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5.手を繋がなきゃダメですか?

 食事を終え食堂から出るなり、魔王はそのきめ細やかな指先で、そうっと勇者の手を取った。


「……へ?」

「しばらく、こうしていよう。逃げられたら困る」


 エマは繋がれた手をじいっと困惑の表情で見つめる。ウィルはふっと笑った。


「どうした?」

「繋がなくても、逃げません」

「そうか?……信用ならないな」

「だから、離して」

「……嫌か?」


 ウィルが本当に嬉しそうにそう尋ねて来るものだから、エマは思い切りその手を振りほどいてやった。


「……ふーん。生意気な奴……」


 ウィルは何事か詠唱すると、再びエマの手を取った。エマは再び振り払おうとした。が。


「!手、手が……」


 手が離れなくなってしまったのだ。魔王はとても楽しそうに笑った。


「互いの手にのみ、緊縛魔法をかけた。これで手が離れない」


 エマは青くなり、ウィルはそれをうっとりと眺める。


「さあ、まずは図書館からだ。正直魔王城は、この図書館のための箱だと考えておいてもらってもいい。お前に見せたいもの、試したいものが色々ある」


 意外な行き先に、エマは驚いた。図書館。魔族の生活など人間の文化に到底及ばないだろうと見くびっていたが、案外文化的な生活を送っているものらしい。


「……どんな本があるの?」

「昨日、ちょっと話した絶望事典だろう。それから歴代の魔王の日誌。魔術の書、薬草の書、生活の雑学書、世界の神話……それから、適職診断」


 不覚にも、エマはそれらの本に非常に興味をそそられた。田舎暮らしで実学は叩き込まれたが、教養や雑学はあまり身に着けていなかったのだ。魔族の魔術というのも、是非確認しておきたいところだ。


「……見たい」

「そうか。何でも見るといい」

「あの……ウィル」

「何だ、エマ」

「これって、敵に手の内を明かすってことじゃない。いいの?」


 ウィルは横目で彼女の顔を見やる。


「別に構わない。お前になら」


 エマは真意を汲みかね、じっと考え込む。更に彼は続けた。


「だって、どうせ知識をつけても外には出られない」


 エマは歯ぎしりする。勇者も見くびられたものである。


(魔王城を出るヒントが、図書館のどこかに隠されているかもしれない)


 エマの期待は膨らんで行く。二人はうす暗い長い廊下と階段をいくつも昇降して、やがて大きな扉の前に立った。


「この先が図書館だ」


 ウィルは長めの詠唱をして、扉に魔法をかける。しばし間があって、扉は地響きと共にゆっくりと開いた。


「行こう」


 エマが恐る恐る足を踏み入れると、むせかえるような紙の香りが二人を包んだ。エマはどこか懐かしい感覚に浸って、何列にも渡りホールの天井近くまで展開する書架を、うっとりと眺めた。


「……すごい……こんなに、本が」

「人間の世界には、まだここまで大きい図書館はないだろう。寿命の長い魔王だからこそ、編纂可能な書物がたくさんある」


 ウィルはそう言って得意げに笑ってみせた。エマもつられて笑ってから、はっとして顔を引き締める。


 再び扉は閉じられ、それを合図に二人の手にかかっていた緊縛魔法が解けた。


 エマは歩いて行って、早速絶望事典を手に取る。


「……お、予習か」

「事前に把握出来ていれば、そこまで驚かなくて済むでしょう」

「ちぇっ……ま、いいけど」


 そう言うと、ウィルはウィルで読みたいものがあるらしく、別の場所に歩いて行ってしまった。エマはくらくらしながら絶望事典を流し読みして本棚に戻し、大きくため息をついた。


「途方もない……あれを全部やられたら身がもたないわ」


 エマは気を取り直そうと、今度は歴代魔王の日誌のコーナーに歩いて行った。適当に手に取った日誌には、こんなことが書かれている。


〝孤独。臣下がどんなにいようと孤独。分裂が終るまで、何とか孤独を紛らわす。そのために人間の闇を垣間見る。世界を見渡せる魔法も疲れるものだ。もっと気を紛らわす遊びがあればいいのだが〟


「……分裂?」


 ぽつりと呟いたエマの背後から、


「魔王は分裂するぞ」


と声がする。エマはおっかなびっくり振り返る。ブルートパーズの双眸が間近にあった。


「!ウィル……ちょっと、驚かさないでよ」

「父上の日記だ」


 ウィルはそう言うと、エマの肩口からその手元にある本を覗き込んだ。


「ねえウィル。魔王の分裂って……」

「ああ。人間の闇を極限まで吸い込むと、魔王は分裂するんだ。細胞分裂」


 エマは息を呑んだ。初めて聞く話だ。


「つまり魔王の発生を止めたければ、人間が闇を見せなければいい……ということになる」


 勇者はどきどきと胸を鳴らした。


「待って。じゃあ、新たな魔王が発生するのは──人間のせいだってこと?」

「そうだ。あれ?人間はそれを知らないのか?」

「神話や訓話ではそうなっているけど……実際にそうなのかまでは」

「へー。人間って、遅れてるな」


 ふと、エマは恐ろしい事実に行き当たる。


 では勇者は、何のために全てを投げうって危険を冒し、魔王討伐などに行かなければならないのだろうか。


 人間ひとりひとりが気を付ければいいだけのことを、尻ぬぐいに駆り出されているだけではないのか?


 私は一体──


「……エマ」


 背後から、ウィルがその名を呼んで抱き締めて来る。


「!ウィル……」

「今の顔、良かったぞ!かなりの絶望の表情だった──」


 エマが思い切り肘鉄を食らわせ、ウィルはうめいて後ずさった。エマは何事もなかったかのように続きをむさぼり読む。


「……ねえ。細胞分裂って何?」

「……魔王は分裂する。つまり俺の父は、俺の古い個体だった」

「ということは、母親はいないのね?」

「母親?」

「分からないなら、いいわ。父があなたを育てたの?」

「途中まで、な。小さい時に、勇者との戦いに敗れて死んでしまった。それからは、木偶が何くれとなく世話をしてくれた」

「……そう」


 エマはしばし考え、理解した。魔王の孤独。人間の闇。それが次の魔王を産むのだと。


 ということは、魔王に闇を見せなければ、魔王に地上を見る暇を与えなければ、次の魔王が産まれないということになる。


(まさか魔王を討伐するよりも、むしろ相手をしてあげれば、それだけ分裂の時期を引き延ばせるってこと……?)


 思わぬ情報に行き当たり、エマは身震いした。


 と同時に、疑問が生じる。


「……父を殺した勇者の末裔である私を魔王城に引き入れて、ウィルは何とも思わないの?」

「そんなことは小さすぎて覚えていないから、何とも」

「……そう」

「勇者を敵視する気持ちは特にない。そんなことより、暇が辛くて……」


 エマはあくびをするウィルを見つめ、じっくりと考え始める。勇者として、魔王を討伐するまでもなく、平和な世界を取り戻せる可能性のことを。


 魔王は一万年生きると言う。


 その間の百年ほどを頑張ったとして、果たして魔王の分裂を止められるだろうか?


(やはり、倒すしかない……のかな)


 エマは目の前の魔王の美貌を、複雑な思いで眺めていた。

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[良い点] 魔王が勇者に好意を抱くとは 1年も住めば勇者も落ちるだろう
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