第二の事件
それは、翌朝のことだった。
僕が見事な推理によって水太郎を検挙した日の翌朝のことである。
これで厄介な仕事も片付いたし、高額報酬にもありつける、と良い気になってガバガバ酒を飲んだ日の翌朝のことである。
こんな気味の悪い集落からはさっさとトンズラしようと、せっせと帰りの荷物をまとめていた、まさにその朝のことである。
集落で、次なる事件が起きてしまった。
事件の報せを僕にもたらしたのは、ヴァンビネガー卿のLINEである。
報酬の支払い方法に関する僕の問い合わせはいつまでも未読スルーだったのに、自分の関心領域の連絡は一方的に寄越してきたのだ。やはり金持ちとは傲慢である……いや、金持ち関係なく、これはよくやりがちだな。
LINEの中身はシンプルだった。
「菱川君、次の事件が起きた。もう一度君の腕前を見たい。『ヴァンダインの二十則』に則った君の腕前を」
ヴァンビネガー卿は、ニューヨークの巨大マフィアの首領という顔も持つ。そんな闇の人間に対して、「え? 僕が依頼を受けたのは金之助さんの事件だけですが……」などとトボけたことを言えるはずがない。
「菱川さん、死体があるのはこっちです!」
事件現場付近では、渡戸が僕を待っていた。
今回の事件現場は、前回と打って変わって、屋外だ。自然あふれる平地であり、解放的な空間である。
平地には、強い風が吹き込んでいる。
僕は、お気に入りのハンチング帽が風で飛ばされないように押さえながら、細い目をして渡戸のことを見る。
そういえば、渡戸にはヴァンビネガー卿からのムチャブリについて未だ説明をしていない。
また邪魔をされると厄介なので、しばらくの間、大人しくしていてもらおうか。
「ワトスン君、少し小腹が空かないかい?――」
「菱川さん、お待ちしておりました……あれ? 渡戸さんは一緒じゃないんですか?」
「ワトスン君は、昨夜飲み食いし過ぎてお腹を壊してしまい、宿のトイレから出られないそうで……」
「本当ですか?」
月華が僕を見る目には、明らかに猜疑心が含まれている。
隙を見て、この女にも、探偵七つ道具のうちの一つ、「トイレとお友達になれる特製下剤」をお見舞いした方が良いかもしれない――
「そんなことより、月華さん、死体はどちらですか?」
「そこにあります」
月華が指差す方に――川沿いに、たしかに死体はあった。
死体の顔には見覚えがある。
凡庸な顔の女性――日和が殺されたのだ。
「死体の損傷が酷いですね……ボコボコに殴られたといったところでしょうか。犯人は日和さんに……」
「相当恨みのある人物だと思います」
「損傷の中に、まだ血が固まり切っていない、明らかに新しい傷がありますね。とすると、死亡推定時刻は……」
「今から二時間以内くらいでしょう」
おい! 月華、さっきから探偵の台詞を横取りするな!
この女は、絶対に将来の探偵デビューを狙っている。
今のうちにスキャンダルを調べておき、弱みを握っておくべきかもしれない――
「それはさておき、今、この場所にいるのは……」
「昨日、金之助さんの小屋にいたメンバーと同じです。ただし、水太郎さんは勾留中で留置施設にいて、日和さんはここにはいますが、変わり果てた姿となっています」
たしかに死体の周りに野次馬のように群がっている連中は、昨日見た顔ばかりである。
僕は、えへんと咳払いをする。
「さて、今回の事件は、前回の事件と違い、『雪の密室』などといった込み入った舞台装置はありません。誰でも犯行が可能な状況です。もっとも、死亡推定時刻は、かなり限られています。ゆえに、アリバイから犯人候補を絞れるかもしれません。今は朝の九時頃です。朝の七時頃から今ここに来るまでの間、皆さんは何をしていましたか? まず、月華さん」
「ここから二キロメートル離れたところにある実家のパン屋を手伝っていました」
だとすると、家族だけでなく、不特定多数の利用客にも目撃されているだろう。アリバイは成立する。
「次、木馬さん」
「ここから二キロメートルくらい離れた川の上流で釣りをしてた」
これは怪しい。一人で釣りをしていたということは、アリバイは成立しない。
日和は、取り巻きの男性たちの間でトラブルを抱えてそうだから、木馬は犯人候補だろう。
「次、土作さん」
「…………」
土作は何も答えない。そういえば、昨日もこの男の声は一言も聞いていない。無口な男なのだ。
土作に代わって僕の質問に答えたのは、木馬だった。
「土作も俺と一緒にいたぜ。二人で釣りをしていたんだ」
「土作さん、本当ですか?」
僕が確認すると、土作は、やはり何も喋らなかったが、ゆっくりと頷きはした。
すると、土作にはアリバイが成立し、木馬に関しても、前言撤回でアリバイ成立である。
「最後に、火太郎さんは何をしてましたか?」
「事件現場付近を散歩していました」
ふぅ、と僕はゆっくりと息を吐き出す。
そして、言う。
「早速犯人が分かりました。日和さんを殺した犯人は、緑火太ろ……」
その時、僕のポケットが振動した。
スマホの着信である。
振動はなかなか鳴り止まない。電話のようだ。
探偵にとっても最も重要なシーンである犯人を指弾するシーンを邪魔するとは、一体何様のつもりだろうか。
僕は、「ちょっと失礼」と言い、事件関係者から離れると、しつこく鳴り続けているスマホの画面を確認する。
発信者は「ヴァンビネガー卿」だった。
僕は、渋々、電話に出る。
「もしもし。菱川あいずです」
「菱川君、死にたいのかい?」
「え? どういう意味ですか?」
「君は今まさに『ヴァンダインの二十則』を破ろうとしていたではないか。だから尋ねたんだ。『死にたいのかい?』と」
たしかに僕は、ヴァンビネガー卿から、「『ヴァンダインの二十則』を守って推理せよ」という依頼は受けている。他方、「『ヴァンダインの二十則』を破ったら即死」というルールのデスゲームに参加させられた覚えはない。
それはさておき――
「ヴァンビネガー卿、僕の推理をどこかで聞いてるんですか? まさか盗聴器でもあるんですか?」
「盗聴器なんて古い道具は使っていない」
「じゃあ、何を使ってるんですか?」
「最新のドローンだよ」
僕は上空を見上げる。
雲一つない空だし、ドローン一台ない空である。
「どこにドローンがあるんですか?」
「菱川君、最新鋭の技術を舐めてもらっては困るよ。ステルス性能を持ったドローンなんだ」
「ステルス性能というのは、敵のレーダーに捉えられないように、機体がデコボコしてるという意味じゃ……」
「だから、最新鋭の技術を舐めるなと言ってるだろ。私が使っているドローンは、マジックミラーを駆使した『透明ドローン』なんだ」
なるほど。どおりで見つけられないわけである。
「もしかして、金之助さんの事件の時も、その『透明ドローン』で僕を見張ってたんですか?」
「もちろんだ」
金之助の事件現場は、狭い小屋の中である。その中にいて、探偵に存在を気付かれないとは、恐ろしきステルス性能である。
「あの時の菱川君の推理は見事だったよ」
「ありがとうございます」
「ただ、今日の菱川君は、あまりにも体たらくではないか?」
「え? そうですか? 自分では冴えてると思いますけど。超スピード解決じゃないですか。現場に到着してまだ数分しか経ってないんですよ」
「菱川君は、最速推理のギネス記録でも狙ってるのかい?」
「あわよくば」
「そんな邪心は捨てろ。今、菱川君が集中すべきなのは『ヴァンダインの二十則』をどう守るか、だ」
「しかし、ヴァンビネガー卿、今回の日和殺しの犯人は、誰がどう見ても火太郎じゃないですか。火太郎にはアリバイがないですし、動機もバッチリです。ヴァンビネガー卿も昨日ドローンで見たでしょう? 火太郎と日和の痴話喧嘩を」
日和が火太郎の名前を間違えた挙句、火太郎はただのATMだ、という心の声を漏らしてしまっていたあの一件である。
二人はあの後「話し合う」と言っていた。その話し合いが拗れて、火太郎が日和をボコボコにしたのだろう。
「『ヴァンダインの二十則』の十九項目にもありますよね。『犯罪の動機は個人的なものが良い』って」
「かといって、まさか、菱川君、『ヴァンダインの二十則』の十二項目を忘れたわけではないだろうね?」
やはりそれを指摘してくるか。
もちろん、その項目の存在を忘れたわけではない。
しかし――
「ヴァンビネガー卿、お言葉ですが、さすがにムチャブリが過ぎます!」
――「ヴァンダインの二十則」の十二項目、それは「いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい」というものである。
「ここで十二項目を守らなければいけないとすると、この事件の犯人も水太郎じゃないといけないことになるじゃないですか!」
「そのとおりだ」と、電話口のヴァンビネガー卿は、平坦な声で答える。
「そんなの無理です! だって、水太郎は、最初の事件での容疑で勾留中なんですから! 勾留されながら殺人ができるわけないじゃないですか!」
「なかなか面白いシチュエーションじゃないか。菱川君も腕が鳴るだろう?」
「馬鹿なこと言わないでください! あなた、馬鹿なんですか?」
「菱川君、言葉遣いには気を付けたまえ。今度、エレガントでない言葉を私に使った場合には、その瞬間、君の首が飛ぶぞ」
おそらく比喩や冗談ではない。
ヴァンビネガー卿は、「透明ドローン」とやらを使い、いつでも僕を殺すことができるのだ。僕の生殺与奪の権は、世界一悪趣味な男に握られているのである。
「菱川君、あまり私を舐めない方が良い。私の闇の顔は知っているんだろう?」
「もちろん。知ってます。ニューヨークの五大マフィアのうち、二つのマフィアの首領をやっているんですよね?」
「二つではない。三つだ」
そう言い残し、ヴァンビネガーは電話を切った。
ニューヨーク五大マフィアのうち、過半数の首領を務めているということは、仮に五大マフィアで会談を行った際には、最終的な意思決定権がヴァンビネガー卿にあるということにならないか。やはり絶対に敵に回してはならない男である――
僕は、犯人の名を「みどりかたろ」まで指摘した探偵が、最後の「う」を言うのを待っている人々の前に立つ。
そして、言う。
「今から留置施設に行ってきます」と。




