トランクにいるもの
異変に気がついたのは、トンネルを抜ける手前のところであった。突然トランクから、ガタッ、ガタッと何かが這いずるような音が聞こえ、次第にはっきりと、車内の壁を指でつついたり、窓をコンコンと叩いたりするような音が聞こえるようになった。
車に乗っていた、小西誠也と、その友人、室翔平は驚きと恐怖で声が出せなくなっていた。しばらく二人は体をこわばらせ、何も言わずに、ただただ正面を見つめ続けていたが、コツコツコツという音が一向に止まる様子を見せないので、二人は原因解明に移ろうと、アイコンタクトで頷いた。
助手席に座る翔平が、恐る恐る後部座席の方へ振り返る。しかし、あたりが暗い事もあって、見えるのは背もたれのうっすらしたラインと、その背後に佇む暗闇だけであった。
数秒間暗闇を凝視していた翔平だったが、そこには、不気味な女の幽霊も、イカれた殺人鬼もいなかったので、くるっと前に向き直り、「なんにもないよ。」と低い声で運転手に報告した。
それから数十分が経ち、気がつけば先程の物音も知らない間に止んでいた。けれど、まだなんとも言えない緊張感が流れていて、二人は暗い表情だった。
長い長い帰り道に疲れこんでいた二人はウトウトし始めていた、車は山道を抜け出し、やがて高速道路を降りた。
広大で果てしない田んぼ道や、薄暗くファーストフード店や、ショッピングモールなどのない林や岩壁ばかりを目にしていた二人は、一日ぶりの都会道に、ちょっとした感動を覚えた。
都会と言っても、人気が多いわけでもない、地味なところだが、少なくとも気軽に寄って、味の濃い料理やドリンクを味わえるお店は山程ある。だが、疲労していた二人は、その楽しみは明日にとっておいて、今日は足早に家に帰ることにした。
赤信号が青に変わるのを待っているとき、不意に翔平が、「さっきの音、何だったんだろうな。」と、誠也に何気なく言った。「もしかしたら……」続けて言おうとしたとき、「やめろ。それ以上わざわざ言うな」と誠也が彼の言葉を切った。翔平は不満そうな顔をした。
やがて、蛍光灯の光に満ちたチェーン店の面影も薄くなり、二人は見慣れた風景の住宅街へと戻っていた。翔平は誠也に気を使って、寝落ちしないよう努めていたようだが、やがて睡魔に負け、すやすやと眠りの谷へ落ちていった。
すでに時刻は0時を回り、目を腫らしたこの運転手も、睡魔に襲われていた。家まであと少し、耐えるんだと言い聞かせながら、速度を上げたり下げたりしていたその時だった。ゆらゆらしていた思考がキリッと真っ直ぐに立ち並び、前かがみになっていた姿勢が、背中を通る冷たい物によって一列に整列した。
コツコツコツ…ゾロゾロゾロゾロ…
明らかに、何かを叩いたり、這いずり回ったりするような音だ。誠也はパニックになりかけていた。あらゆる妄想が頭の中を突き抜け、一つの大きな恐ろしい想像が彼の頭に浮かび上がった。いやいや、そんなはずは無い。全力で否定してみるも、万が一を想定してしまう。これは人が不安にかられたときに全人類に共通することではないだろうか。
混乱して、ふと横を見ると、翔平も起き上がって、目をかーっと開いていた。二人で目を合わせて、車を止める。道の真ん中だが、この時間帯車通りは少ないはず。
しばらくして、誠也は一度冷静になって考えてみることにした。まず、後ろにいるのは人間ではない。なぜなら、人間ならもっと這いずる音が大きくなるはずだし、翔平が振り返ったときに気がつくはずだ。だとしたら、何かの小動物が車に知らず知らず乗り込んでいたのかもしれない。とにかく冷静になれ。相手が何であれ、いつでも逃げれる用意はしておくべきだ。
二人は一旦車を降り、小声で話し合った後、トランクを開けてみることに決まった。
二人で恐る恐るトランクの取っ手を掴み、勢いよく上へと持ち上げる。スッーとなめらかな音を立ててトランクが開いていく。そして、トランクにぽつんと落ちていたものに二人は、思わず悲鳴をあげた。
一週間後。
時刻は午前一時。
昨日夜更かししてテレビを見ていた誠也は、タバコをくわえながら、先週のあの晩のことを考えていた。タバコの燃えた灰が足元の汚れたカーペットに落ちる。
遅めの朝ごはんのカップラーメンを啜りながら、誠也は報道特集を凝視していた。しばらくボーッとニュースキャスターを見つめていたが、突然画面に現れた、殺人死体遺棄事件の報道に目が留まる。被害者の写真が画面に大きく映し出される。白黒のワンピースをまとった、長髪の女性がしゃがんだ状態でカメラにピースを向けている。その笑顔には見覚えがあった。元彼女の平村小夏だ。胸が大きくえぐられたような気分に陥った。なぜ、なぜなんだ。
事件の全貌はこうだ。とある旅行客の一家が、暇つぶしに、近くの湖でレンタルボートを漕いでいると、沖合に落ちている黒のポーチを発見。それを回収した湖畔にあるカフェのスタッフが違和感を覚えオーナーに相談。ポーチからは口紅やハンカチが出てきたのだが、それらに記名された名前が、つい先日観光客が届けていた手帳に書かれていた名前と一致していたのだ。しかも手帳には火で炙ったような焦げ跡がついており、オーナーが警察に通報した。しばらくしてすぐに、この平村小夏という人物が行方不明になっていることがわかり、やがて湖のそこに沈む遺体が発見された。湖は広く、深く、沈められたのならば捜査は難航すると思われていたが、湖周辺から見つかった、被害者の数々の所持品から大まかな位置が特定され、遺体発見に及んだ。
午後3時。インターホンも鳴らさず、翔平が家に飛び込んで来た。
「見たかニュース!小夏が、小夏が!」焦った様子の翔平がそう言うのを無視して誠也が「わかってる。」と静止する。落ち着かない様子の翔平を見かねた誠也は、重い口を開く。
「やはり、彼女の所持品をしっかり処理するべきだったな。翔平。」その目は冷酷な殺し屋の目であった。
「しょうがないだろう!時間がなかったんだ。ライターはオイル切れで燃やすことはでいないし、小夏のやつ、色んなものを持ってて、現金との分別に時間がかかったんだ。」翔平は怒り筆頭に言い返す。
「クソっ!あのときあの老人がボートの点検になんか来なければ、湖のそこにいくらでも捨てれたのに。」
やがて二人は、小夏宅周辺をうろつく様子が防犯カメラに写っていたことや、小夏の指紋が車のトランクから検出されたことなどから、すぐに逮捕された。
事件の首謀者は小西誠也と見られ、友人たちの証言によると、誠也容疑者は、平村小夏と付き合っており、仲は良さそうに見えたが、誠也容疑者が友人の借金を肩代わりしたことによって、徐々にお金に執着するようになったようだ。風変わりしていく誠也容疑者に、不満をつのらせていった平村小夏は誠也容疑者と離縁。しかし、誠也容疑者は平村小夏を逆恨みし、中学時代平村小夏にちょっとした事でバカにされ、それを発端にいじめられるようになったという室翔平と手を組み、殺害。捜査が難航すると考え、広く深い湖を遺体の破棄する場所に選んだとのこと。二人は平村小夏行きつけのカフェで平村小夏を待ち伏せし、誘拐、棒状のもので数発殴り気絶させ、トランクに乗せてすぐに湖に向かったようだ。トランク内で平村小夏はすでに死亡しており、トランクで暴れることはなかったようだ。とにかく、この事件は残虐で自己中心的な事件として人々に印象を残し、この冷酷な二人の殺人犯の人生の破滅につながる事となった。
それから長い長い年月が経ち、事件の事は人々の記憶から薄くなっていた。しかし、平村小夏殺害事件の殺人犯二人は、未だにあの日の事をはっきりと鮮明に覚えていた。薄暗い遺体破棄現場からの帰り道、トランクからの物音。遺体は両腕を縛りつけて布を被せて運んだはずだったのに、トランクから検出された彼女の指紋。そして、トランクを開けて二人を震え上がらせた、彼女の手首。
二人は今でも思い出す。あの日の出来事のすべてを。そして毎日毎日後悔するのであった。
いや、するしかないのだ。
監獄の中で響き渡る、男の叫び声。
金属製ベットを夜中にグラグラと揺らす、主人のいない手首。
二人は一生人々に蔑まされ、怨念に呪われ続けるのだ。