トリアは落下で絶叫する新聖女を抱えたまま、怪我も無く着地し。新聖女の腰にあった、護身用という名目らしい装飾だらけの短剣を奪って握り。

 俺はテラスの僧兵達を両手の剣で、なるべく怪我のないよう蹴散らしてから、慌てて逃げようとするシスターの首筋に剣を突き付けて捕えた。


 再び。僧兵達の動きが止まる。


「……離せ! 汚い偽物め!」

「おいおい。完璧な聖女様にしちゃ言葉遣いが汚いじゃねえかよ」

「黙れ! お前さえいなければ今頃!」

「そっちの予定も目的も知らねえよ。今はこっちの予定に付き合ってもらうぜ」


 トリアが新聖女を、器用に片手で両腕を抑えながら話し。空いた手に握った装飾だらけの短剣で、新聖女の腕を素早く、紙一枚ほど薄く切った。

 ほんの僅かに、新聖女の白い腕に赤い血がにじむ。


「ほら怪我だぜ? 強力な治癒魔法で治せよ。聖女様」


 トリアが冷たく言い切って、短剣は遠くに放り投げた。

 俺はその間。御付きのシスターから目を逸らさずに、両手の剣を向けたままだ。


 何度目とも分からない沈黙が、大聖堂に満ちていく。

 僧兵達の視線は、俺とトリアはもちろんだが、新聖女に最も注がれていた。


 そして新聖女が苦々し気にもがき。わずかに魔法を使う気配がして。

 その白い腕の細く赤い怪我が――治らなかった。


 僧兵達が疑念と驚きの声を上げ。

 俺とトリアは確信のため息を吐き。

 トリアが新聖女に笑いかける。


「なーにが新聖女だよ。弱めの治癒魔法すら使えねえじゃねえか」

「それはっ……! こんな状況で魔法なんて使えなくて……!」

「ウソ付け。元々勉強してなくて魔法使えねえタイプだろお前」

「何故そんな事が言える!」

「分かんだよ。修道院を出て、ハルさんと御役目の旅をしてきて、色んな人に出会って来た。良いヤツも悪いヤツも、いっぱいな。これは私が天才だからじゃねえ。色んな経験をしてきたからだ」


 トリアはハッキリ言い放ち。少し強めに新聖女を突き放した。

 新聖女はよろよろしたが、こけたりはせずに離れ。険しい顔でトリアに向き直る。

 そしてトリアは片手をかざし、遠くから治癒魔法を使って、新聖女の薄い傷を完璧に治してみせた後。また口を開く。


「大体。これくらいで魔法が使えねえのは、聖女としちゃ致命的だぞ。例えば毒で苦しんで死んでいく人達に囲まれて、苦しい声とか早く助けろとか、怒鳴って泣かれながらでも動かねえといけない時があるんだ。どういう時でも治癒魔法が使えねえとやばいぜ」

「でも私は聖女認定をされたわ! 本物の聖女よ! 認定の時だって魔法を使ったからこそよ!」

「聖教庁のジジイ達から認定のハンコもらったから聖女か? ちげえだろ『本物の聖女』ってのは。それに今私がして見せたように、私みてえな天才や手練れなら、遠くからでも治癒はやれんだよ。でもまさか、聖女認定なんて場でやるヤツがいるとはなあ! 御付きのシスターさんよ!」


 トリアが大声で明るく言い。

 俺が剣を突き付けているシスターが、ビクリと体を震わせる。

 この場の皆の視線が、シスターに一気に集まった。


 答えはどうだと、俺が改めて剣を突き付け直して問えば。

 シスターはまた震えてから顔を逸らし、顔を悔し気に歪ませた。


 大聖堂がざわつき始める中、俺は周りにも聞こえるように大声で言う。


「沈黙もまた答えだ。貴女とそこの新聖女に、どういう利害関係があるのかまでは計りかねるが。新聖女と結託し、聖女認定の場で、聖教庁の人々を騙したのは間違いのない事。それで良いんですね」


 俺の問いかけに。

 シスターが歯を食いしばり、拳を握りしめる様子で答えた。

 それに伴って、新聖女も悔し気に膝から崩れ落ちてうなだれる。


 僧兵達が唖然とする中。

 俺はシスターに向けていた剣を下ろし、テラスから大聖堂全てに叫ぶ。


「聞け!! 聖教の信徒達よ!! 祈りによって手を取り合う、公国の民達よ!! 答えよ!! 汝らが信ずるは何か!!」


 この場の全ての視線が、俺へと集まって突き刺さる。


「信ずるは、聖教の名が記された看板か!? 聖教の祈りが記された祈祷書か!? 聖教の長達が判を押した紙の束か!? 違うはずだ! 我ら聖教に触れ生きて来た者達が信ずるは、そんな形ある物ではない! 祈り、学び、培われた心をこそ信じているはずだ!」

「異端者が何を説く!! 僧兵ども!! 奴を黙らせろ!!」

「それとも今! 僧兵隊長が叫んだ殺意を信ずるか!? 自らが祈り育てた心が、彼の吐く罵りを信じろと言うなら俺に弓を引け!」

「早く奴を黙らせろ!! 何をしている愚図共!!」

「だがこれだけは言っておく! 今、汝らが見て、聞いて、感じた通り! 偽りの聖女は人の謀略によって生み出され! 新たなる聖女もまた謀略の一端だ! 聖教の美しい大聖堂は今、醜い悪意に満ちている! そんな場所で叫ばれている殺意の言葉を、汝らの心はどう受け止める!」


 叫びと怒声が大聖堂にこだまして。数呼吸分の沈黙が広がった。


 そして僧兵の1人が、ゆっくりと武器を床に下ろし。カタン、と硬い音が鳴った。

 周りの視線がその僧兵に集まったが、すぐに武器を下ろす者が続き。波紋のように広がっていく。

 瞬く間に、大聖堂に詰めていた僧兵達は、全員が武器を手放した。


「……何をしている!! 武器を握りなおせ!! 奴らは異端者だぞ!! 偽物だ!! 聖教が奴らを殺すことを望んでいる!! 今すぐ殺せ!! 早くしろ!!」


 僧兵隊長が怒り狂って叫ぶが。僧兵達は皆が目を逸らすばかりだ。

 独り叫び続けた僧兵隊長だったが、徐々に声が小さくなり。膝を着いて動かなくなった。


 それらを見届けた俺もまた。両手に握っていた剣を足元に落とし。


「ありがとう。皆の心に感謝する。本当に、感謝しきれないくらいに」


 ハッキリと感謝を述べてから。ひらりとテラスから飛び降りた。

 降りた先にいるのは1人の少女。もう聖教に認定された聖女ではない、ただの金髪碧眼の少女となったトリアだ。

 俺はそんな。1年の間、一緒に旅をして来た相棒の少女に笑顔を向ける。


「行こうか」

「おう!」


 簡単な言葉に。力強く明るい、少年のような返事が返って来た。

 そのまま俺とトリアは、大聖堂の正面玄関へ向けて歩き出す。僧兵達がさっと開けてくれた道を、胸を張って通りながら。


 そして大聖堂から出て、青い空を見上げると。並んで大きく深呼吸を一度。


「つっても。これからどこ行くんだよハルさん。大聖堂の連中もどうすんの?」

「あの場の皆は、この後徐々に解散ってなるだろう。そしてこの『偽聖女事件』は隠しようが無いから、公国全部に広がっていくはずだ。まあ、国が揺れるだろうな」

「うっへぇ……」

「本当なら、少なくとも俺は留まって、この事件の余波を収めるために動くのが『英雄』なんだろうけど――」


 俺はそこまで言って。自分の襟元の階級章をむしり取り。少し眺めてから放り投げ、笑う。


「――俺はもう異端者だ。無視して自由に生きる事にするよ。こういうのが好きな人達に丸投げだ」

「へへっ。良いんじゃねえの? 初めて会った時から、ハルさん騎士とか軍人っぽくなかったしな!」


 トリアがいつかのように、遠慮なく笑ってくれた。


 実際。公国はかなり揺れるだろう。

 聖女という存在についてだけでも。偽の聖女が相次いだ事と、聖女認定という聖教の仕組み自体がおかしい事。学者達が解明した、守護結界の楔は聖女でなくても動かせるという事実も広まるだろうし。僧兵隊のおかしな行動は批判される。政府と聖教庁との深く食い込んだ関係も揺らぐ。

 特に中心人物となった、聖教庁の聖女認定を出す上位の者達や、周囲の人々。直接顔を合わせた僧兵隊長をはじめ、新聖女やシスター、そして姿を見せなかった現教皇などには。相応の糾弾が待ち構えているはずだ。


 俺は自由に生きるとは言ったが。聖教庁の権謀術数で、舞台に無理矢理上げられたトリアはともかく。一応は公国軍の人間で、事件の当事者となった俺が公国に留まるのは、余計な波紋を生むかもしれないという懸念もある。

 いずれにせよ。しばらくは国を離れるべきだ。できれば二度とこの国に戻る機会が無いくらいには、遠い場所に居た方が良い。


「さて。次にどこに行くかだけど」

「うん。ハルさん」

「俺はとりあえず、西の外国の港から、もっと先にある魔大陸へ行こうと思ってる」

「魔大陸ぅ?」

「学者さん達から、古代魔法文明の話をされただろ? その遺跡が特に多くて状態が良いのが、最近航路が安定した魔大陸に多いらしいんだ」

「あー、なんか聞いたな。ここに連れて来られる直前くらいだったよな」

「それそれ。で、もし聖女様のところを離れて軍も辞めるなら、遺跡の現地調査をやらないかっていう話を俺は貰えててね」

「えっ。そういうのあったの?」

「で。ここからが大事なんだけど」


 ころころ変わるトリアの表情に微笑みつつも。彼女の顔にはなんだか迷いと悩みが見えた。

 俺にも迷いと躊躇いがあったから。そこで一呼吸。

 俺はトリアの方に向き直り。同時にトリアも俺の方を向いて。


「トリア。俺と一緒に来ないか?」

「ハルさん。一緒に行っていい?」


 またほとんど同時に。互いに相手の言葉も聞かずに言い切って。

 俺とトリアは笑いあった。


 こうして俺とトリアは、公国政府の公式記録としては聖教庁から異端者の烙印を押され、公国を国外追放刑にされたところで、記録が途絶えている。

 もちろん。俺とトリアはまだ生きていて、一緒に旅を続けている。


 次に向かうのは魔大陸。

 追放された偽の聖女と堕ちた英雄という過去を抱え。新天地で楽しく自由に生きてやるのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。評価等していただけると嬉しく思います。

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