57.あなたは魔族ではないのですか?
夜が明ける。
ウィルは、まだ眠りこけているエヴァンをおんぶ紐で背負う。
準備は整った。
エマも、久方ぶりに戦士の鎧に袖を通した。
「……行こう」
魔王が呟くと、
「どうか、無事で」
と勇者が呟いた。
朝日に包まれながら、二人はそっと口づけを交わす。
中庭に出ると、既に竜族が竜に変身してエマ達を待っていた。
「……エマ」
古代竜テオドールが、封印石をくわえている。
中には、小さな小さなユリアンの姿。
竜の口内から、エマはそれを受け取った。
「大事に持っていてくれ」
エマは頷く。
ミリアムとアンドリューが魔法陣を描いたマントを羽織り、久しぶりに重装備で現れた。
「まさか王都が魔族の根城だったとはなぁ」
「待ってなさい、魔族!世界を救うのは、私なんだから!」
二人はウェンディの背に乗った。
エマとウィルも、テオドールの背に乗る。
「よし、行くぞ!」
テオドールの鬨の声に呼応し、竜族全体が声を上げた。
そして、無数の竜が大空へと飛び立つ。
煌めく虹色の鱗。それが、雨のように次々と地上に降り注ぐ。
その光景はまるで、世界の始まりのようだった。
竜の襲来を受け、王都から無数のガーゴイルが迎え撃つ。
取っ組み合う竜とガーゴイルの群れを抜け、テオドールとウェンディだけが王都へ風をつんざいて突っ込んで行く。
竜族たちは口から閃光を放ち続けた。その光はフラッシュのように空で瞬く。
二体の竜が目指すは、黒いオーラたなびく城。
「……予想していた通りだ。結界が張られている」
テオドールが呟き、ウィルが頷く。
「テオドール、少し速度を落としてくれ」
言われるがまま、古代竜はゆっくりと城の上を旋回し出した。
ウィルは立ち上がると抱っこ紐を解き、ちいさなエヴァンを逆さ吊りにする。
そして、足をくすぐった──
「おぎゃああ、おぎゃあああ」
エヴァンが顔をしかめて泣く。
「やっぱり、もっとスピードを上げてくれ」
「いいけども……なんか可哀想だな、エヴァン君」
テオドールはぼやきながらも、スピードを上げて旋回した。エヴァンに重力がのしかかる。と。
ピイイイイイイイイイイ。
空をつんざく高音。その場にいる全員が苦痛に顔をしかめた。
その瞬間、城にかかっていた結界が雲散霧消した。
「今だ……!」
テオドールとウェンディが体をひねり、落下するように城の手前に突っ込む。
ものの数秒で、再度結界が張られる。
「よしっ」
「間に合いましたわ!」
エマは古代竜の背で目を凝らす。かつて仕えた王家の城。
その、玉座の間は──
「あそこよ」
エマが指さす。
「あそこが、王座の間」
「行ってみよう」
すぐさまガーゴイルが攪乱しようと飛びついて来るが、ウィルとミリアムが共に詠唱し、それぞれ魔術を放つ。燃え盛る火炎魔法の中、身軽なエマとアンドリューが先陣を切って、竜の背から王座の間めがけて飛び降りた。
王座の間の、ガラス窓。
岩のような鎧を着たアンドリューが、身を固く縮めたまま窓を物理的衝撃で破壊する。エマも続いて、壊れた窓穴から器用にするりと降り立つ。
しんと音すら立ちそうな静けさの中。
「──早かったね」
振り返ったのは。
「……シグ!」
「何だ、君たちまだいたの。まだ、世界を救うとか言ってるの?」
あの当時の、人間の姿をしたシグが立っていた。
シグはひょろりとした体を揺すり、楽しそうに笑っている。
「……お前はメイデンだな?猿に変身しろ、ぶっ殺してやる!」
アンドリューが息巻く。と。
「メイデンは死んだよね?」
とシグが言った。その言葉を咀嚼し、エマとアンドリューはある予感に行き当たってぞっとする。
背後から、すとんと複数の足音。
ウィルにミリアム、竜の変身を解いたテオドールにウェンディ。
全ての種族が、この王座の間に集結した。
エマはシグを指さす。
「まさか、シグは……人間!?」
ぶははっ、とシグは爆笑する。
「そうだよ!人間だよ!僕はずーっと人間。魔族を操っていただけで、ね」
エマは汗をかく。アンドリューとミリアムは戦慄した。
「なっ……単一主義を持ち出していたのは魔族じゃねーのか!?」
「は?何それ。そんな主義主張は知らないね」
「どういうことよ、シグ!」
「うるさいなぁ。あともう少しで完成だから、黙ってて?」
はっ、とウィルが小さく叫ぶ。
「……まさか」
その刹那。
禍々しい黒い物体が集まり、目の前に立ち塞がった。その黒い物体は粘土のように蠢き、姿を整えて行く。
牛のような角が生える。
目の前に現れたのは──
もうひとりの、ウィルだった。