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背任者

 初めの二日間はほとんど寝ずに調査と分析を行った。

 本当は徹夜でやろうと思っていたのだが、午前三時過ぎに琴乃さんに強引にベッドに連行されてしまった。

 だが、ほとんど寝てはいない。

 僕は抱き枕ではないのだが、胸に顔を押し付けて来る輩がいた為だ。


 包み込むような優しい良い香りや暖かくて柔らかな感触に耐えながら夜を明かしたのは、果たしてご褒美なのか、それとも自制心を鍛える訓練だったのか。

 いずれにしろ、ヘタレが強化されたのは言うまでもない。


「ふぁ〜、おはようございます」


 起き上がりながら朝の挨拶を言ってみたものの返事がない。


 キョロキョロと部屋の中を見渡したが、琴乃さんの姿は無かった。脱いだネグリジェだけが彼女の寝ていたところに広げてあった。


 琴乃さんの性格からすると普通は畳むよな。

 ということは、僕へのご褒美という罠だろうか?

 ここで手に取り匂いを嗅いだら即アウト!

 だが、その手には乗らない。


 しかし、こんなの着てたのか。

 だから、あそことあの部分が重なっていたわけだ。

 それに少し間違えると、アレに触れていた可能性もある。


 ……やはり策士だ。

 思わず息子が元気になりそうな妄想を掻き立ててくれた。


 さて、僕も着替えて作業場のダイニングテーブルに向かおうか。ご飯はそこで食べることにしよう。

 リビングを作業場にセッティングしていた関係で、そこにご飯の時だけ、給仕の方やらお手伝いさんやらがごった返しているのだが、基本的に琴乃さんとお手伝いさんがするということで、人数が半分以上減った。


「琴乃さん、おはようございます」


 あくびを噛み殺し、琴乃さんに頭を下げて、お手伝いさんにも同様の挨拶をする。


「あらっ、おはようございます。葵くん。夕べは激しかったから、まだ寝ていても良かったのに」


 琴乃さんが僕に近寄り、首だきにしながら朝の濃厚な挨拶をしようとした所を手のひらでブロックして、そそくさと席に座る。


 微笑ましく見ていたお手伝いさんの目はニヤニヤと笑っているように見えたのは僕だけではないだろう。


「もう、葵くん。私たちは付き合っているんだよね。

 なら、もう少し私の愛情に応えてくれてもいいんじゃないの? 私は眠くても、頑張って朝ごはんをあなたのために作ったんだし。この乙女心を少しだけでも分かって欲しいのは、わたしのわがままなのかな?」


 上目遣いで、うるうるとした瞳、駄目押しのスカート短めのメイド服で迫って来る。


「んー、わかりました。ハグだけで勘弁してください。まだ、僕も経験値が足りないから今日の仕事に影響が出でしまいますよ」


「んふっ、それはダメだねー。では、いただきます」


 椅子に座る僕の上に腰掛けて、大きな胸に顔を挟むようにハグしてから、ほっぺにチュッとされてしまった。とても良い匂いに柔らかな感触、僕の息子が起き上がらないように必死で堪えると、すんでのところで琴乃さんが立ち上がってくれた。


 ……セーフ。

 助かった!

 しかし試練はまだ始まったばかり。


「あおくん、あーん」


 いや、朝から新婚ごっこするか?

 あなたの人生が掛かっているのに、なにを呑気にしているのかな?


「琴乃さん、早く仕事始めないと。こんなことしている暇はないでしょう?」


「あー、あおくんの話も尤もだと思うの。でもね。わたしの人生がこれから傾くこともあるかも知れない。なら、まだ幸せだと思える時にあなたとの思い出を沢山作っておきたい。それって、わたしのわがままなのかな?」


 いや、これって二回目のフレーズだ。

 だが、正論に勝る言葉はない。

 もし、あるとするなら言葉ではなく行動だけが凌駕するだろう。


「あーん」


 素直な行動で対応すると、瞳をキラキラさせながら琴乃さんが応じてくれる。


 いや、それこそ朝食に一時間もかけないのだから琴乃さんのヤル気を削いだほうが負ける確率が高くなる。

 なら、僕は僕の尊厳を捨てるだけだ。

 ここは琴乃さんが彼女というムーブを受け入れた方が上手くいく。


 朝食も終わり、僕は調査物の中身を調べていたのだが、ある一点で目が止まった。

 タクシーチケットの領収書の束だ。


 ほとんどが千代田区霞ヶ関となっている。

 やはり政治家か官僚が取引の中にいるのは明白となった。しかし、政治家も与党なら逮捕は難しい。

 なんなら僕らに濡れ衣を被せて逃げおおせる可能性もあるだろう。


 うーん、どう動くのが得策か?


「琴乃さん。政治家の中でも偉い人とか検察の人とか知らないかな?」


「えーっと、お父様に聞かないとわからないけど、各党の幹事長は知っていると思います」


 求めたい答えが即答で帰ってきた。

 よーし、よーし。


「じゃあ、あの料亭の予約はどうなりましたか?」


「あの店、強情だったから店ごと買いました。なので、大丈夫ですよ。デートがてら下見にでも行きましょうか?」


「いや、いいよ」


「あれ、即答で断られちゃった。琴乃悲しい」


「いや、まってよ。そうじゃなくてね。誰かを行かせればいいと思ったんだよ」


「なら、誰かをあたしとあおくんにすれば良いだけじゃない」


「指揮を取るものがいないって、どうかな? 違うんじゃない?」


「真香がやるって言ってくれてるけど。ダメなん?」


「おねぇは、本来業務に集中して欲しいんだけど?」


「真香は、ここから指揮を取るみたいよ。あの子も大概だしね」


 ……そう、琴乃さんに隠れてはいるものの、真香さんも多少人とはズレている。

 僕らの生活のため、僕の会社を起業したのは姉だからだし、琴乃さんをはじめ、凄い人材を揃えている。

 正に二人とも女子大生にして、バリキャリだ。


「そうですか、なら行きましょう」


「お部屋は相部屋でいいよね?」


「いや、泊りじゃないし、そもそも料亭には泊まらない!」


「まあ、そう言うだろうと思ってもう一手間かけてますよ。あとは見てのお楽しみ」


 ニンマリと笑う琴乃さんは困ったものだが、彼女の悲しそうな顔を見たいとは思わない。

 だから、これほ間違っていないんだ!

 そう思うことにすると、不思議と心が軽くなった気がした。



 まあ、それを人は現実逃避と呼んでいるんだけどね。



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