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ヴァンダインの二十則

「ヴァンビネガー卿、こちらが報告書になります」


 菱川ひしかわあいず――僕は、地に片膝をつきながら、それっぽい藁半紙をそれっぽい紐で結いた紙の束を、ファカラー・ヴァンビネガー卿に差し出す。



 僕を屋敷に招いて以来、常に機嫌良さそうに頬を緩ませていたヴァンビネガー卿は、この日はじめて驚いた表情を見せる。



「菱川君……これは何だね?」


「今しがた申し上げたように、報告書です」


「何の報告書だ?」


「もちろん、今回僕が解決した事件の報告書です」


 今日、僕がこの屋敷に招かれたのは、僕が、ヴァンビネガー卿より依頼のあった殺人事件を解決したからである。

 僕は、僕の探偵人生で最も「曲者」であったその事件の解決金として、年末ジャンボ宝くじの一等当選金並みの報酬をもらった。

 それに加えて、ヴァンビネガー卿は、僕を労いたいと言い、自らの屋敷に招いたのである。



 事件終結後、探偵が依頼主に事件報告を行うことは、コンビニでパンを買うときにお金を払うことと同じくらいに当たり前のことだ。


 しかし、ヴァンビネガー卿は、今回の事件で、僕に多額の報酬を払いつつも、僕からの事件報告は求めていなかった。


 なぜなら――



「菱川君、私は、君が推理する様子をドローンでずっと観覧していたのだよ。君の活躍は余すことなく見させてもらっている。ゆえに、今更報告書なんて必要ない」


 「観覧」……「監視」の間違いではないか、と僕は心の中で毒付きつつも、恭しくヴァンビネガー卿に頭を下げ続ける。



「たしかにヴァンビネガー卿は、常にドローンでご観覧されていました。そのことは僕も知っています。しかし、ドローンでは、僕の心の中までは見えないでしょう? 僕が作ったこの報告書は、まるで小説のように、僕の心の動きをそのまま綴っています。ドローンで見るのとはまるっきり違った角度から事件を見ることで、また違った興があることでしょう」


 ヴァンビネガー卿は、「なるほどな」と繰り返し頷いている。すでに全てを喰らい尽くした大金持ちが求めるものといえば、興くらいだろう。



「それに、最後の事件での僕の推理について、ヴァンビネガー卿はイマイチ納得されていないようでした。この報告書を読めば、最後の事件での僕の推理の内容がちゃんと理解できるはずです」


 先ほどの晩餐会の席でも、最後の事件が話題になった際、ヴァンビネガー卿は首を傾げていたのである。

 最後の事件での僕の推理に対する「疑義」を理由として、報酬返還を求めるような発想はヴァンビネガー卿にはないようだが、探偵である僕としては、まさか虚構の「真相」の上に胡座をかくわけにはいかない。

 


「菱川君、分かったよ。やはり君は興が分かる面白い男だ。君の書いた報告書とやらに目を通してやることとしよう」


「ありがたき幸せです」


 僕は、額が床につくほどに深くお辞儀をする。



「なお、報告書では、ヴァンビネガー卿に素直に全てを打ち明けることこそ、卿に尽くすべき最大限の礼節であるという信念のもと、当時僕が思っていたことや感じていたことを赤裸々に綴っております。中にはヴァンビネガー卿が不快になり、お怒りになられるような記述もあるでしょう。しかし、それも先述の信念ゆえで、僕には悪気はありませんので、どうかご容赦いただくようお願いします」


「ふむ」




……………


みどり殺人事件 報告書(文責 菱川あいず)



 世界一悪趣味な男――ファカラー・ヴァンビネガー卿から突然届いたLINEに、菱川あいず――僕は震撼した。


 ヴァンビネガー卿と初めて出会ったのは、探偵小説好きが集まるある会合だった。


 探偵小説好きという、ただでさえ好事家ばかりが集まる場の中でも、ヴァンビネガー卿の悪趣味さは群を抜いて際立っていた。


 ヴァンビネガー卿は、会合に犬を連れていた。

 屋内での会合なのに、堂々と大型犬――セントバーナードである――を連れて来ていたことは、僕にとって衝撃的だった。


 しかし、その犬の名前を尋ねたとき、さらに衝撃的な一言が返ってきた。



「ヴァンダインです」



――そう。ヴァンビネガー卿は、飼い犬にその名を付けてしまうくらいに、酔狂なヴァンダインのファンだったのである(なお、ヴァンビネガー卿は極めて横柄な人物であるが、さすがに初対面の場では敬語を使っていた)。


 ヴァンダインとは、二十世紀前半に活躍したアメリカの推理小説家である。


 ヴァンダインの作風の特徴は、彼が美術評論家の顔も兼ね持っていることに象徴されるように、厳しい審美感だ。


 ヴァンダインの書いた探偵小説は、良く言えば緻密、悪く言えば神経質である。


 代表作である「グリーン殺人事件」では、犯罪の証跡がなんと二百近くも挙げられている。僕が趣味で書いている小説では、探偵役は、二つか三つの手がかりをゴリ押しして犯人当てをしているというのに。あまりにも神経質……いや、緻密である。


 そして、ヴァンダインが、自らの厳格な審美感を他者にも押し付けたもの(だと少なくとも僕は思っているもの)が、かの悪名高き「ヴァンダインの二十則」である。


 ヴァンダインは、探偵小説を書く上で守るべき規則として、以下の二十項目を挙げたのだ(以下、wikipediaからのコピペ)。


…………



1. 事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。

2. 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。

3. 不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。

4. 探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。

5. 論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。

6. 探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。

7. 長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。

8. 占いや心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。

9. 探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。

10. 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。

11. 端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。

12. いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。

13. 冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。

14. 殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。

15. 事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。

16. 余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌は省くべきである。

17. プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。

18. 事件の真相を事故死や自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。

19. 犯罪の動機は個人的なものが良い。国際的な陰謀や政治的な動機はスパイ小説に属する。

20. 自尊心プライドのある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。

* 犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法

* インチキな降霊術で犯人を脅して自供させる

* 指紋の偽造トリック

* 替え玉によるアリバイ工作

* 番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる

* 双子の替え玉トリック

* 皮下注射や即死する毒薬の使用

* 警官が踏み込んだ後での密室殺人

* 言葉の連想テストで犯人を指摘すること

* 土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く方法


…………



 お分かりだろうか――こんなのものは守れるはずがないことが。

 探偵小説というのは、私小説でも論文でもない。あるものをありのまま書けばよいというものではなく、読者を騙したり驚かせたりするために、若干の無茶をしなければならない小説である。

 品行方正にヴァンダインの言いつけを守りながら、読者が求めるエンターテイメントを作り出すことは至難の業だ。


 また、「ヴァンダインの二十則」と同様に有名な探偵小説のルールとして、「ノックスの十戒」があるが、そっちはまだ許せる。

 そちらは「双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない」など、それはそう、と頷ける項目ばかりである。

 それに対して、ヴァンダインの二十則は、あまりにも細かくて、「単なるお前の趣味だろ!」とツッコミたくなる項目ばかりだ。「ラブロマンスを入れるなってどういうことだ! 非モテの嫉妬か!」と。


 そもそも、ノックスが十個であるのに対して、ヴァンダインは二十個で、倍もルールがある――

 否、倍ではない。

 よく見ると、二十項目がさらに細かく分岐して、実質三倍近いルールがあるのだ。



 話を元に戻そう。


 大雑把な性格の僕は、「ヴァンダインが好き」というプロフィールの時点で、ヴァンビネガー卿を嫌厭していた。

 実際に話してみると、ヴァンビネガー卿は、ヴァンダイン同様の偏執狂であり、絶対に関わってはならない人物であることが判明した。


 しかし、ヴァンビネガー卿の方は、僕の過去の活躍を知っていて(例の「ノックスの十戒」に関する事件の推理である)、僕をとても気に入り、僕と連絡先を交換したがった。


 その熱意に負けて、僕は、渋々ながらも、ヴァンビネガー卿とLINEを交換した。

 会話の中でヴァンビネガー卿の総資産が云千億円であることを知り、彼と関わることでオイシイ思いができると思ったというわけでは……断じてない。



 さて、そもそも何の話をしていたのかというと、ヴァンビネガー卿から突然届いたLINEの話である。


 その内容は、探偵である僕への事件解決の依頼だった。

 ヴァンビネガー卿が所有する集落において、殺人事件が起き、その解決を僕にお願いしたいとのことだった。


 「集落を所有する」というのはなかなか闇が深い概念なのだが、僕の背筋が凍ったのはその部分に反応してではない。


 その事件解決の依頼には、ある戦慄する条件が付されていたのである。


 その条件とは――



「事件の解決に際しては、必ず『ヴァンダインの二十則』を遵守すること」


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