53.産まれましたか?
浮遊大陸に着くと、竜族の兵士のひとりが転ぶように駆け込んで来た。
「ウェンディ!ようやく戻ったか!」
ウェンディは三人を背中から降ろすと変身を解く。
「どうなさいましたか?」
「どうもこうも……テオドール様がへばっちまった」
「あら……ガーゴイルの群れは?」
「今はもう、城中ガーゴイルだらけだよ。何とかしないと」
ウェンディは金の粉を撒き散らしながら、兵士の前に飛び立った。
「ミリアム様が来たからもう大丈夫よ!ねえ、ガーゴイルをひとところに集められる?一網打尽にしたいの」
「それは難しい……やれるなら俺たちがやっている」
「うーん……じゃあしらみつぶしにやるしかないのかしら」
エマが飛び出して来た。
「ウィルはどうしてる?」
「ああ、早く行ってあげなよ。今、苦しんでるところだ」
「……え?」
「分裂が始まってるらしい」
「本当!?」
すかさずエマの背中をアンドリューが叩く。
「おう、緊急事態だな。ガーゴイルのことは俺たちに任せて、エマは魔王のところへ行けや」
「アンドリュー……」
「そこの兵士。ほかの兵士をかき集めろ。作戦会議だ」
エマが歩き出すと、ウェンディもついて来た。
「魔王のところまで行きましょう。城の頂上まで護衛致します」
「ありがとうウェンディ」
地上に出ると、庭園内はガーゴイルの群れで埋め尽くされていた。倒しても倒しても現れるガーゴイルに、兵士たちは疲れ果てなすすべもない様子だ。
エマはかの魔物の動きを眺め、ふと気づく。
(こいつら、やっぱり攻撃をしに来たわけではなさそうね)
そういえば魔王城に巣くっていたガーゴイルも、何かを物色する一方だった。彼らは攻撃を仕掛けるのではなく、盗む一辺倒で動いている。
(やはり、狙いは子竜と魔王の子──)
「エマ様」
ウェンディが声をかけ、上を指さしている。
「どうしました?早く参りましょう」
エマは考える。となると、最前線は執務室ということになるだろう。
「……ウェンディ。竜になって、執務室の窓まで行ける?」
問われたウェンディは戸惑いながらも頷いた。
「はい。あの、窓から入るんですか?」
「ええ。ガーゴイルはウェンディにお任せするわ」
「承知しました」
ウェンディが再び竜に変身し、エマがその背に乗る。
勇者は竜と共に、空高く舞い上がった。
ウィルはたったひとり、執務室で上半身裸になってうずくまっていた。
目の前には、卵から顔を出した青い子竜が一匹。
そして魔王の肉の裂けた背中からは、赤子が上半身の背をのけぞらせ、まるで脱皮をする昆虫のようにせり出して来ていた。
ウィルは震えながら歯を食いしばる。
彼が張ったバリアーに貼りつくように、ガーゴイルがびっしりと乗りかかっている。少しでも気を抜けばバリアーが欠け、子を取り上げられてしまうだろう。
体力がどんどん背中の赤子に奪われて行くのが分かる。命が分かれる時、彼の魔力もまた、半分になってしまう。
ウィルは困っていた。予想より、赤子が早く出て来てしまったのだ。
ウィルの額から、脂汗がとめどなく流れる。その美しい銀糸の髪も、べっとりと頬に貼りついている。
一方、子竜は卵を破りながら、キイキイとうめく。
ウィルはぽつりと声を落とした。
「……お前の母さんは、まだかな」
子竜は彼を慰めるように、再びキイキイと鳴く。子竜は卵を手足で踏みつけると、その小さな翼を乾かそうとするように広げて見せた。
「……テオドールも、今気を失っているそうだ」
ウィルは、所狭しと周囲に貼りついているガーゴイルに目を向けた。
「……だめだ、もう」
その間もお構いなしに、背中の赤子が父親から自身を切り離そうともがいている。そのたびにウィルは痛みを感じ、消耗する。
失神しそうになった、その時だった。
閃光。
魔王は余りの眩しさに目を閉じる。周囲からガーゴイルの影が消え、目の前にふわりと風が起きる。
ウィルは目を開けた。
そこに立っていたのは──
「エマ……!」
「ウィル!無事だった?」
愛しの、妻。
いや──勇者様。
「おっ……遅いぞ、馬鹿」
「あー!子竜も孵ってる!」
ウィルはバリヤーを解いた。バリヤーの支えを失ったエマが、つんのめるようにウィルに抱きつく。
「わーん、ウィル!」
「うるさい。ちょっと……離れろ」
「え、何!?」
「いいから……こっちに回れ」
エマはウィルの背中側に回った。
「えー!?産まれる産まれる!」
「……急に出て来やがったんだ。赤子も赤子なりに、色々危機を感じていたのかもしれない」
「き、急すぎるよー!」
「ぐっ……おい、赤子の脇を支えろ、今すぐ」
エマは赤子の脇を持った。ウィルの背中は血濡れ肉がぶくぶくと盛り上がっている。余りのグロテスクさに、エマはなるべく目をそらして赤子を取り上げる。ウィルはほっと息を吐いた。
「あー、ちょっと楽……」
「ウィルウィル、ねえ、どうしたらいいの!?」
「支えておいてくれ。赤子の側から、俺を切り離すまで」
「そ、それだけでいいの?」
「ああ。支えてくれるだけでいい」
赤子は背中をそらしながら、ふわりと目を開けた。焦点の合わぬ目。しかし、とても澄んだ目をしている。
エマはその赤子の目を見て、鼻をすする。
この子も、ブルートパーズの瞳だ。
赤子はエマを見上げながら、みちみちと音を立て、ウィルの背中の中で足を踏みしめる。
ぷち、ぷち。
奇妙な音がして、エマは支えていた赤子をすぽんとウィルから引き抜いた。
「……へ!?」
赤子は静かに足を踏みしめる動きをして、所在なげに首を振る。
どうやら魔王の赤子は、分裂時点で既に首が座っているものらしい。
ウィルは産み終えると、そのまま床に体を投げ出し、動かなくなる。
「……エマ様!」
変身を解いたウェンディが駆け込んで来た。
「ああ、子竜が孵っていますわ!子竜、これがあなたのお母様ですよ!」
「……ウェンディ、ちょっとお湯を張ってくれない?この子血まみれだわ」
「あら、大変!ちょっとお待ちくださいね、すぐに参りますから!」
とたんに周囲はばたつき始める。エマは赤子を近くにあったシャツでくるむと、そうっとウィルの目の前に回り、その顔を見せてやった。
ウィルはうつろな視線で赤子の顔を眺める。
エマの期待の視線に応え、彼は汗のしたたるまま、ぽつりと呟いた。
「かーわいー」
余りにもやる気のない感想にエマは笑い、それを見てウィルも自嘲気味に笑う。子竜は何かを求めるように、うろうろとエマの周囲を歩き回った。エマは子竜にも、赤子の顔を見せてやる。
今。
ここに、新たなふたつの命が誕生した。