47.竜が生まれますか?
夕飯の後は、木偶を伴うことなく、二人でゆっくり湯船に浸かって。
まだ二人、石鹸の香りの漂うまま同じベッドに入った。
(この布団……ウィルの匂いがする)
何をするでもなく、二人はベッドの中で話し合う。
「白金も手に入ったし、エマの言う通り揃いの指輪を作るか」
「うん」
「どんなのがいい?」
「二つ、欲しいな」
「ほー」
「お出かけ用と、日常用」
「なるほど」
「ずっと剣の稽古をして来たから、指輪を持っていないの。この機会にふたつ作ってもらおうかな。片方は石つきで、もう片方はシンプルで」
エマが天井に手をかざすと、ウィルがその手を伸ばすように握る。
「合計三つか」
「出来そう?」
「あの白金の重さなら、多分大丈夫」
「そっか。硬貨を溶かして使うのね?」
「ああ」
「ウィルは貰った硬貨をそのまま溶かして、彫金の材料にしてるんだ」
「そうだ。ま、昔の硬貨の方が、混ぜ物の少ない良質な硬貨だったんだがな」
「へー、さすが2000歳。ウィルは他の女の人に指輪をあげたこと、あるの?」
ウィルはベッドの中でエマを抱きすくめる。
「どうした急に。ないぞ、そんなこと」
「……ふーん」
「疑ってるのか?」
「何とでも言えるな、と思いまして」
「意地が悪いな……俺の性格が感染ったか」
ウィルはエマの頬にそうっとキスをして、そのまま耳元で囁く。
「……俺を煽れば甘やかしてくれると学んだな?」
エマはくすくすとくすぐったそうに笑った。ウィルは体を起こすと、覆いかぶさるようにエマにキスをする。エマは嬉しそうに、ウィルの首に腕を回した。
「石は、何がいい?」
「ずっと考えてたんだけど」
「うん」
「ブルートパーズがいい」
「……どうして」
「ウィルの瞳と、同じ色だから」
魔王はもう一度、勇者にキスをくれる。
「……なら、俺はエメラルドを入れようか」
「うん、それがいいと思う」
「面白いことを考えるな、エマは」
「だってウィルを好きになったら、その石が気になって来て」
「……エマ」
遠慮がちにかけられる体重。エマはふと、回した腕に鼓動が触ったのを感じた。
「──今、子供は首元にいるの?」
「ああ。這い上がって来てるな」
「私の腕のちょうど下にいるみたい」
「母親の体温を嗅ぎつけたんじゃないか?」
エマはウィルの背中で蠢く鼓動にそうっと触れた。鼓動はそこでじっとしている。
「名前、何にする?」
彼女が尋ねると、魔王は無言で何かに祈るように、考え込んだ。
「性別が男であることは確定だ」
「そうね」
「ウィルフリードとエマから取って……」
「……?」
「ウマ」
「馬鹿じゃないの」
「冗談だ。色々考えてる」
「例えば?」
「エルマー、エルヴィン、エミル……その辺りを」
「二人の音を繋げたのね?」
「悪いか?」
「いいと思うわ」
まるで名を呼ばれたかのように、鼓動はそこでじっとしている。
「……とにかく、今は何とも。顔を見てから決めた方がいいわね」
きっと多くの夫婦がそうであるように、二人はこれから生まれる小さな命を待ちわびる。
互いの信頼を図るように、重たい布団の中、ゆっくりと口づけ合う。
ささやかな幸せ。
それからニヶ月後。
「おー、凄い凄い」
エマは昼下がりの破壊された玉座の間で日向ぼっこしながら、小さなブルートパーズを並べた指輪が付いた方の手で、魔王の背中をなぞっていた。
今朝、彼の肩口に、ひょっこりと赤子の顔が現れたのだ。
赤子は目を開けず、大人しく呼吸をしている。眠りこけているが、たまに口をぱくぱくと動かす。
「えへへ。かわいー」
エマはウィルの背中に浮き出た赤子の頬を突っついた。
「あんまりいじるなよ……」
「あら、この子起きないのね」
「胎児だから、日々の大半は寝ている」
「へー。体は出てこないのかしら?」
「酸素を得るために顔だけを出しているのだ。あともう少しで、俺の背中を破って出て来る」
「や……破る!?」
物騒な話に、エマはひきつった。
「あれだ……蝉の脱皮を想像してくれ」
「あ、ああ……」
想像出来るような、出来ないような。
「時間が限られるな。エマ、大体のものは準備出来たか?」
「ええ。いつ産まれても大丈夫」
「となると、あとは……」
その時だった。
久方ぶりに、玉座の間の魔法陣が光った。エマは立ち上がり、ウィルははだけていた麻のシャツをかき合わせて後ずさる。
風が吹き、緑の竜が現れる。
竜が変身を解き、エマの前に進み出た。
ウェンディだ。
「お久しぶりです、エマ様」
「あ!ウェンディ。どうしたの、急に?」
「お二人とも、お揃いでしたのね。うふふ、相変わらず仲のよろしいこと」
「何の用だ?」
「はい、一応、お伝えしたいことがあって参りました」
「なあに?」
ウェンディは勿体ぶるように微笑むと、
「卵が無事成長しまして……そろそろ産まれそうですの」
と続ける。エマはぽかんと口を開けた。
「え?じゃあ……」
「はい。温め続ければ、卵は孵ります」
「!本当に!?」
エマは卵の方をすっかり忘れて暮らしていたので、今更ながら事の重大さにくらくらした。
魔王城ではウィルが子を産む。
浮遊大陸では卵から竜が産まれる。
二つの種族から、同時期に二つの命が誕生するのだ。
「なかなかに凄いタイミングね……」
「はい。しかしながら、それが問題なのです」
エマは眉をひそめた。
「問題?」
「……詳しくは、テオドール様からお伝えすることになるかと」
魔王が自らの膝を苛々とさすりながら急かす。
「何だ?勿体ぶらずにここで言え」
「はい。つまりですね、同時期に別種族の出産が重なると、お互い危険なのではないか、と。以前、メイデンが漏らしていましたね?三者が動けなくなる時、魔族にチャンスが訪れると」
エマとウィルは顔を見合わせる。
確かに、赤子がいる状態で攻めて来られてはこちらも動きにくい。最悪、子を奪われたり人質に取られる事態も想定された。
「確かにそうね」
「はい。そういうわけで、我々は対策を練らねばなりません。お互いの種族を守るために」
エマとウィルは頷く。ウェンディはにっこりと微笑んだ。
「ですから今一度、動ける内に浮遊大陸に渡って話し合いませんか?何なら、こちらで暮らしていただいても構いません。魔法陣からなら、すぐにご案内出来ますわ」
「……今のうちに行っておくか?」
ウィルに尋ねられ、エマは頷いた。
「そうね。浮遊大陸の方が安全そうだし」
「話が早くて助かりました。では……」
ウェンディが竜に変身し、エマとウィルは頷き合ってその背に乗る。
竜は崩れた壁から、大空へ向かって飛び立った。
それから、ほどなくして。
「エマ……ウィル……」
所々に怪我を負い、装備もボロボロになったアンドリューが、飛び立つ竜を見上げ、魔王城の入り口に立っていた。
「……良かった」
アンドリューはそのまま前のめりに倒れる。
「くそっ……魔族め……」
その胸から、ミリアムの胸にいつも輝いていた勲章がからんと落ちる。
彼はそのまま失神した。