僕と彼女とバレンタイン(準備編)
二月十四日。それは乙女の頑張る日。一般的な高校生女子の私も、それは例外ではなかった。どんな物を送ろうか、ずっと考えて最近は寝付くのが遅くなるくらいだった。バレンタインに送るもの、その意味まで、普段使わずに部屋に置いたままになっているパソコンに向き合って調べて、彼の喜ぶものを考えた。今私は、すごく幸せ。淋都と、曲がりなりにも付き合うことができて、彼はすごく優しくて、格好良くて。ずっと、留香ちゃんの傍に隠れて目立たなかった私を大事にしてくれて。淋都は私にとって、太陽みたいで、そばにいるだけで幸せ。だからこの幸せが続いて欲しい。私が送るものは決まった。
「よし、バウムクーヘン作るぞ……!」
深夜、月光の差し込む部屋で、私はそう決意したのだった――
「それで夜更かししたから、今日は一日中眠そうなのね」
昼休み。留香ちゃんと一緒にお弁当を食べながら、私はさっきの事を伝えた。その反応がこれである。呆れているような留香ちゃんの反応が少し痛い。
「なんでそんな目するのよ……」
私を見る留香ちゃんの眼は冷ややかで、私は肩をすくめた。
「大体いつもは淋都と二人で食べてる癖に今日は私を呼んだと思ったら、その宣言をするため?」
「そう! こういう誓っとかないと折れちゃいそうだから!」
私の胸を張った宣言に、留香ちゃんはため息をつく。
「まぁ宣誓しとくのは良いことだと思うよ? ちゃんと覚えておくけどさ。でもね、バウムクーヘン作るって、千代香は作れるの?」
その留香ちゃんの発言に、私は凍り付く。彼女の指摘通りだ。私は全く料理ができない。だから、だからこそ留香ちゃんにこの誓いを聞いてもらったのだった。
「……教えてください。花美留香様。この料理できない白井千代香に、バウムクーヘンの作り方を!」
私が言いたかったのはこういう事。私は不器用で料理が下手。だから、私が唯一頼れる留香ちゃんに教えてほしかったのだ。
「私に教えて欲しいって……そういうのは淋都と一緒にやったらどうなの?」
「それじゃあダメなの! もっとこう……長く付き合ってるとかならありかもだけど、初めてのバレンタインは頑張って作りたいの」
思わず私は立ち上がり、そう宣言した。クラスの視線が集まって、少し恥ずかしい。
「じゃあ今日は家に来なよ。お菓子の材料なら結構余ってたはずだからさ」
渋々、留香ちゃんは私のお菓子作りを手伝ってくれる事を約束してくれた。
放課後。今日も私と留香ちゃん、それと淋都の三人で電車に揺られていた。
「今日は昼に二人で何話してたの?」
「えへへ、今日はねぇ……」
ついうっかりと、淋都に昼の話の内容を話そうとした私の口を、留香ちゃんが慌てて抑える。私の頭を固定する腕には、そこそこ本気の力が込められていてちょっと苦しい。
「なんでもないよ、ちょっと女の子のお話してただけ!」
私を抑えたまま、留香ちゃんが場を取り繕う。淋都はそっかと、その話はしなくなった。苦しくなって、留香ちゃんの手をバシバシ叩く。
「あぁ……ごめんごめん」
けほけほと咳き込みながら、解放されてホッとする。その様子を見て、淋都はニコニコと笑っていた。
「そんな楽しそうにしないで助けてよ……」
「ごめんごめん、ちょっと微笑ましくてさ」
彼のそのいたずらっぽい顔を見ると、あまり本気で怒れない。これは私の甘さだろうか。ちゃんと怒るときは怒ることを伝えるべきなのだろうが、私にはそんなことはできないな。
『次は、琴葉崎。お降りの方は……』
電車の中に、アナウンスが鳴る。私たちはそれぞれの荷物を持って、電車を降りた。
「寒いな……」
淋都がそう呟いた。その言葉には賛成できる。今日はいつもよりも少し寒いし、雪がちらついている。留香ちゃんはマフラーを巻いて手袋もつけて、防寒は完璧といった様子だ。逆に淋都はというと、特に何か防寒をしているわけではなさそうだった。駅を出て、家に着くまでの間、私は彼手をそっと繋いだ。留香ちゃんはさっさと一人で歩いて行ってしまったので、淋都とちょっとゆっくり歩いた。
「どう? あったかい?」
淋都の顔を見上げて、私は聞いた。彼は何も言わなかったけれど、私の手をぎゅっと握り返していた。
「雪、綺麗だね」
淋都の呟き。君の顔の方が綺麗だよ、とは思ったけれど、恥ずかしくてそんなことは言えない。
「ほんとだね。このまま降ったら積もるかなぁ」
「どうかな。積もったら電車動かないから学校休みだね」
学校が休みになることを期待しているかのようなその発言に、私は少し笑ってしまった。まあ、私も学校は少し面倒くさいと思うのが、普通の高校生だろう。私は淋都と会えないのが少し嫌だが。
「もうすぐ一学年終わるね」
淋都がそう言った。
「そうだね」
私からの短い返事。少しの間、二人を静寂が包む。空気が冷たくて、なんだか少し落ち着かない。
「私たち、今年は同じクラスで付き合いだしたけど、来年はどうなるかな。同じクラスがいいなぁ」
静寂が嫌で、私はそう淋都に言った。
「そうだね、でもどうなのかな。学校って、カップルが同じクラスってなりにくいみたいだし」
やっぱそうだよねと、話しているうちに淋都の家に着いた。隣の家の前で、留香ちゃんが腕を組んで立っていた。
「お、やっと来た。それじゃあ、千代香は私と予定があるから貰っていくね。淋都はさっさと帰った帰った」
私の腕を掴んで、淋都にしっしっと手ぶりをする留香ちゃん。私も淋都に別れを告げて、留香ちゃんの家へと入った。
「今日も相変わらず仲がよろしいようで、留香ちゃんは満足ですよ」
いつもじゃあしないような一人称に、私は思わずクスリと笑う。リビングに案内され、私はとりあえずソファに腰を下ろした。
「留香ちゃんの家来るの久しぶりだな……中学二年の時に来たぶり?」
と、少し懐かしい話をしてみる。
「あー、そうだね。その時以来。あの時は大変だったね。千代香がぎゃんぎゃん泣いて学校飛び出しちゃって」
そうだったっけと、少し考えてみるが、はっきりとは思い出せない。なんとなく中二の時に来たという記憶はあるのだが、その記憶は蓋をされているような感覚で、鮮明には見えない。むむむと考えている私の腕額を、留香ちゃんがピンとはじいた。
「そんな眉間に皺寄せて、だめだぞ。その顔は幸せが逃げちゃう。幸せを続けるためのお菓子作るんでしょ。いつもみたいにニコニコしてな」
留香ちゃんの言う通りだなと、私は立ち上がる。留香ちゃんから、エプロンを手渡された。
「制服のまま作るのは流石に汚れるでしょ。これでもつけな」
言われるがまま、エプロンを身につける。真ん中に大きくうさぎの柄の入っている、少し子供っぽいエプロンだった。留香ちゃんが普段使っているのかなと思っていると、不意にシャッター音がなった。スマホを片手に、満足そうな留香ちゃんが見えた。
「うんうん、似合ってる似合ってる。私の小学校の時のエプロンだけど、いい感じだね」
にっこにこで留香ちゃんが言う。ほんとに、笑顔がよく似合うな、なんて思った。それと同時に、小学校の頃のエプロンなのかと、少し残念。複雑な気持ちだ。
「よし、作るよ」
キッチンに立たされる。何も分からない。
「えーと、まずはこれ混ぜて」
留香ちゃんが私に何かをボウルに入れたものを渡してきた。カシャカシャと、全力で混ぜる。
「この生地混ぜるけどさ、どうやってあの綺麗な形にするの?」
素朴な疑問。留香ちゃんの手元にはアルミホイルで作られた棒とフライパンが準備されていた。それでどうやって作るのか私にはわからなかった。
「これ真ん中に入れて玉子焼きみたいに焼いていくよ。手伝うからやってみて?」
留香ちゃんが私の後ろに立って手を伸ばす。母親が小さな子に教えるように、私の手を握って一緒に生地を焼く。
「綺麗にできたね。もう一回、一人でやってみて。綺麗に作ってそれを淋都にあげよう」
留香ちゃんが見守るなか、丁寧にバウムクーヘンを焼いていく。何度も失敗したけれど、丁寧に何度も作る。
「落ち着いて作っていいよ。材料は余ってるから」
留香ちゃんのその言葉に、私は落ち着いて焼けた。しばらく作っていくうちに、慣れもあって、綺麗に作ることができた。
「上手にできたよ! ありがと留香ちゃん」
留香ちゃんに感謝。
「気にしないでよ。ちゃんと渡してあげな」
爽やかな留香ちゃんの笑顔につられて、私からも笑みがこぼれる。今日はすごく楽しかった。