8.二人は戦う運命なのですか?
ウィルは宙を舞うと踊るように空中で体をひねって回転し、落下する重力に任せてエマの後頭部を蹴った。エマは衝撃に前のめりになったが、前転しながら体勢を立て直し、魔王に体を向ける。
刹那、勇者は間合いに飛び込まれ、魔王に喉を掴まれた。
「ぐっ……!」
「はい、エマの負け」
微笑む魔王は、そのまま喉輪の体勢でエマを吊り上げる。宙ぶらりんのエマの頬に魔王の爪が食い込んでいる。エマは剣を落とした。凄い力だ。
「ああ、いいね、敗北の表情……あーもう、たまんない……」
ウィルは恍惚の顔のまま、うっとりと苦悶のエマを眺めた。
と。
エマの足が苦し紛れに、ウィルに生えている洞角を蹴った。ウィルは驚いて彼女を取り落とす。
角の先とエマとが、ころんと闘技場の石畳に転がった。
「……あーあ」
ウィルは、自らの折れた角を撫でさすった。エマはせき込みながら、伸ばした手で転がっている魔王の角を掴み取る。
魔王の角のかけらは黒曜石のように艶のある光をまとって、エマの手のひらでずっしりと存在していた。何となく、生命の趣が感じられる。
「俺の美しい自慢の角が……」
「ふん。ざまーみろだわ」
「へえ、そういうこと言うんだ、この口は……」
言うなりウィルがキスをしようと顔を近づけて来たので、エマは間合いを取るようにその腹をめりめりと蹴った。
「……その角」
「これは、また生えるから大丈夫。ちょっと時間がかかるけどな」
「痛い?」
「痛くはない。ああ、そうだ。それは魔王を蹴った記念にあげるよ」
エマは魔王の角のかけらを手に乗せて眺めた。
「こんなの、貰っても」
「あれ、知らないのか?魔王の角には、魔力が詰まっているんだぞ」
エマは顔を上げる。
「そうなの?」
「そうだ。だから魔王を倒したければ、まずは角を狙うことをすすめる。魔力を削ることが出来るんだ」
「……手の内明かして、どういうつもり?」
「どうもこうも。教えてあげるってだけ」
「……大層な自信ね」
「あと、角は色んなことに使えるよ。後で図書館で調べてごらん」
「ふーん。そんないいもの、貰っちゃっていいの?」
「いいよ。プレゼントだよ、プレゼント」
ウィルは笑うと、エマの手を引いて助け起こした。エマは困った顔になる。
「プレゼントって言ったって……」
「ああ、形がちょっと格好悪い?何なら宝石職人の木偶でもプログラムして、美しくオーバル型に加工してもらおうか」
エマはとりあえず、ポケットに魔王の角をねじ込んだ。何に使えるのか、まるで見当がつかないけれど。
「話を戻そう。俺と対決したことで、エマの課題が見えて来た……」
ウィルがぱちんと指を鳴らすと、兵士服の木偶が黒板とチョークを持ってやって来た。ウィルはエマと黒板を囲みながら説明する。
「エマは今までが、勇者装備に頼り過ぎだったんだ。騎士の〝迎え撃つ〟やり方を真似ていては、盗賊のエマは実力を活かせない。盗賊は盗賊らしく〝寝首を掻く〟やり方をしないと」
ウィルは黒板に何やら書き込んでいる。
「素早さを上げるのが一番手っ取り早いか。敵の前ではなく、背後を取る。攻撃は受け止めるのではなく、かわす。勝てそうになかったらすぐ逃げる。まずは走る速さを上げよう。それから反復横跳び。武器は長剣ではなく、ダガーの二刀流。武器も防具も、とにかく軽いものがいい」
言いながら、魔王は黒板の中に「勝てる勇者になるメニュー表」などと、怪しい勧誘商法のような文言を書き込んだ。
「よしっ。じゃあまずは、走り込みからな!」
「……へ!?」
魔王が指を鳴らすと、兵士服の木偶が笛とメガホンを持って来た。
ピーッ!
「はい、闘技場三周!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何をそんな初歩的な……」
「初歩をおろそかにして、今の己がいる。心に刻め、勇者よ!」
エマはぐうの音も出ない。魔王はふーっとため息をつくと、
「しょうがない……一緒に走ろ?抜くのはナシだかんね?」
と、もじもじと申し出た。エマは無視し、逃げるように走り始める。
「いっぱい汗を流したら、風呂とマッサージが待ってるぞ!」
メガホンでご褒美の発表をし、魔王は監督チェアにどかりと腰を下ろす。
「姿勢は猫背!太ももを上げて!手の振り方は均一に!顔を上げるな!」
エマは指示通り、陸上走行の基本を守る。魔王は懐中時計を取り出し、秒針を眺めた。
「ふーん……思った通りだ。あいつ、足はかなり速い」
魔王の隣で、兵士の木偶が二刀のダガーを研いでいる。
「今度は、走り込み用のウェアと蠍入りドリンクでも作ってやるかな……」
魔王はうっすらと微笑んだ。