第二の事件の解決(前編)
留置施設は、高い山の頂上にあった。
日和の死体があった現場からは、五キロメートルほど離れている。
日本だと大抵そうなのだが、留置施設は、警察署の役割も兼ねている。
ここも例外でなく、僕は、まず警察署の受付に行き、水太郎と、事件のあった時刻頃に水太郎と一緒にいたという警察官二人を呼びつけた。
「探偵さん、僕はやっていません! 日和殺しも、金之助殺しも!」
ガタイの良い警察官二人に挟まれて座った水太郎が、面談室に現れた僕の顔を見るやいなや、吠える。
「探偵さん、この男は金之助さんを殺したとは思います。ただ、さすがに日和さんを殺したと考えるのにはムチャが……」
警察官のうち、背の高い方が言う。受付で聞いたところによると、名前は緑公大というらしい。
「公大警察官の言うとおりであります。この男は金之助殺しの罪人ですが、日和殺しには別の罪人がいるはずであります」
警察官のうち、背の低い方の名前は緑僕之というとのことだ。
「探偵さん、警察官二人の今の話は聞きましたよね? 僕は日和を殺していません! そして、警察組織は、僕を金之助殺しの犯人だと決めつけ、強引な取り調べをしているんです!」
正直、今の僕にとっては、水太郎が実際何をしたかという真相など、どうでも良かった。
いかにして「ヴァンダインの二十則」に忠実な「真相」を作り出すのか――それだけが僕の関心事である。
「水太郎さん、日和殺しのアリバイについて質問したいのですが、今日の朝七時頃は何をしていましたか?」
「何をしてたって、留置施設で、ここにいる警察官二人から取り調べを受けてましたよ。昨晩から徹夜でずっとです。先ほども言ったとおり、警察は僕に対して強引な取り調べをしているんです!」
僕は、「本当ですか?」と警察官二人に確認する。
「取り調べをしていたのはそのとおりであります」
「強引な取り調べではなく、紳士的な取り調べでしたが」
厄介なことに、鉄壁のアリバイである。
この鉄壁のアリバイを崩すためには――
「水太郎さん、取り調べを受けていたのは本当に水太郎さんですか?」
「……え?」
「取り調べを受けていたのはもしかして水太郎さんではなく……」
ここまで言って、僕は、ハッと口を押さえる。
マズい――ヴァンビネガー卿に殺されるところだった。
警察署の面談室に、ドローンの影はない。しかし、必ずこの部屋のどこかに透明なドローンが、プロペラ音も一切立てずに飛んでいるのだ――
僕が水太郎に言いかけたこと、それは「取り調べを受けていたのは水太郎さんではなく、火太郎さんではないか?」というものである。
しかし、この真相は「ヴァンダインの二十則」のうち、なんと二つのルールに反してしまう。
ともに二十項目が禁止している「双子の替え玉トリック」、そして、「替え玉によるアリバイ工作」となるのである。
事件関係者として双子が出てきた時点で注意しようと思ってはいたのだが、鉄壁のアリバイを前にした極限状態において、一瞬だけ頭から抜けてしまっていた。危ない危ない。
――別の抜け穴を探すほかないのである。
「水太郎さん、『ずっと取り調べを受けていた』と言いましたが、本当に『ずっと』ですか? 休憩くらいあったのではないですか?」
「休憩なんてありませんでした。文字どおり『ずっと』です」
「でも、途中でトイレには行きましたよね?」
「それは……」
水太郎が口籠る。
ここは突きどころかもしれない――
「朝七時頃か八時頃のどこかのタイミングでトイレに行ったのではないですか?」
「……まあ、行きましたけど……」
「そして、それは『小』ではなく、『大』だったのではないですか?」
「……まあ、そうですけど……」
キタコレ! ここから攻め崩すしかない――
「水太郎さん、あなたは、トイレで取り調べを中座している最中に、日和さんを殺したのです」
「待ってください」と僕を制止したのは、公大だった。
「たしかに取り調べ中にトイレ休憩はありましたが、トイレには必ず警察官が付き添っています」
「どなたが付き添ったんですか?」
「はい」と手を挙げたのは、僕之の方である。
「当職が一人で付き添ったであります」
「トイレの個室の中まで付き添ったんですか?」
「さすがに個室の中までは入らないであります。ただ、被疑者が便器で踏ん張っている間、当職は個室の前でずっと見張っていたであります」
実はその個室の中に秘密の抜け穴が……というでっち上げは、個室を調べられてしまえば終わりである。
何か方法がないかと僕は頭をフル回転させる――
「僕之さん、本当にずっと見張っていましたか?」
「はい」
「一瞬たりとも目を離していないと断言できますか?」
「……まあ、『一瞬たりとも』とか言われるとアレですけど……」
「僕之さんは、水太郎さんを徹夜で取り調べていたんですよね? 睡魔に襲われるようなことはありませんでしたか? 僕が見る限り、今も完全に目が開き切っているわけではなさそうですが」
「……いや、まあ、そりゃ、多少は眠くなったり、少しクラっとするようなことはありましたよ。ただ、そんなのせいぜい数秒のことであります」
この男が馬鹿正直で助かった。
これで言質としては十分だろう。
「水太郎さんの手口はこうです。トイレの中で、水太郎さんは、僕之さんの後頭部と首の付け根あたりを狙って、鋭い手刀を繰り出しました」
鋭い手刀――強烈なパワーワードに場が騒然とする。僕はそれを意に介さずに説明を続ける。
「そして、僕之さんが意識を失っている間に、水太郎さんは、僕之さんの着ている制服を脱がせて、それを自分が着ることで警察官に変装しました。こうすることで、留置施設の廊下を堂々と歩き、外に出ることに成功したのです」
水太郎もガタイはそれなりである。制服を着れば、警察官に化けることは可能である。
「そして、犯行を済ませ、再び留置施設に戻ってきた水太郎さんは、僕之さんに制服を着せ、僕之さんの体を持ち上げ、無理やり立たせました。その状態で、僕之さんが目を覚ますのを待ったのです。そして、僕之さんが目を覚ましたのち、何事もなかったかのように個室に入り、スピーディーに『大』を済ませたことにし、取り調べへと戻ったのでしょう」
僕の推理を聞き終えた後、水太郎は、躍起になって粗探しをする。
「探偵さん、待ってください。いくらなんでもメチャクチャ過ぎます。鋭い手刀? そんな離れ業は僕にはできませんから!」
「できないフリをしているだけで、本当はできます」
「本当にできませんから!」
「水太郎さん、そこまで言うなら証明してください。鋭い手刀ができないことを」
クッと水太郎が唇を噛む。
自らが鋭い手刀を繰り出せないことを証明することは、魔女裁判で自分が魔法を使えないことを証明するのと同様の、典型的な悪魔の証明なのだ。
水太郎がいくらへなちょこな手刀を実演したとしても、わざと手を抜いていると言われてしまえばそれまでである。
「……分かりました。僕が鋭い手刀を使えるかどうかは一旦おいておきましょう。だとしても、探偵さんの推理だと、僕之さんが一時的に気を失っていたことになりますよね?」
「ええ。もちろん」
水太郎は、隣にいる僕之に問い掛ける。
「僕之さん、気を失っていたなんてことありませんよね?」
「はい。記憶にないであります」
もちろん僕之はそう答えるだろう。そんなことは分かりきっている。しかし――
「記憶にない……そんなの当たり前じゃないですか。後頭部と首の付け根に繰り出される鋭い手刀を見ることはできませんし、気を失っている間には意識がないんですから」
「そんな屁理屈を……とはいえ、探偵さん、気を失っている間には記憶はないとしても、気を失っていたということ自体の記憶は残りますよね?」
「いいえ」
僕はハッキリと首を横に振る。
「……つまり、探偵さんは、気を失った人物は、気を失ったことの認識すら残らないと言いたいのですか?」
「認識が残る場合もあれば、残らない場合もあります。気を失ったことの認識が残る場合というのは、気を失った前後で明らかに状況が異なっている場合です。先ほどまで校庭で校長の退屈な話を聞いていたはずなのに、気付くと保健室のベッドにいた、などシチュエーションの変化が明らかな場合なのです。そうでなく、気を失う前も気を失った後も自分の周りの状況が変わらなければ、気を失ったことを認識することはできません」
僕は矢継ぎ早に続ける。
「僕之さんの場合には、気を失う前は水太郎さんと一緒にトイレで立っていて、意識を取り戻した時にも水太郎さんと同じ場所に立っていたのです。自らが気を失っていたことに気付く契機はありません。先ほど僕之さんが話していたとおり、僕之さんは徹夜明けで、クラっと数秒間意識が飛ぶこともあったようですから、それが実は数分間や十数分間だったとしても、僕之さんの中では『数秒間』だという解釈になるのです。皆さんも経験ありますよね。授業中にどうしても眠くなってしまい、睡魔に身を委ねてしまったとき、果たして自分が寝ていたのは十秒間なのか十分間なのか三十分間なのかというのは、黒板を見て授業の進捗を確認するか、時計を見て時刻を確認するかしなければ分からないのです。それと同じ現象ですよ」
ここまでの説明を、ほぼ息継ぎなしでできるというのは、我ながら詐欺師向きだと思う。
「探偵さん、僕之さんは手刀された時に痛みは感じるはずですよね?」
「手刀と同時に意識を失ってるので、痛みを感じる間もありません」
「探偵さん、腫れはどうするんですか? 手刀された部分には腫れが残りますよね?」
「いいえ。水太郎さんは、腫れた部分をすぐに冷やしたのです。場所はトイレですから、流水で冷やすことができるでしょう」
全てが詭弁である。
もっとも、詭弁であっても、ここまで開き直られてしまうと、崩すのは難しい。何を言っても詭弁で打ち返されてしまう相手を論敵とすると、ただただ辟易して、何も言い返す気がなくなってしまうからだ。
案の定、水太郎は黙り込んでしまった。
手刀の点については諦めたようである。
――しかし、水太郎は、僕の推理が何かを説明しているようでいて何も説明していないことに気付いていた。




