第二の事件の解決(後編)
水太郎の口から、僕も覚悟していた質問が飛んでくる。
「探偵さん、僕がトイレで取り調べ室を中座していた時間は、せいぜい十分程度ですよね? そのわずかな時間にどうやって、ここから五キロも離れた場所で日和を殺し、ここに戻って来れるんですか?」
今度は僕が黙り込む番だ。
全くもっておっしゃるとおりなのである。
片道五キロメートル――往復で十キロメートルであり、しかも山道である。普通の人であれば、走ったとしても一時間以上掛かるだろう。
たとえ水太郎が鋭い手刀の持ち主だとしても、わずか十分程度で往復することはできない。
しかも、犯行態様も、ナイフで一突きというわけではなく、日和はボコボコに殴打されているのだ。
どう考えても時間が足りない。
ただ、ここで諦めてはならない。
なんとかして、なんとかして犯行可能性をでっち上げるのだ――
――閃いた。
「……川ですよ」
「川?」
「はい。死体が発見された場所は川沿いです。そして、その川は、この山から伸びているのです。水太郎さんは、留置施設のそばにいた日和さんを鈍器で殴って殺害し、その死体を川に流して、下流まで運んだのです。日和さんの身体がボロボロだったのは、川に流されている最中に石などにぶつかったからでしょう」
題して「桃太郎式死体輸送法」である。日和の死体は、どんぶらこ〜どんぶらこ〜と川を流れていったのだ。
「探偵さん、そんなのメチャクチャです!」
「どこがメチャクチャなのですか? 具体的に指摘してください」
「それは……」と水太郎は言葉に詰まる。
それはそうだろう。メチャクチャなものは全体としてメチャクチャなのである。メチャクチャなもののメチャクチャな部分を言語化せよなんてメチャクチャな要望自体がメチャクチャなのだ。
それでも水太郎は、なんとか言葉を絞り出す。
「そもそもどうして日和さんが留置施設のそばにいるのですか?」
「偶然です」
「偶然? そんな馬鹿な。それならば、僕はなぜ鋭い手刀を繰り出してまで一旦留置施設の外に出たのですか? 日和さんに会うためじゃないんですか?」
「いいえ。長い取り調べを受けてるうちにイライラして、誰でも良いから女を襲いたくなったのでしょう。それで外に出たところ、たまたまそこに日和さんがいたのです。ゆえに日和さんを暴行しようとしたところ、抵抗され、揉み合いになり、殺してしまった、と」
「……先ほど写真を見せてもらいましたが、日和さんの死体は川沿いにあります。死体が川を流れたのだとすれば、死体は川の中にあるはずです。矛盾します」
「そうとも限りませんよ。水流によっては陸地に打ち上げられることもあり得ます」
「そんなメチャクチャな……そもそも、死体の服は濡れていないですよね? 死体が発見されたのは日和さんが死亡して二時間以内なのですから、服が乾く間などないはずです。矛盾します」
――この男、なかなか手強い。
僕はやむなく「あの概念」に頼ることとする。「ヴァンダインの二十則」の中でも解釈に困る「あの概念」を――
「水太郎さん、共犯ですよ」
「……え? 共犯?」
「はい。あなたの双子の兄である火太郎さんが共犯者なのです。火太郎さんは、事件の時間、アリバイがなく、それどころか、事件現場付近にいたことを自白しています。火太郎さんが川から死体を拾い上げ、かつ、偽装工作として死体の服を着替えさせたと考えれば矛盾はありません。火太郎さんへは、日和さんから奪ったスマホで連絡をしたのでしょう」
僕は、ドローンによる襲撃に備え、身構える。
……しかし、何も起きなかった。
どうやらセーフのようだ。
例の十二項目には「いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない」という忌々しき制約の後に、「端役の共犯者がいてもよい」という但し書きが付いている。
この「端役」という概念が曲者である。どこまでの関与が「端役」で、どこまでの関与を超えると「重要な役」になるのかの線引きが曖昧なのだ。
殺人の実行を担うような場合には明らかにアウトだろう。
ただ、死体に積極的に偽装工作を加える場合には、「端役」と言えるかどうか微妙である。
なるべく危ない橋は渡りたくはなかった。しかし、火太郎を共犯としない限り、せっかく思いついた「桃太郎式死体輸送法」を維持することができないのである。
――これで終わった。
僕は、水太郎を打ち負かすことに成功したのだ。
死人のように項垂れる水太郎を前にして、僕は高らかに勝利を宣言する。
「これで謎は全て解けました。水太郎さん、あなたの犯行が証明されたのです。潔く罪を……」
「認めません! やっぱり探偵さんの推理は矛盾しています!」
水太郎はまだ生きていた――
しかも、とっておきの切り札を温存していたのである。
それは――
「探偵さん、聞いた話によると、事件前後の時間、死体発見現場の上流で、木馬と土作が釣りをしていたそうじゃないですか。もしも死体が川を流れていたのであれば、二人が気付かないはずがありません」
……それはそう。僕もそう思う。
一瞬にして形勢は逆転してしまった。この状況で、足掻かなければならないのは僕の方だ。
「……ちょうどその時、ぼんやりと空を見上げていたとか」
「今日は風が強い日です。風が強いとアタリが分かりにくいですから、二人は常時釣竿に集中していたはずです」
「……逆に視野狭窄になっていたとか」
「死体が流れてるんですよ?」
「……巨大な魚と見間違えたのではないでしょうか」
「それ本気で言ってますか?」
「……分かりました! 木馬さんと土作さんも共犯なんです!」
「いい加減にしてください」
いけ好かない奴である。
そこまで冷たくあしらわなくても良いではないか。
僕だって、好きで「桃太郎式死体輸送法」を擁護してるわけではないのだから――
「探偵さん、これで僕の無実が証明されましたね。ついでに最初の事件の方も……」
「ちょっと待ってください!」
僕は、まあまあ大きな声を出した。
「ちょっと待ってって……探偵さん、まだ何か言いたいことがあるんですか?」
「あります」
「それは何ですか?」
「僕はさっき言いました。『ちょっと待ってください』と」
「今から考えるんですか?」
「だから、ちょっと待ってくださいって言ってるでしょ!」
我ながら見苦しい逆ギレであるが、今さら体裁なんてもうどうでも良い。
なんとかして水太郎を論破するのだ。論破。論破。論破。
水太郎の発言を思い出せ。揚げ足取りでも良いのだ。どこかに弱点がないかを探すのだ――
今日は風が強い日で、二人は常時釣竿を見ていた……
……そうか! ここだ! ここを逆手に利用すれば――
「水太郎さん、ありがとうございます」
「はい?」
敵から突然感謝され、水太郎は豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をする。
「水太郎さんが与えてくれたヒントのおかげで、水太郎さんが実際に使ったトリックが何なのか分かりました」
「僕が実際に使ったトリック?」
「つまり、『桃太郎式死体輸送法』は、捜査の目を欺くためのフェイクだったのです」
探偵が堂々とマッチポンプをしたことに、水太郎と二人の警察官が目を見張る。そんな反応を気にしていたら、探偵など務まらない。僕は、さらに堂々と風呂敷を広げる。
「水太郎さんが実際に使ったトリック。それは――『イカロス式死体輸送法』です」
しばしの静寂の後、水太郎がゆっくりと口を開く。
「……イカロス? ギリシャ神話ですか?」
「はい。そうです。水太郎さんは、留置施設のそばで日和さんをレイプしようとし、抵抗されたので半殺しにしました。そして、ほとんど抵抗ができない状態の日和さんを、パラグライダーに縛り付けたのです」
「……パラグライダー? なぜそこにパラグライダーがあるのですか?」
「日和さんのものです。日和さんはパラグライダーをするために山の頂上に来ていたのです」
「日和さんのそんな趣味、僕は聞いたことないです」
「日和さんはまだ初心者だったので、みんなには秘密にしていたのでしょう。上手く飛べるようになってから、みんなに報告するつもりだったのです」
どんな荒唐無稽な話でも、堂々とドヤ顔で話せばそれっぽく聞こえるというのが、僕にとって大事なライフハックである。
「話を続けます。水太郎さんは、パラグライダーに無理やり縛りつけた日和さんを、無理やり空に飛ばします。日和さんはパラグライダー初心者であり、かつ、水太郎さんに殴打されて満身創痍でした。ゆえに、上手く着地などできるはずがありません。約五キロメートル先の平地に落下して、身体を強打し、命を落としたのです」
命懸けの無謀な飛行――まさにイカロスである。イカロスが灼熱の太陽に向かって飛んだのと同様、日和も死へと向かって飛んで行ったのだ。
「そして、火太郎さんが共犯であることは『桃太郎式死体輸送法』の場合と同じです。火太郎さんがパラグライダーを片付けた上で、『桃太郎式死体輸送法』が使われたと見せかけるために、わざわざ死体を川沿いに置き直したのです」
「そんなのメチャクチャです! 日和が五キロも飛べるわけありません!」
「パラグライダーでの最長飛行記録は四百キロです」
「しかし、日和は死にかけだったんですよね?」
「水太郎さん自身が先ほど言っていたじゃないですか。今日は風が強い日だ、と。今日は絶好のパラグライダー日和です。日和さんは風に乗って遠くまで飛べたのです」
「……百歩譲って飛べたとしても、付近で釣りをしてた木馬や土作がパラグライダーを目撃していないのはオカシイですよね?」
「これも先ほど水太郎さん自身が言っていました。風が強いとアタリが分かりにくいから、二人は常時釣竿に集中していたはずだと」
「いや、とはいえ、たまにはぼんやりと空を見上げることだってあるはずです」
「だとすると、『桃太郎式死体輸送法』が成立しますが、それでよろしいですか? 僕としてはどちらか一方が成立すれば良いのですが」
「クソ!」と水太郎が悪態を吐く。
水路と空路のいずれも握られてしまっているのだ。水太郎にはもうなす術はない――
「今度こそ事件解決です。水太郎さん、あなたは金之助さんを殺した上で、さらに日和さんも殺したのです」
「……いや、違います……僕は何も……」
「往生際が悪いことはよく分かりました。ここの警察署の方は、あまり取り調べが上手ではないようなので、僕が代わりに水太郎さんの取り調べを担当しましょう。水太郎さん、僕の宿まで来てください。絶対に自白させてあげますから」




