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9.本当の目的は何ですか?

 走り込みと反復横跳び、ナイフ投げと空手の型を練習させられ、エマは寝室に帰るなり動けなくなった。


「も、もう無理ー!」


 ウィルは涼しい顔で白木に彫刻を施した、美麗なデスクの前に座る。


「見ないでおいてやるから、すぐ風呂に入れ」


 メイドの木偶に服を脱がされながら、エマはぼんやりとデスクに座るウィルの手元を眺めた。


 大きな紙に、彼はひたすら文字を書きつけている。


(あれ、何してるんだろう)


 木偶がやって来て、寝室と風呂場の間にある扉は閉められた。今日は泡風呂に沈む。メイド服の木偶が汗にまみれたエマの体を、パームのブラシで念入りにこすってくれる。


 エマは激動の一日を反芻した。


 孤独な魔王。サディスティックな魔王。世話焼きな魔王。美しい魔王。


 キスをする魔王。


(どれが本当のウィルなんだろう)


 余りに本能のまま生きているからか、彼の行動はしっちゃかめっちゃかに見える。二千年前に父親が殺されたと言っていたから、彼は今二千歳以上のようだ。二千年生きて、エマを拾って、彼は今何をしようと言うのだろう。


(私、これからどうなるんだろう)


 魔王はエマを殺すつもりはないらしい。暇つぶしにエマを使っていると言うが、人間など、百年も経てば死んでしまう生き物だ。


(飽きたり壊れたりしたら捨てる。ウィルにとっての私は、そんな感じなのかな)


 そう思いエマが感じたのは、己の絶望感でも虚無感でもなかった。


(かわいそうなウィル)


 意外にも、ウィルに対する憐れみだったのだ。


 魔王を殺す訓練をさせているのも気になっていた。いくら彼女の絶望の表情がお好みとはいえ、これが上手く行ってしまえば自殺行為ではないのか。


 メイド服の木偶が、別のロングドレスを持って来て着せ替えてくれる。髪をき、ふわふわとした三つ編みに結ってくれる。


 エマはそうっと風呂場から出、寝室に戻った。


 ウィルはまだ何かを書いている。エマは背後から尋ねた。


「ウィル、何をしているの?」


 彼は背中で答えた。


「宝石職人のプログラムを作っている。角を加工しようと思ってな」


 エマは黙る。急に優しくされると混乱し、気持ちがかき乱される。その静けさに、魔王は何か感じたらしかった。


「……どうした?」

「ウィルは私をどうしたいの?」


 弾けるように、ウィルがエマを振り向く。エマはドレスの裾をぎゅっと掴み、顔を赤くした。


「からかったり、戦ったり、かと思えば親切にしてくれるけど、本当は何がしたいの?目的が全く見えて来なくて、私……怖い」


 ウィルは立ち上がった。ブルートパーズの双眸が、エマの心の中を探るように見下ろす。


「怖い?」

「うん。魔王城に囚われた私は、ずっとこのままなの……?ウィルが私を拐った本当の目的は何?」

「本当の目的……」


 ウィルはそう呟くと、少し顔を傾けて、そっとエマの顎に触れる。


「人間の、闇」


 ウィルの片方の瞳を、その銀髪がさらりと隠した。


「その闇は、どこから生まれると思う?」


 エマは、哲学問答のような質問にぽかんと口を開けた。


「それは……人間から」

「そう。でも、人は一人では闇を生まないんだ。人は、人との間に闇を作る」


 そうだ。人間は、関係の中から闇を生むのだ。嫉妬、猜疑心、殺意……全て、関係の中にある。


「魔王はそれを食らって生まれるのだ。つまり……」


 エマは刮目した。


「あ……。そっか。じゃあ、魔王は」

「そう。人間あっての魔王だ。人間が本当にこの世からいなくなったら、魔王は分裂出来なくなる。つまり種が途絶える。魔王は人間なしには存在出来ない生き物なのだ」


 エマの目は、ウィルの水面のような瞳に吸い込まれている。


「俺は他人同士の作った闇に頼らず、己の力だけでどうやったら生きられるのかを常々考え続けて来た」


 ウィルの瞳が慈しむように、エマを上から下まで眺める。


「それを確かめるために、エマを城へ持ち込んだ。お前と何らかの関係を作り、他人から盗み取った闇ではなく、目の前の人間と自分との間に生まれる闇をこの目で見てみたいと思った。で、エマに色々試みている最中なんだ。悪いとは思っている……けれど、怖かったと話してくれるのを嬉しいとも思う。それは、二人の間に何らかの感情が発生した証左に他ならないから」


 思いもよらぬウィルの実践的理論に、エマは目を白黒させる。


 そうか。彼は彼なりに目の前の人間と、何らかの関係を形成しようとしている最中なのだ。


「俺は魔族だ。人間と脳の構造が違う。至らないことの方が多いかと思うが、そういう時は今みたいに遠慮なく言ってくれ。ただ、やはり闇欲はどうしても抑えられなくなるから、その時は……」


 ウィルはエマの唇を撫で、少しだけ逡巡した。


「ちょっと、嫌な思いさせるかも」


 エマはその指をあえて振り払わなかった。それを知ってか知らずか、ウィルはそうっと彼女の唇に口づける。


 エマは金糸の睫毛をそっと伏せ、彼を感じ、再び瞬いた。


 嫌な思い──か。


「エマってさ」


 ウィルは少し湿った唇で呟いた。


「あんまり、キス、嫌がらないのな」

「……そうね」

「何で?」

「……何でかな」

「絶望事典もアテにならないな」


 エマは自らの唇を指でなぞった。ウィルも、どこか気まずそうに自身の唇を手の甲で拭う。


「じゃあエマの嫌なことって、何?」

「その質問には答えられません」

「ちょっとだけでいいから、教えて?」

「嫌です」

「ちぇっ。ケチ……」


 ウィルはどかっと椅子に座ると、再びデスクに向かった。


 彼は勇者に蹴り飛ばされた己の角を、贈り物にしようとしているのだ。こんなに労力をかけて。エマはその背中を眺め、えも言われぬ感情の昂りに、どきどきと胸を鳴らしていた。

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