56.決戦ですか?
戦いに行く前に。
子竜と魔王の子に、それぞれ名前が与えられた。
子竜は、ユリアン。
魔王の子は、エヴァン。
……ちょっと語感が被っている気が、しないでもないが。
「どっちも、いい名前ね」
エマはようやく眠った赤子を抱いて、ウィルの肩に寄り添う。
「子竜の名はテオドールが考えたのか?」
「そうみたい。竜族のみんなと考えたんだって」
「エヴァンは、前に話し合ったのを変更してしまったが」
「いいのよ。顔を見たら、あなたの考えた名の方が合っていたもの」
二人は子を起こさぬよう、そうっと触れるようなキスをする。
「じゃあ、行って来る」
「……行ってらっしゃい、パパ」
送り出してから、エマはそっと部屋を抜け出し会議室へ移動する。
アンドリューが持って来た木偶。
それを操作し、検索をかける。
「子竜の閃光……魔王の赤子の泣き声……」
ウィルはアンドリューと手分けして、明かりを灯した中庭に魔法陣を描きつけていた。
エマはぐずるエヴァンを揺すりながら、その様子を窓から眺める。
「ふーん、なるほど……そういうことね」
そこへウェンディが紅茶と菓子を持って入って来た。
「エヴァン様を預かりますわ。エマ様、ひと休みなさいませ」
「ありがとうウェンディ」
ウェンディにエヴァンを託し、エマは束の間の休息を取る。激動の日々に、ふと眠気が襲って来た。
「ああ……母親って大変だわ」
「ご苦労お察しいたしますわ。そうそう、ミルクも作っておきました。冷めたら飲ませてあげて下さい」
「わー、本当助かる!」
「よろしければ、この紅茶に粉ミルクを入れてみます?美味しいし、栄養たっぷりですのよ」
「えっ……すごいすごい」
紅茶にミルクが溶け、エマはそれを口に含む。
「あ、砂糖いらないぐらい甘い」
「もう少し薄味がいいですか?」
「ああ~でも、難しいわね……」
と、その時。
戸が遠慮がちに開けられる。
「……テオドール」
そこには疲れ切った顔の、竜族の長がいた。子竜ユリアンが、ぱたぱたとこちらへ飛んで来る。
「どうしたの?」
「いや、俺の手から逃げ回るんだ。ずっと母親を探しているみたいで……」
ウェンディが不安げに眉を寄せる。
「しばらく父不在だったから、あちらも戸惑っているのですわ」
「そうか……うー」
ユリアンはエマの肩にちょこんと止まる。テオドールはそれを見てうなだれた。
「やはり、母なのか……」
「そんなことないわよ。積極的に関わればきっと」
そう言ったエマを、彼はどこか眩しそうに見つめる。
「エマは余り、不安ではないのだな」
「んー、そうね」
「母親だからか?私はユリアンを行かせるのを、今だって不安なのに」
「別に、そうじゃないわ。私はただ、この子を信じているってだけ。それに……」
エマは窓の外に目を移す。
「ウィルのことも、信じている。今だってああやって、妖精化の魔法陣を夜っぴいて描いているの」
テオドールは何かを飲み込むように、言葉に詰まる。
「みんな、未来のために、どうにかしようって動いてる。特に、地上の我々は」
「……そうか。そうだな」
族長は頷いた。
「決めた。竜族も地上に向かわせるぞ」
ウェンディが頷く。
「ふふふ。テオドール様、その言葉を待っておりましたわ」
ミルクを与えられ、エヴァンはすやすやと眠り始めた。
(でも、ウィルの言ってた〝初期化〟能力って、何だろう?)
子竜のように、全く動く気配はない。
一方の子竜は、エマに用意されたはずのクッキーをむしゃむしゃと食らう。
「こらっ、ユリアン!そんなものばかり食べてると、夕飯が食べられなくなるぞっ」
テオドールはすっかり父親業が板について来ている。
(ウィルは……あんまり赤ん坊に興味ないのかな?)
エマは窓の外を眺め、魔法陣を注視する。ウィルはアンドリューと何か話しながら、今度は大きな布にまで魔法陣を描きつけていた。
夜が訪れる。
ベッドの上で寝息を立てているエヴァンに、ウィルはそうっと近づき耳をそばだてる。
「……どうしたの?ウィル」
彼は体を起こした。
「……息、してるのか?思って」
「確かに、あんまり動かないから不安よね」
ウィルは黙って赤子に目を落とす。と、
「……何だか」
彼が呟く。エマはそっと寄り添った。
「余り実感が湧かないな」
「無理もないわ。昨日の今日だもの」
「……エマは?」
「私は目の前のことをこなしているだけよ。具体的な計画はウィルの中にだけあるんだから。みんな、あなたを頼っているのよ。魔族の特徴を一番よく知っているのは、ウィルだもの」
ウィルは寝ている赤子を抱き上げる。
「あっ、ウィルったら……せっかく寝かしつけたのにぃ!」
「……どの程度いじれば、泣くだろうか」
エマはハッと顔をこわばらせる。
(まさか、息子にまで闇欲が向かうと言うの!?)
「ウィル、駄目よ!」
「逆さにすれば……」
「ちょっと」
「足の裏を掻けば」
「やっ、やめなさい!」
エマがエヴァンを取り上げた、その時だった。
「うわあああああん」
エヴァンが泣き始めてしまった。エマは絶望しながら、あやす作業を再開する。
「……なるほど。逆さにして足の裏を掻けば起きるか」
「何やってんのよ!もおおおお」
エマの苛立ちに反し、ウィルはこともなげにこう言う。
「……これが、大事なんだ。魔王の赤子を泣かせに泣かせた時、初期化が起こる」
エマはぽかんと口を開けた。
「はい?」
「鳴き声が高音になる。周囲を破壊しつくす高音。それが初期化だ」
「わけのわかんないこと言ってないで、さっさとこの子を寝かせなさいよ」
「何だ、エマ。これが世界を救うんだぞ!」
「またそうやってからかって……私の絶望の表情が見たくなったの?」
「だから……」
エヴァンの泣きが更にヒートアップする。と、次の瞬間。
ピイイイイイイイイイイ。
鳴き声がまるで鉄をひっかくように耳をつんざいた。エマは驚いてウィルから赤子をひったくる。
「す、すごい音!」
「初期化が行われた。何か、起こるかな……」
その時だった。
「エマー!ウィルー!」
遠くからミリアムの声がして、ばたばたと足音がやって来た。
無遠慮にドアが開けられる。
「どうしよう!妖精化が解けちゃったんだけど!!」
エマは目を見開き、ウィルは訳知り顔で口端を上げる。
「……これが、初期化だ。ある範囲内の、全ての魔法が解けるんだ」
エヴァンはミリアムを見ると、興味が移ったのかぴたりと泣き止んだ。
エマはウィルに信じがたいという視線を向け、ウィルは応じるように微笑んで見せた。