第三の事件
宿屋に来るまでの道中は、僕に「無能」呼ばわりされた警察官二人もついてきた。二人とも完全に顔が死んでいて、徹夜の取り調べは捜査側にとっても過酷なのだということを物語っている。
僕と、水太郎と、警察官二人が、山の麓にある宿屋に到着したのは、正午ちょうどのことだった。
僕は過労死寸前の警察官二人に対し、「家に帰ってすぐに寝てください」と言いつけ、手を振って別れる。
そして、こっちも死にかけの水太郎を居間に引き入れ、畳の上に正座させる。
宿屋には、エアコンはあるにはあるが、オンボロで効きが悪い。ゆえに、暑さしのぎのために、ドアも窓も開けてある。
逃げようと思えば逃げれる環境であるが、水太郎には逃げ隠れをする気はないようだ。
「水太郎さん、本当の戦いはこれからです。水太郎さんが自白するまで決して取り調べは終わりませんので覚悟してください」
「探偵さん、僕は自白なんてしません。だって、僕は何もやっていませんから」
戦いの始まりを告げるゴングが鳴る。
【午後〇時十分〜硬直した展開の序盤戦〜】
「水太郎さん、あなたが金之助さんを殺し、日和さんも殺したんですね?」
「いいえ。両方やっていません」
【午後〇時三十分〜熱い駆け引き〜】
「水太郎さん、なぜ金之助さんを殺したの後に、日和さんも殺そうと思ったのですが?」
「探偵さん、誤導尋問です。そもそも僕は金之助さんを殺していません」
【午後一時〜取り調べの手法を変える〜】
「……探偵さん、そのキットは一体なんですか?」
「コックリさん、コックリさん、僕に教えてくださいな。金之助さんを殺し、日和さんも殺した犯人は一体だあれ」
――プルルルルルルルル
スマホの着信だ。架電してきたのは、ヴァンビネガー卿だった。
「菱川君は死にたがりなんだね」
「人をメンヘラみたいに言わないでください」
「それならば、『ヴァンダインの二十則』はちゃんと守りたまえ。八項目に『占いや心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない』とあるだろ?」
【午後一時二十分〜さらに熱い駆け引き〜】
「水太郎さん、もう観念してください。共犯者の火太郎さんはすでにもう自白してるんですよ」
「切り違え尋問やめてください」
【午後一時三十分〜思ったより早めに回復したワトスン君が合流〜】
「ワトスン君、もうお腹は痛くないのかい?」
「はい。大丈夫です。もう全部出し切りましたから」
「ワトスン君、今後は暴飲暴食はやめるように」
「分かりました」
「水太郎さんも、今後は殺人はやめてくださいね」
「僕は一度も殺してません」
【午後一時四十分〜ちょっと気分展開〜】
「心理テストです。水太郎さん、好きな女性とデートをするならば、海と山、どちらに行きますか?」
「さっきまで山の上で酷い目にあっていたので、海ですかね」
「海といえば海水浴。海水浴といえばサメ。サメといえばジョーズ。ジョーズといえば人殺しです。つまり、水太郎さんは、あなたは一方的に好意を抱いていた日和さんを……」
「さすがに強引過ぎません? あなた、本当に探偵ですか?」
【午後一時四十五分〜取り調べの手法をさらに変える〜】
「本当のことを話してください。水太郎さん、あなたは金之助さんと日和さんを殺しましたね?」
「殺してません」
「……え? 今、なんて言いましたか?」
「殺してません、と言いました」
「……え? また何か言いました?」
「だから、殺してませんって」
「……え? 全然聞こえないんですけど。もう一度言ってください」
「だから、殺してないんですって!!」
【午後二時〜もう一度気分転換〜】
「『苦労しました』と十回言ってください」
「苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました。苦労しました」
「水太郎さんは金之助さんと日和さんを?」
「殺し……てません」
【午後二時半〜もう疲れた〜】
「水太郎さん、僕、もう疲れました……」
「探偵さん、僕ももう疲れましたよ……」
「じゃあ、もう適当なところで手を打ちましょうか」
「そうですね」
「じゃあ、とりあえず、水太郎さんは金之助さんと日和さんを殺したということにしておきましょう」
「ダメです! どうしてそうなるんですか!?」
その時、水太郎のスマホに、火太郎からのLINEの通知が届いた。
その通知は、第三の事件の発生を告げるものだった――
第三の事件の被害者は、緑土作だった。
崖の上から落ち、岩場に頭を強打したのである。
そして、土作は、着ていた白いタキシードを真っ赤な血で染めた――
そう。土作は結婚式の最中だったのである。
もっとも、「結婚式」といっても、普通の挙式ではない。最近流行りの「フォトウェディング」の最中であった。
土作は、幸せの絶頂から、文字どおり「ドン底」へと突き落とされたのである。
当然、事が結婚ということであれば、同じく地獄へ突き落とされたパートナーがいる。
現場の崖に訪れるやいなや、純白のウエディングドレスを着た女性が、僕の方へ駆け寄って来た。
月華である。
「探偵さん、私の大事な彼が……」
月華が、手の込んだ化粧と整った顔をぐちゃぐちゃにしながら、縋るような目で僕を見る。
気の毒だと思う一方、心の中で冷ややかに笑っている自分がいる。
――コイツ、馬鹿か?
こんなに美人であるにもかかわらず、なぜ土作という無口で何も面白くない男と結婚したのか――
そして、なぜ殺人事件が立て続けに起こっていて縁起の悪いこのタイミングでウェディングを決行しようと思ったのか――
前者はさすがに訊きにくかったので、後者について試しに訊いてみると、
「彼は延期しようと言っていたのですが、今日は大安吉日なので、私がどうしても今日が良いって押し切ったんです」
と、迷いのない目で返してきた。女というのはつくづく分からない生き物である――
「月華さん、辛いとは思いますが、何があったのか、僕に教えてくれませんか?」
「……もちろんです。私と彼は、崖の上で、青い空と海を背にした最高のロケーションで、蕩けるような熱い熱い抱擁と、燃えるような熱い熱い接吻を……」
「ちょっと待ってください。そういう表現は要らないです。『抱き合ってキス』で良いです」
「……分かりました。午後二時二十分頃、私たちは抱き合ってキスをする場面の写真を撮ろうとしたのです。そうして、二人で崖の先端まで近付いていったところ、彼がふらっとよろめいて、彼の姿が突然消えて……」
「崖から落ちたんですね?」
「……そういうことです」
僕は「ちょっと待ってください」と言い残し、近くの茂みまで移動する。
そして、ヴァンビネガー卿に架電する。
「もしもし」
「菱川君、どうしたんだね?」
「念のために確認したいのですが、今回の事件にも『ヴァンダインの二十則』は適用されますか?」
「もちろん」
「……多分、事故死なのですが」
「それは許されないね。『ヴァンダインの二十則』の第十八項目に『事件の真相を事故死や自殺で片付けてはいけない』とあるからな」
「それは分かってます。分かってますけど、多分事故死なんです」
「菱川君、それが君の最期の言葉ということで良いのかい?」
「いいえ。良くないです。では、百歩譲って、今回の事件に犯人がいるとします。『ヴァンダインの二十則』の十二項目は適用されませんよね?」
「されるに決まってるだろ」
「『いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない』んですか?」
「もちろん」
「そんなの無理じゃないですか! だって、水太郎さんは、ここから二キロメートルも離れた宿屋でずっと僕の取り調べを受けていたんですよ!?」
「そうかもしれないな」
「取り調べの様子はヴァンビネガー卿もずっと見ていましたよね!?」
「ああ。もちろん」
「じゃあ、無理なことは分かってますよね!?」
「そこをなんとかするのが菱川君の腕前じゃないか」
「なんともなりませんよ!」
「菱川君の名推理楽しみにしているよ」
「ちょっと待っ……」
一方的に電話を切られてしまった。つくづく身勝手な男である。




