第一の事件の解決
僕はいよいよ困り果ててしまった。
水太郎を追い詰められる証拠が一つもないのである。
実際にはたくさんあるのだが、ヴァンダインが認めている証拠は一つもないのだ。
かといって、このまま事件を自殺として処理するわけにはいかない。
真犯人が分かっていながら、それを見逃すことは、探偵としての職業倫理に反する。
それだけでなく、「ヴァンダインの二十則」にも反する。
「ヴァンダインの二十則」の十八項目――「事件の真相を事故死や自殺で片付けてはいけない」。
僕は、なんとかして水太郎が犯人であることを証明しなければならないのだ。
何か手はないかと、改めて資料を見返していた時、ある資料が目に止まった。
木馬が撮影していた現場写真である。
あることに閃いた僕は、高らかに宣言する。
「犯人が分かりました」
「え!?」
僕の突然の宣言に、事件関係者が一斉に感嘆の声を上げる。その中には、犯人である水太郎の白々しい声も含まれている。
「この事件はやはり他殺だったのです。皆さん、この現場写真を見てください」
「……この現場写真から一体何が分かるんですか? 何の変哲もない、ありふれた自殺の現場ではないでしょうか?」
またもや火太郎が見事なモブキャラ発言をする。渡戸を解雇して、この男を新たなワトスン役に据えようか本気で悩む。
「何の変哲もない……本当にそうでしょうか? 被害者の格好が不自然ではないでしょうか」
「……いや、まあ、たしかに単純なうつ伏せや仰向けではないとは思いますが、探偵さん、被害者の格好がどうかしたんですか?」
「火太郎さん、これは被害者のダイイングメッセージなんですよ。被害者は、死に際に人文字を作ることで、犯人を告発しようとしたのです」
「え!?」
人文字によるダイイングメッセージ――そんなダサいダイイングメッセージの残し方があるだなんて、この場にいる誰もが想像だにしなかっただろう。
「金之助さんがそんな無様なことをしてまで犯人を指摘したかっただなんて、探偵さん、本当ですか?」
月華の問いかけに、「本当な訳ないだろ! 僕が今適当に思いついたでっち上げに決まってるだろ!」とマジレスしたい気持ちをグッと堪えて、僕は「本当です」と神妙な面持ちで答える。
「金之助のポーズはアルファベットの『K』に見えるわね……ということは、イニシャルが『K』の人物が犯人ということかしら? でも、この集落に住む人の姓はみんな『緑』で、イニシャルは『M』だから」
「日和さん、名字じゃなくて下の名前なんじゃないか?」
木馬が冷静にツッコむ。
「なるほど。木馬の言うとおりね。だとすると、下の名前が『K』から始まるのは……金之助ね。やっぱり自殺ね」
「そんなわけないだろ」
またもや木馬が冷静にツッコむ。僕は、よくもまあ冷静でいられるなと感心する。この馬鹿女を張り倒してしまいたくはならないのだろうか――
「日和さん、この場に、イニシャル『K』から始まる人物がもう一人いるだろう?」
「え? いるかしら? 木馬でしょ、水太郎でしょ、土作でしょ、火太郎でしょ、それから……」
「あの、日和さん、僕の名前は火太郎じゃなく、火太郎です」
場が凍りつく。
ハッと日和が口を押さえる。
「ごめん! 火太郎! 本当にごめん! 私、ついうっかりしてて……その、火太郎のこと、ただのATMなんて思ってはなくて、ATMだから名前なんてどうで良いとか思ってたわけじゃなくて、そういう意味じゃなくて、本当についうっかりしてて……」
「分かりました。日和さんにとって、僕はただのATMだったんですね」
「違うの! 本当に違うの! ごめん! 火太郎、ちゃんと今度埋め合わせをするから!」
「……分かりました。その時にちゃんと話し合いましょう」
「ええ」
これで一件落着……というわけには、当然いかない。
「おい、日和、待ってくれ。火太郎の読みが『ひたろう』なのか『かたろう』なのかは、男女の仲に亀裂が走るかどうかの話にとどまらないだろ? 火太郎のイニシャルが『K』だということは……」
木馬の丁寧過ぎるアシストで、さすがの馬鹿女も事態に気付いたようだ。
「……まさか金之助を殺した犯人は、火太郎だということかしら?」
木馬が深く頷く。
火太郎も、日和同様の馬鹿なので、この期に及んでようやく慌てふためく。
「違います! 僕は、そんな、人殺しなんてやってません!」
「黙れ! 人殺し!」
「うぐっ……やめろ! 水太郎! 僕らは双子の兄弟じゃないか!」
「人殺しと血を分けた覚えなんてない!」
同じ顔の二人が揉み合って、最終的に、木馬と土作の加勢を得た水太郎が、火太郎を取り押さえた。
水太郎らに馬乗りにされ、床に顔を打ちつけながら、火太郎が喚く。
「違う! みんな、待ってくれ! 勘違いだ! 僕は何もやってない!」
先ほどの日和と火太郎のやりとり同様、こちらも完全な茶番である。
こちらの方は面白い茶番だったので思わず見入ってしまったが、そろそろ無辜の者を救済するとしよう。
「皆さん、落ち着いてください。火太郎さんは犯人ではありません」
「え!?」
男たちの動きがフリーズする。火太郎の首を絞めていた水太郎の手も止まる。
「僕は、被害者が人文字をでダイイングメッセージを残したとは言いましたが、その人文字が『K』だとは一言も言っていません」
こいつらは探偵の説明は最後まで聞け、と学校で習わなかったのだろうか。この集落の教育水準を疑ってしまう。
「……え、でも、金之助さんのポーズは完全に『K』だよな?」
「木馬さん、それはあまりにも片面的な見方です。あなたはカメラが好きなんですよね? モデルのポーズだけを考えて写真を撮りますか?」
「そのモデルが可愛くて、被写体単体で映える子だったら、単焦点レンズでバシバシ接写するんで、ポーズと表情だけ考えますね」
「…………」
「…………」
「そういう被写体じゃなければ?」
「撮影場所も考えます」
「そのとおりです。死体のポーズだけを見ていてはダメなのです。死体のある場所を見てください」
「木馬さん、何か気付きませんか?」
「小屋の端の方にいますね」
……ダメだ。この変態カメラマンは全然使えない。
「ああっ」と声を上げたのは、月華だった。
「姿見ですね! このダイイングメッセージは、金之助さんのそばにある鏡と合わせて解釈するということですか!」
「そのとおりです」
この子はなかなかに冴えている。探偵の素質があるかもしれない。「美少女探偵」としてSNSでバズり散らかしたら厄介なので、今のうちに潰しておいた方が良いかもしれない――探偵業界は、限られたパイの奪い合いなのだ。
「被害者の死体は、鏡とほぼ接した位置で倒れているのです。床に落ちている被害者の死体と、鏡に映った死体を合わせて見てみると……」
「分かりますか? 漢字の『水』になるのです! つまり、犯人は――緑水太郎さん、あなたです!」
僕は、ドヤ顔で水太郎を指差す。
ここまで長い道のりだった。
ダイイングメッセージの下りは我ながら牽強付会である。
とはいえ、水太郎が犯人だということは揺るがない事実なのだから、問題はないだろう。
推理というものはパフォーマンスでもなければ、それ自体が美学の対象になるべきものではない。
推理自体は目的ではない。推理とは、犯人を適正に処罰するための、単なる手段に過ぎないのである。




